『冬の実装石』4(完)
■登場人物 男 :天涯孤独の男。古い屋敷の持ち主。実装石に興味はない。 親実装:必死に男に媚びる成体実装石。 仔実装:男に一宿の施しを受ける。凍死する。
■前回までのあらすじ 冬。雪が降り積もる寒冷地帯。その自然に必死に抗う実装親子が居た。 限界とも思える生活の中、ダンボールの中で暖を取る親子。厳しい冬 の中、男の庇護を求め媚を繰り返す。しかしその寒さの中、仔実装 たちは凍死してしまう。親実装は凍死寸前で男に助けられる。男と親実装 の奇妙な生活が始まった矢先、観測上未曾有の暴雪がこの地方を襲った。 家の中で孤立を余儀なくされる男と1匹。雪はまだ振り始めたばかりであった。 ==========================================================================
雪に閉じ込められて丸1日が経過していた。 電気のない冬の生活がこれほどもキツイとは、男は改めて知った。
電気が通じなくなった冷蔵庫の中身の腐敗の心配もいらない程の寒さだった。 辛うじてガスだけは通じており、買い貯めた食材に火を通す事ができたのは幸いだった。
初日は電気の復旧も早いだろうと多寡を括っていた男だが、すぐ日が落ち部屋が暗闇の中に 包まれた時には、さすがに男も不安になった。
親実装は、暗闇と寒さに慣れているのか、暗がりの台所の奥から、緑と赤の光る目を 居間にいる男に向けて、デーと鳴きながら向けていた。
男は日が落ちた後も、1階の居間でストーブで暖を取っていた。 しかし日が落ちた今、テレビも読書も何もできない事を悟った。 灯油を節約するためにも、男は早々に2階の寝室に上がり、布団に篭って寝てしまった。
翌日。親実装が朝から玄関を叩いていた。 外に出たいと訴えているらしい。
引き戸の玄関には、曇りガラスがはめ込まれており、雪の積もり具合が中からもわかった。 積雪は、ちょうど男の肩位置ぐらいまで来ており、玄関を容易に開けることもできない状況だった。
デスゥ〜?
皸の手を口元に沿え、鳴く親実装。
2階から降りてきた男は、靴置き場に佇む親実装の姿を一瞥しただけで、居間へと入った。
ストーブに火を灯し、冷たい手を両手でこする。 このストーブがこの家での唯一の暖を取る手段だった。 男はストーブのチロチロと燃える炎を見つめながら、不安に駆られ始めた。
男がまず実施したのは、食料を集めることだった。 冷蔵庫の中身、買い置きのカップ麺、酒の肴、その他諸々。 すべてをかき集め、台所の上に並べた。
2日。いやどう切り詰めても、3日か4日しか持つまい。 電気の復旧どころか、雪が降り止まず、外に出れない今、この残された食料で救助を待つしかない。
床に置かれた食料を見ては、親実装は何がうれしいのかデスゥデスゥ♪と喜びながら 台所で変な踊りを繰り返していた。
男は食料を電気の通っていない冷蔵庫に入れては、居間に戻る。 親実装は皸の手を口元に沿え、デーと鳴きながら、冷蔵庫の扉をひたすら見つめていた。
男はストーブの前で、最悪の事態も考えて、携帯電話で警察に連絡を入れることにした。 その電話に出た警察も、この地域の応対に忙しいような応答だった。 自衛隊の要請を打診している。それまで、自宅に待機するようにという素っ気ない回答だった。
携帯電話を切って、電池の残量を確かめては、電気の通っていないコタツの中で横になった。 玄関の方からは、再びぺしんぺしんと玄関の扉を叩く音と、デスーという鳴き声が聞こえた。
男は玄関の方をちらりと一瞥しては、そのままコタツの奥に潜り込み、体を休めることにした。 長期戦になれば、体力勝負になる。男は無理やり目を閉じた。
いつの間にか眠りについていた。 足元や隣の部屋でガサゴソと音がする。
何事かと思い目を開けてみると、親実装がコンビニ袋を引きずりながら、部屋のあちこちを 物色していた。
奥の部屋から居間はもちろん、台所、玄関の靴入れに至るまで、親実装が中身を荒らしながら 物色しているのだった。
コンビニ袋には、家中から集めた使い古しの電池や消しゴム、耳かきや飴玉などの小物が入っていた。
デスゥ?
親実装が目覚めた男に気がついた。
デスゥ♪デスゥ〜♪
親実装はコンビニ袋から飴玉を取り出し、男に差し出した。 男はその飴玉を受け取っては、皸の頬をさらに紅潮させる親実装を見た。
先日から親実装は、外から生ごみを集めては、男に差し出していた。 その行為の延長線なのだろうか。それが、どういった習性に従った物なのかを男が理解できなかった。
男は飴玉をコタツの上に置き、昼食にするために台所に向った。 食料はできるだけ節約しないといけない。 昼は台所で湯を沸かし、カップ麺で済ませることにした。
足元では、親実装が沸騰するお湯の音を聞いては、男の周りでデスゥデスゥと 何が嬉しいのか変な踊りを踊っていた。
男は、熱々の湯気が立つ湯をカップ麺の容器へと注いだ。 親実装は、右手を口元に沿え、ドキドキしながら、その湯気をうっとりとした赤い顔で見つめていた。
男は湯が満載したカップラーメンを持っては居間に戻った。 親実装も、デスゥ〜♪デスゥデスゥ〜〜♪と小躍りしながら男と一緒に居間に戻った。
3分経ったので、男はカップ麺の蓋を空けた。 親実装がカップ麺の中身を覗きこんだ。 目を潤ませ、頬を紅潮させ、満面の笑みを浮かべて、ガッツポーズをとるように
デスゥアッ!! デスゥアッ!! デスデスッ!!
転げ回るように喜んでいた。
男は箸を取っては、ずずっと麺を食った。
ず…ずずずず〜〜ずっ
旨そうな音を立てて、麺を啜った。 親実装は、グ〜と腹を鳴らしながら、照れながら男に近づいた。
男は無言で麺を啜った。 親実装は、男の目の前にちょこんと座り、頬を紅潮させて男の持つカップラーメンの 容器のみを見つめていた。
男は麺を啜りながら、目の前の親実装の姿を見ていた。 そう言えば、この家に親実装を上げてから、餌らしい餌を与えていなかったことに男は気がついた。 外に出ては自らの餌を調達してきた親実装は、家に孤立してからは餌の調達がままならなかった。
親実装は、涎を流しながらグ〜と腹を鳴らしていた。 そして、首をかしげて、目を潤ませて男とカップ麺を見つめていた。
男は無視して、引き続きカップ麺を喰うことにした。 男は麺を喰い終わり、残った熱い汁も、一滴残らず胃の中に注ぎ込んだ。 その嚥下する男の姿を見ては、親実装も同様に口を尖らせて、唾を飲み込んでいた。
男は最後の汁を飲み込んでは、体の奥に熱が広がるのを感じた。 満足した男は、ふぅ〜と息をついては、カップ麺の容器を親実装の足元に放り投げた。
親実装はその容器を飛びつき、カップ麺の容器内の内側をベロベロと舐め始めた。
容器裏についた汁。こびりついた葱。 親実装は、兎口から蠢動する赤い舌をチロチロと動かし、カップ麺の容器に顔を突っ込んで、 こごもった声で鳴いていた。
ブェス〜 ブェスブェス〜〜♪
腹を満たした男は、容器を舐める親実装をそのままに、布団にこもって寝た。 男が寝ることに気がつくと、容器を舐めていた親実装が、舐めるのを中断した。
何時の間にか親実装が枕元に立ち、男の髪の毛を優しく撫でながら
ボエ〜♪ ボエボエ〜〜♪ デッゲロゲロ〜♪
と外れた調子で子守唄のような唄を歌っていた。
男は枕元で鳴く親実装を薄目で見ては、親実装が媚びているのだと思った。 いくら媚びられても、与える食料はなかった。 男はそう思っていたが、親実装は媚びているわけではなかった。 それがわかったのは、翌日のことだった。
翌日。その日も男は居間でひたすら暖を取りながら小説を読んでいた。 親実装も、居間の隅でチョコンと座り、部屋のストーブから流れる暖に頬を赤らめて うっとりと目を瞑っていた。
雪はやむこともなく、とうとう居間の窓の大部分も、雪で覆われようとしていた。 雪が窓を覆う事により、この居間では、昼でも日の差す量が少なくなった。
唯一の娯楽である小説も、読みづらくなって来た。 男は、そろそろ2階にストーブなどを上げて、そちらで寒さを過ごそうかと考えていた。
その矢先だった。 どおぉぉぉん!という音と共に、居間のガラス戸が割れて、雪が居間に雪崩込んできた。 雪の重みに、窓が耐えれなかったのだ。
男は雪に対する恐怖を新たにした。 男が驚いているのと同時に叫んだのは親実装だった。
デギャァァァァァァ!!!
丁度、窓際に居た親実装は、その雪崩れ込んだ雪とガラス片に、まともに巻き込まれた。
一気に雪に包まれる親実装。 雪に押し付けられた体の痛みより先に、その肌に感じる凍てつく感覚に親実装は叫ぶ。
白い雪に覆われた仔実装たち。 白い息を吐きながら、必死に親実装にしがみついてくる。 ガチガチと歯を流しながら、涙を流し、その涙すら白く凍り付いている。 目がトロンとした仔。白い息すら吐かなくなった仔。首から先がない仔。
親実装を囲む冷たい雪の感覚が、その記憶を呼び起こした。
デギャァァァァ!!!! デギャァァァァァ!!!
叫び、のた打ち回り、親実装はその雪から自力で何とか這い出た。 そして、一目散に男に向かって走った。
半身で体を起こしている男の顔は、丁度親実装の背の高さぐらいにあった。 その顔に向かって、親実装は抱きついた。
男は最初は、親実装が雪の恐怖で慄き震えているものだと思っていた。 しかし、違った。
親実装は、男の頬を両手でつかむと、臭い白い息を男の顔に何度も何度も吐きかけては、 その皸の手で、男の頬が痛くなるくらいこすり合わせていた。
そして雪崩れ込んだ雪に向かって、両手を水平に広げて、必死にデシャァァァ!!!と威嚇を繰り返していた。
それは、まるで雪の脅威から、仔を身を呈して守る親の姿のようであった。 外から集めた生ごみを与え、眠る時には子守唄を歌い、雪の脅威から身を呈して守る。
デシャァァァァ!!! プシャァァァァーーース!!!
皸だらけの顔の兎唇から覗く黄色い歯から唾液を飛ばし、親実装は両目を吊り上げて威嚇を続けた。 仔を亡くした親実装のその哀しき残された母性は、すべてこの男に向けられていたのだった。
デギャァァァ!!! デギャァァァァァ!!!
もうこれ以上、失ってなるものか! 親実装は、なだれ込んだ雪に対して、必死に身を呈し雪から男を守ろうとした。
男は無表情で親実装の後姿を見つめていた。 窓からは、雪混じりの冷たい風が居間に舞い込んでいた。
男はその風に吹かれては、我に返ったように起き上がった。 文庫本を脇に挟み、ストーブを持ち上げては、それを2階の寝室へと運んだ。 雪の重みで1階は危険だと悟り、これからは2階の寝室で暖を取ることにした。
2階なら窓から光も十分に差し込む。日中は、光に困ることもない。 男は、雪に対して両手を広げ威嚇を続ける親実装を後にして、 冷蔵庫の食材などを持っては2階へと上がった。
残された親実装は、雪崩れ込んだ雪に対して、ぺしぺしっと手でその雪を叩いては 威嚇を繰り返していた。 なだれ込んだ雪は、もうこれ以上居間になだれ込む様子はなかった。
威嚇が効いたと理解した親実装は、肩でデーデーと荒い息をしながら紅潮した頬で 後ろを振り向いた。しかし、そこには既に男の姿はなかった。
デー?
親実装は小さく鳴いた。
台所を見た。
デスゥ?
玄関に走った。
デスゥ〜?
物置。仏間。客間を走った。 いない。いない。男がいない。
雪で覆われた暗く冷たい木造の家を走る。 いつしか、親実装の目には涙が溢れていた。
デェ… デェェェン… デェェェェェン!!!
涙ぐんだ両目で、デスァ!! デスァ!!と叫びながら、1階の各部屋を日が暮れるまで 何回も何回も男の姿を求めては、ぐるぐると回り続けていた。
男は2階の寝室で布団に包まりながら、ストーブに火を灯しては白い息を吐いていた。 1階からは一晩中、オロロ〜ン!!という鳴き声が聞こえ続けていた。
あれから何日かたった。 親実装は1階で居間から流れ込む寒気に耐えながら、便所シートなどを体に巻いて ガクガクと震えながら鳴いていた。
男がトイレや水を汲みに来るたびに、親実装は男の姿を見つけてはデスーデスーと 涙を流して男の足にしがみ付いた。
男には、この親実装が日に日に痩せているのがわかった。 限られた食料は与えるわけにはいかなかったので、水だけは多く与えた。
どんぶり鉢に水一杯入れて与えると、ガボッガボッと顔を突っ込むようにして 親実装は水を飲んだ。
男が2階に上がるが、親実装はどうしても階段のところで躊躇してしまう。 親実装は、階上に上がる男を追いかけることができなかった。
親実装には階段という概念がわからなかった。 体の構造が儚い実装石にとって、位置エネルギーの高い場所は、本能的に嫌う傾向があった。
デスーーッ!!! デスゥーーーーッ!!!
親実装は、階上に消え行く男の姿を必死に呼び止めた。 震える手で自分の腰当たりの段差に手をかけて、1段1段昇っては追いすがろうとする。 親実装は、1段目に体を預けることに成功した。 続いて2段目に手をかけた。うまくいった。
親実装は、紅潮する皸の顔で3段目、4段目に手をかけた。 親実装は5段目のところで、ふと下を見てしまった。
ガチ… ガチガチ…
余りの高さに、親実装の歯が鳴った。 冷たい階段につーと暖かい物が広がった。
ガクガクとわらう膝で、次の階段に手をかけようとする。 足は中腰となり、下から覗く下着には、ブリボリバリブと糞がコンモリと溜まり、 唯でさえアンバランスな体躯をさらに不安定にさせていた。
親実装は上ることも降りることもできず、ディェェェェン!! デェェェェェン!!と 悲鳴に近い泣き声を出していた。
親実装は、どうすることもできず、もどかしく癇癪に近い動作になってきた。 とうとう親実装は足を踏み外し、階段を転げる石のように落ちてしまった。 親実装は、しこたま体を打たれながら、階段を転がり落ち、階下で悶絶した。 頭から血を流し、白目で舌を出す口からは、デェ…という小さな悲鳴と共に、 小さな小さな白い息が流れては消えていた。
親実装は、それから階段には近寄らなかった。 寒い寒い台所の隅で便所マットを体に巻いて、白い息を出してガチガチと震えていた。 恐い階段から降りる男の姿を待ち、その隅から階段だけをじっと見つめていた。
男は1日に数回、2階から降りてきた。 降りてくる度に便所マットを放り投げ、ひたすら男の周りで踊りを披露した。 男はひたすら無関心で、親実装の踊りを冷たい目で見ていた。
その日、男が1階に降りて来たのは、風呂に入るためだった。 数時間前に水を張り、風呂を沸かし始めている。
電気のない生活だったが、辛うじて水道とガスは生きていた。 この極寒の生活の中、風呂は男にとって唯一の娯楽となっていた。
男は脱衣室で服を脱ぎ始めた。 親実装もその横でデスゥ?デスゥ?と鳴きながら、服を脱ぎ始めた。
男は浴室に入った。 ぴしゃりと浴室の扉は閉められた。 裸の親実装は、デー?と鳴きながらその閉められた扉をぺしんぺしんと叩いていた。
男は体の芯まで冷え切った体を、風呂で暖めた。 真っ暗な闇の中の風呂も、また格別であった。
網入ガラスの扉の向こう側では、緑と赤の光る目が不気味に男を見つめていた。
男はそれを無視し、暗闇の浴室の中、ゆっくりと体を暖めた。 十分体が暖まり浴室を出た頃には、親実装は服を前後を逆に着こんで 台所の隅で便所マットを羽織っては、ガクガクと震えていた。
その姿を確認しては、男は無言で2階へと上がった。 親実装は、便所マットを羽織ながら、その階段を見つめていた。
男が出た浴室の方をチラリと見る。 みれば、もくもくと漂う湯気が、何とも暖かそうだった。
男は浴槽の湯を抜かず、そのまま2階へと上がってしまっていた。 浴室の扉も少し開いており、その暖かい湯気に興味を持った親実装でも浴室に入ることができた。
デッ! デスゥ〜〜♪
暗い浴室の中は、なんとも暖かい。 その暖かい元が、目の前の浴槽から漂うことに親実装は気がついた。
爪先立ちになり、必死に浴槽の中を伺う親実装。 洗面器などを台にして、浴槽の中のお湯に手を入れてみる。
デデッ!! デスゥエ!?
冬を生きる親実装にとって、水とは冷たいイメージしか持ち合わせていなかった。 なのに、これは暖かい水。親実装は驚きの声をあげた。
親実装は、器用に片足をあげ、浴槽を跨ごうとした。 親実装は、浴槽の上で手を滑らせてしまい、体ごと浴槽に落ちてしまった。
服を着込んだまま、浴槽に沈む親実装。 しかし、幸い浴槽に残ったお湯の水位は高くなく、親実装が立っても顔が出る程度の 水位だった。
デバァ!! デバァ!! …デ? デデデス!!
始めはお湯が鼻に入り、鼻水をお湯に漂わせながら、むせ続けていた親実装だったが それは生まれて初めての感覚だった。
デッスゥ〜ン♪
親実装は、頬を紅潮させ、思わず喘ぎ声を漏らしてしまった。 体中に広がるお湯の温もり。肌の表面だけでなく、体の芯から暖まる幸福感。
親実装は口から涎を流して、目をうっとりさせ、鼻の穴をピクピクさせていた。
デッスゥ〜ン♪ デッスゥ〜ン♪
お湯を口に含みガブガブ飲んでみた。 胃の中も温まる感触が何ともいえなかった。
気がつけば、親実装はテンポの外れた口調で、唄らしき物まで口ずさんでいた。
デデンデ♪ デンデンデ♪ (アビバビバビア) デデンデ♪ デンデンデ♪ (アー ビバビバ)
親実装は、心いくまで生まれて初めての入浴というものを味わった。
1時間以上の時が流れた。 種火の消えた浴槽内のお湯も冷めて来た頃だった。
温まった体もそれにつれて冷えてきた。 親実装は、デーと残念そうな声をあげて、浴槽から這い出た。
濡れた服や頭巾。髪からはお湯が滴り落ちていた。 親実装は、浴室から出て台所に戻ろうとした。
デ? デス… デスデスッ!!
べっちょりと濡れた服と頭巾や髪は、台所の冷気に触れて一気に体温を親実装から奪っていった。
それを嫌がった親実装は、急いで浴室へと戻った。 もう1度、洗面器を台にして浴槽へと入った。
冷めつつある浴槽のお湯であったが、再び冷え切った親実装の体を温めるには十分な温度だった。
デデンデ♪ デンデンデ♪ (アビバビバビア) デデンデ♪ デンデンデ♪ (アー ビバビバ)
体の体温が少し戻ると、浴槽から親実装は這い出た。 水が滴る服と下着をそのままに、再び浴室から外へ出る。 悲鳴を上げて、また浴槽へと舞い戻る。親実装はそれを繰り返した。
3回目ぐらいから、浴槽のお湯はほとんど水のようになっていた。
デス〜?
ぺしゃんぺしゃんと水面を叩く親実装。 頭巾や髪から滴る水をそのままに、ぶるるっと体を振るわせた。 手が触る浴槽の水の感覚は冷たいのだが、親実装はあの体全体を暖めた感触が 忘れられず、無意識のうちに浴槽に震える体を投じた。
5回ほど、それを繰り返した時、浴槽のお湯は冷水に近くなっていた。 親実装が水面を揺らさなければ、薄っすらと氷も張るのではないかと思われる温度だった。
冷水の中に身を沈ませ、デギャァ!! デギャァ!!と紫の唇でガチガチと親実装は震えていた。 両目から血涙を流し、下着の中からは下痢状の糞や黄色い尿などが洩れており、 浴槽の水は、緑と赤と黄色がまざった不気味な色をしていた。
その冷水の表面には、親実装の髪の毛が何かの触手のように漂っていた。 始終、親実装が小刻みに震えるため、その触手のような髪の毛から、 絶えず波紋が水面にたゆたっていた。
水面から顔を出しただけの親実装は暗闇の浴室の天井を見つめては 歯を小刻みにガチガチと震わせている。
手がかじかみ、浴槽から這い出そうとも、うまく手がひっかからない。 涙に目がかすみ、意識が朦朧とする。膝が振るえ、思わず浴槽の底に、蹲りそうになる。
デボアァ!! デボッ! デボッ!
気を抜くと水の中で溺れていた。
デェー、デェー、デェ……
再び水面に顔を出し、口を尖らせては、白い荒い呼吸を繰り返していた。
翌日。男は浴槽で震える紫色の顔の親実装を見つけた。 浴室から救い出してやると、デェ…と小さく鳴いて、そのまま浴室に倒れた。 シャァァァァ…という音と共に、大量の尿が排泄されていた。
その日、親実装は濡れた髪と服で便所マットに包まり、1日中ガタガタと 台所の隅で震え続けていた。
そんな生活が続いた。 そして、男と親実装がこの家に孤立し始めて4日目の朝を迎えていた。 そろそろ、この生活の限界も近づいてきていた。 その日から水道も凍りつき、水が出なくなった。
仕方がなく男は、2階の窓から雪を取ってきては溶かして飲んだ。 親実装には、どんぶり鉢に雪を盛ってあげた。 親実装は下痢をしながらも、雪を喰って飢えを凌いでいた。
灯油の残りも少なくなった。あと1日持つかどうかと言うところだろう。 決定的な事は、食料がほとんど無くなっていることだった。
男は2階で食料を備蓄した箱などを探った。 飴玉が一つ出てきた。あの親実装が部屋から探し当てて、男に与えた物だった。 飴玉をコロリと口に入れ、男は考えた。 実装石は食べれるのだろうか。
あの鼻水を垂らした皸だらけの親実装を思い出しては、ぶるんぶるんと頭を振った。
男は苦笑しながら、ストーブに火を灯した。 残り少ない灯油だ。大事に暖を取らないといけない。
男は階下にいる震える親実装を思い出した。 どうせ最後だ。一緒に暖を取らせてあげよう。 男は、ストーブの前で毛布に包みながら、そう思った。
そう思いつつも、男はストーブの前で男はウトウトとし始めた。 やはり疲労が蓄積しているのだろう。 甘い飴を舐めながら、暖を取ると自然に眠りに入ってしまった。
1階では、親実装がデスーと男の姿を捜して小さく鳴いていた。 そしてその昼、この孤立生活を終わらせる決定的な事件が起きた。
その日も外では雪がしんしんと降り積もっていた。 水分を含んだ荒く重いぼたん雪のような質だった。
男の家は古い木造の家だった。 そう雪の重さに耐えれる家ではなかった。
家自体が、降り積もる雪の重みに悲鳴を上げていることなど、男は知る由もなかった。 今、男の家の屋根に降り積もる雪の重量が、耐え得るその限界を遥かに超えていたのだ。 その上に、さらに雪がしんしんと降り積もる。
そして、その限界は一気に訪れた。
(どおおおぉおぉおおぉんっ!!!!)
男の寝室の天井から崩れ落ちる梁や木片。そして大量に注ぎ込む雪。 屋根が雪の重みに耐えかねた結果だった。
男はまともにその崩壊に巻き込まれる形となった。 思わす男は悲鳴を上げていた。
轟音と共に1階にいる親実装の悲鳴も、この家に響き渡っていた。
デギャァァァース!!! デギャァァァァース!!!!
親実装は両目をまん丸に見開き、暗闇の屋敷の中を右に左に叫びながら走った。 1階は、屋根の崩壊からは免れていたが、轟音と共に、ミシミシという不気味な音が 1階の壁や柱からが発せられていた。
親実装は2階から聞こえる轟音に慄き恐怖し、パンツをコンモリさせながら、 ひたすら震えて、縮こまり蹲っていた。
ようやく止みかけた轟音の中、親実装は微かに聞こえる呻き声を聞いた。 それは男の呻き声だった。
親実装は階段まで走った。 どうしても昇れなかった、あの恐怖の階段であった。 男の呻き声がまた階上から聞こえた。 親実装は、震える手を、階段に添えた。
その崩壊の中、男は足に痛みを感じていた。 どうやら屋根の梁が倒れて、男の両足を挟んでいるようだった。
足に力を入れると、さらに激痛が走った。 気が遠くなるような痛みだった。
体を覆う瓦礫や雪などは手で払いのける事は出来た。 しかし、両足を挟むこの梁だけは男の力だけではどうしようもなかった。 頭に瓦などが直撃したらしく、血がすごい勢いで流れていた。
幸い昼過ぎである。 ぽっかりと空が見える屋根に向って大声で叫べば、周囲の家の誰かが 気がついてくれるはずだ。
この雪では道路は麻痺しているため、自衛隊などの救出を待つしかあるまい。
そう思い大声で助けを求めようとしてた矢先、デスゥ…という声を寝室の入り口で聞いた。
見れば階段を登りきった親実装が、肩で息をしながら入り口で男の姿を見ていた。 親実装は、デスゥ!! デスゥ!!と叫びながら、血まみれの男の頭や顔に手をやろうとした。
男は天井を見た。 まだ時節、屋根の雪や半崩壊した屋根の一部が落ちたりしていた。
男はここはまだ危険と見たため、親実装に向って一喝した。 怒鳴られた親実装は、驚き慄き、急いで寝室の入り口に取って返す。
その間、男は大声で近所に向って助けを求めた。 幸い一番近所の家が、この崩壊の音に気がつき、男の安否を心配してくれた。
男は声だけで自分の今の状況を伝え、至急救助が必要な旨を伝えた。 近所の者は、警察に連絡を取ってくれるとのことで、地元の救助隊が向うだろうと男に伝えた。
男は痛む足を押さえながら、ひたすら救助を待つことにした。 数分して、入り口からチラリとこちらを見る親実装に対しては、雪礫を投げるなどして 「危ない。こちらに来るな」という意味の言葉で恫喝を続けた。
体が冷えてきたと感じ始めた矢先、男は鼻を突く嫌な匂いを嗅いだ。 顔を部屋の奥へと向けて見ると、瓦礫がストーブを押し倒している場所だった。
ストーブの火は実はまだ生きており、その小さな炎はカーテンに燃え移り チロチロと赤い炎が大きく家の壁を焼いていた。
男は焦げる臭いを嗅ぎながら、自らが危機的な状況にいる事を知った。 足を動かそうとも動かない。重い梁がまったく動かないのだ。
運悪くストーブの灯油が寝室の床に零れており、それに引火した炎が、見る見るうちに 寝室を炎の海へと変えていった。
火の勢いがますます強くなるにつれ、黒い煙が部屋に充満し始めた。 男は咳き込んだ。恐怖の中、男は出鱈目に叫び、足に乗る梁を力一杯押し始めた。 しかし、それはびくともしない。
思いっきり黒い煙を吸っては、男は咳き込んだ。
朦朧とする意識。 頭から流れる血。 燃える寝室。
火の回りは強くなり、男の周りはほぼ火の海となった。 男は咳き込みながら、体をねじらせ、火から体を避けようとした。 しかし下半身が固定されている今、それすらもままならなかった。
男は、火の熱さのため、悲鳴をあげ泣き叫んだ。 死んだ母の名を必死に叫んでは求めた。
煙を避けるため、うつ伏せになって母の名を叫んでは咳き込み、叫んでは咳き込んだ。
意識が朦朧とする最中、雪がふわりと男の顔に降り注いだ。 それは、火の熱さの中にあって、一陣の涼風のように感じられた。
また、ふわりと雪が降り注ぐ。 朦朧とした意識の中、死んだ母の名を求めて口ずさむ中、ふわりと雪が降り注ぐ。
ァァァァァス!!! デギャァァァァァァ!!!!
朦朧とする意識の中で、男は見た。
屋根から落ちた雪を必死に両手で抱え、男の体にそれを運ぶ親実装。 その手は火傷で赤く爛れ、皮が捲れては赤い身すらも覗かせていた。
服に火がついては、それをデギャァァァ!!!デギャァァァ!!と叫びながら 転げ回り消しとめ、そして荒い息のまま、再び雪を手に取る。
髪は焼き縮れ、服は焼け焦げ、顔を煤だらけに、体中を火傷だらけにして 雪を必死に男の体にまぶしていた。
悲鳴のような悲鳴を上げ、涙のような涙を流し、雪を運んでは雪を運んだ。
涙目で呆然とする男と目が合った真っ黒な煤だらけの親実装は、 火傷だらけの手で、男の頬を擦っては、皸の頬を赤らめて笑っていた。
春−−−
両足を骨折し、長期間入院していた男は、ようやく退院するまで回復していた。 あの火事の中、上半身を雪に覆われた男は、地元の救助隊に助けられ一命を取り戻した。 あの雪がなければ、炎に巻かれてどうなっていたかわからない、というのは救助隊の話だった。 屋根の雪が上半身を覆う形で落ちてきたのは運がいい、そう救助隊は言っていた。
男は多くを語らなかった。
男の家はあの火事の後、男の合意を得て解体された。 火事は、男の家の2階部分をほぼ全焼していた。 今では解体され、平地となっているということだ。
男はリハビリを頑張った。 何とか早くあの場所に戻りたかったからだ。 それは何かの確信に基づいたものだった。
春には、男は松葉杖で何とか自力で歩行できるまで回復していた。 男は医者も驚くような驚異的な回復力を見せ、男は退院をした。
男は戻って来た。 家は解体され平地になってしまっていた。 しかし、庭の桜の樹は、火事や雪に負けず生き残り、力一杯咲いていた。
その満開の桜の樹は、男の死んだ母がこよなく愛した桜だった。 桜の花びらは、風に乗って舞い、風に舞っては乗っていた。
その桜の樹の根元。 そこにちょこんと座る実装石の親子がいた。
親実装は、ボロボロに焼け焦げた服を着ていた。
親実装と仔実装たちは、男の姿を見つけると、 桜の花びらの舞いに合わせて、変な踊りを踊っていた。
(終わり)