『実装石のグルメ2』
◇
この公園の古参の実装石である彼女の両目は緑に変わっていた。 数日前、冬篭りの仕度をほぼ終え、以前より目をつけていた花を摘み受粉したのだ。
「だんだん動きづらくなって来たデス」
晩秋の公園を歩く彼女は、次第に大きくなるお腹を庇いながらも、 動けるうちは、食べる物を探す毎日を送った。
口に出来る物は何でも口にする。 うまい、まずいなど、言ってはいられない。
それが冬眠前の実装石である。 それが身重の実装石ならばなおさらだ。
厳しい冬を越すために、今のうちに食べ込んで、うっすらと皮下脂肪の膜を作らないといけない。
古参の実装石である彼女も例外ではない。 彼女も動けるうちは、何でも口にする。
しかし、それは闇雲に何でも口にして咀嚼して行く他の実装石とは明らかに違った。 食べる物を手にし、匂いを嗅ぎ、その食材を見定める。
その食選の目は厳しい。
「ング… ング… この味デス」
今、彼女は公園で野生している数少ないウド、ハマナスなど、美味な野草のみを選んで食べている。
「懐かしい味デス。ママと一緒によく食べたデス」
そう。彼女はグルメなのだ。
◇
身重の体は人一倍、栄養を欲する。 食べても食べても、胃は直に空腹を訴える。
「デ〜… お腹空いたデスゥ〜」
今、彼女は冬の支度のために、公園の西エリアに古新聞を仕入れに来ている。
目当てにしたタブロイド版の新聞も手に入った。 これを持って、今から東エリアの自分の塒(ねぐら)に帰れば、この冬に向けて蓄えた食糧もある。
「デ〜… ここに餌場は合ったデス〜?」
しかし彼女は、今ここで空腹を訴えているのだ。 塒に戻れば確実に食事にありつけるのだが、それは彼女の矜持が許さなかった。
古参とは言え、彼女は主に東エリア中心に生息している実装石だ。 昨年の春、突如として行われた行政の駆除後、この公園の実装石の絶対数は減りに減った。
奇しくも、それが生き残った実装石達に安定した居住区と餌の供給を保障することになり、 今の公園はある一定の治安が保障されている。 しかし、数が少ないとはいえ、テリトリーというのは存在する。
彼女の餌場は主に東エリア近辺。 この西エリアの餌場には、特殊な事情がない限り、訪れることはまずない。
「確か、この路地に餌場が合ったはずデス」
それは、最初の出産を終え、仔と共に初めて迎えた春。 どうしても、東の生ゴミ置き場で餌が手に入らず、彷徨うように訪れた公園の西の外れにそれはあった。
小さな木造のアパートの前にあったポリバケツ。 倒したポリバケツの中に這うように潜り込み、泥だらけになって手にした魚の形をした醤油のタレ瓶。
痩せた我が仔と交互で吸った記憶が蘇る。
「懐かしいデス」
彼女は頬を赤らめ生唾を飲み込みながら、記憶を辿りにその場所へと向う。
「おかしいデス。ここにあったはずデス」
記憶通りに辿り着いた場所は、20階建ての高層マンションの前だった。
「デ?」
明るい日差しに目を瞬かせながら、確かに木造アパートがあった場所を見上げる。
「………デ」
高層マンションのベランダには、布団や毛布などが干されていた。
「………同じ色デス」
一番端の部屋のベランダに干されたピンク色のタオルケットが目に入り、そう呟く。
「…………」
懐からお気に入りのピンクのハンカチと取り出し、もう1度そのベランダを見た。
「同じ色デス」
そう言って、手の中のピンク色のハンカチに視線を何度も落とした。
◇
「……ここも変わったデス」
高層マンションの周りを1週ぐるりと回り、彼女はそう呟く。
マンションの前のゴミ集積所には、きっちりと鍵のかかった囲いで閉じられ、 彼女を始めたとした実装石は、その扉の前でデーと小さく鳴くしかない。
しかし彼女のお腹は、既に食事モードに入っている。
「……デス。悔しいデス」
意地になった彼女は、その周囲を散策するが、それらしきゴミ置き場は、 既に生ゴミが収拾された後なのか、目新しい餌を手に入れることができなかった。
「デェェ……」
新聞を片手に、肩を落とし、とぼとぼと歩く彼女。 仕方がなく、空腹に耐えながら、公園へと戻る途中だった。
「デ……?」
それは公園に戻る途中の道端に捨てられたダンボールから聞こえてきた。
「デェエエエエン!! デェエエエエン!!」
「デ?」
急いで近づくと、大きな声の中にも「テェエエエエン!! テェエエエエン!!」という小さな仔実装の声も 混ざっている。
「デデ?」
丁度目線の高さのダンボールの淵から、フリルのついた実装頭巾が右へ左へ揺れている。
【拾ってください】
そうダンボールの側面に書かれた文字が彼女に分かるはずもないが、 それは飼い実装がこの場所に捨てられたのであろう事を、聡い彼女はすぐに察した。
公園の古参である彼女は、そういった場面に何度も出くわしている。 飼い実装であった事を忘れられず、ちっぽけなプライドに固執し続け、 公園に受け入られなかった同属たちも何度も見て来ていた。
しかし中には彼女の母親のように、与えられた全てを享受し、環境に順応し、 仔を成す実装石も存在することも、彼女は重々承知していた。
野良実装の社会性から見て、弱者に積極的に干渉する事は、お節介なのは承知している。 しかし、身を挺し、我が身を育ててくれた母の事を思うと、他人事とは思えないのだ。
「デェエエエン!! デェック… デェック… ご主人様、ドゴデズゥゥゥゥ〜!!」
「捨てられたデスゥ?」
彼女はダンボール越しに、元飼い実装に話しかける。
「デッ!! おまえ!! ワダジのご主人様、知らないデズゥ〜?」
ダンボールの中の元飼い実装は、いきなり話しかけられた事に驚きながらも、そう必死に問い返す。
「デ… 知らないデス」
「テェエエエエン!! テェエエエエン!! 捨てられたテチィィィーーー!! 捨てられたテチィィィィーーー!!」
「デッ!! 何て事言うデス!! これは『かくれんぼ』デス!! ご主人様はきっと近くにいるデス!!」
ダンボールの中では、必死に仔を諭す元飼い実装の悲痛な声が聞こえる。
「おまえ。私をここから出すデス!! 早く私達をここから出すデス!!」
不遜な言い様だが、元飼い実装が世間を知らないのは仕方がない。 彼女は言われるがままに、体重をダンボールにかけて、ダンボールを横倒しにしようと頑張った。
中で暴れたのも幸いしたのだろう。 バランスが崩れ、ダンボールは綺麗に横だしになり、中からフリルのついた実装服を着込んだ 実装石の親子が、転ぶようにアスファルトに、つんのめった。
元飼い実装の親実装は、顔を左右に振り、
「ご主人様ァ〜!! パトリシアは此処デスゥゥゥゥ〜〜!!」
と、公園の中に向かって駆け出した。
「テェッ!! ママッ!! ママッ!!」「テチュゥゥゥーーー!?」「テェッ!! テェッ!!」
残った3匹の仔実装たちも、親実装の後を追いかける。 その親実装が駆け出す拍子に、アスファルトに何かが落ちた。
「デ。落ちたデス」
彼女はそれを手にし、元飼い実装の親実装にそう話しかける。
「デジャァァァァ!! ぞんな物いらないデズゥ!! ご主人様ァ〜!! ご主人様ァ〜!!」
「…………デ」
彼女は呆気にとられて、公園の奥へ走り去る元飼い実装親子を見送っていた。 暫し、呆けるようにその方向を見続けたが、ふと先ほど手にした物に視線を戻す。
知識豊富な彼女には、そのビニール袋の包装紙に包まれたそれが何であるか理解できた。
「デ… 実装フードデス」
話には聞いたことがある。 彼女の母からは、彼女の母が飼い実装の頃の話をよく聞かされた。
温かい水がでる魔法の噴水。 暖かいふわふわの毛布。 そして、とても美味しい実装フード。
それは丸くて黒ずんだ物。 見た目は食指を動かす物でもないが、口に含むと、とてもとても美味しい物。
知識としてそれは彼女の脳裏にはあったが、あくまでもそれは想像の範囲内でしかなかった。
そして、それが今、偶然にも彼女の手の中にある。 正直、それを見た彼女の感想は…
「ウンコみたいデス」
手にした実装フードは、確かに丸く、そして黒ずんでいた。
◇
彼女は迷っていた。
「お腹減ったデス」
手にしていた実装フードを食べるべきか、食べぬべきか。
彼女にも、逞しく野良として生き抜き、仔を育て、巣立ちをさせた自負もある。 ダンボールハウスは暖かいし、公園に芽吹く野草は美味しいし、生ゴミも取れる。 正直、今の野良生活にも満足していたし、野良実装としてのプライドもあった。
実装フードが、何程のものぞ。
(グ〜)
しかし、それは実装石。 加えて身重の体である彼女の胃は、率直に空腹を彼女に訴えかけている。
「デ… 少しだけ食べて見るデス」
彼女は手軽な花壇の縁石に腰掛け、実装フードの袋を取り出した。 彼女はドキドキしながら、封を開け、数粒それを掴み、口に入れてみた。
「ング… ング… デ!?」
無意識のうちに、2口、3口目を手にしていた。
「ング… ング… くやしいけど… ング… うまいデス」
夢中で実装フードを口にする彼女。
「これが、ママが言っていた味デス? ング… ング…」
「ママ」という言葉を口に出した途端、彼女の口が止まった。
「デー… ママと一緒に食べたかったデスゥ」
そう呟き、手元の実装フードを見つめる。
「デ…?」
暫し呆けていると、公園の奥から近づく気配を感じた。
「デェエエエン!! デェエエエエン!! ご主人様ァ〜〜!!」
聞き覚えのある声。 それは先ほど、その実装フードを放棄した元飼い実装だった。
その姿は惨憺たるものであった。
フリルの実装服も何処へやら。 無残にフリルは毟り取られ、頭巾も服も所々破け、既に禿裸の近い状態になっていた。
「デェック! デェック! あいつ等、ご主人様に頼んで… デェック! 殺して貰うデス!!」
その親実装の後を、これもボロボロの姿で追う仔実装が2匹。 3匹中残り1匹は、親実装の手の中で、口からデロンと舌を出したまま、既に息絶えていた。
「デェ… デェエエエエ……」
親実装が、その場でピタリと立ち止まる。
「デェエエエエン!! 新しいお洋服持ってくるデスゥ〜!!」 「お風呂入るデスゥ〜!! アワアワしたいデスゥゥ〜!!」 「デェエエエエン!! お腹空いたデスゥ〜!!」
その場で仰向けになり、手足をバタつかせながら、ブリブリと下着を膨らませて行く親実装。
その横で、呆けたように実母の姿をテーと呟き、見つめる仔実装。
新参の実装石。 それも捨てられた元・飼い実装に対して行われる仕打ちとして、この公園でもよく見る光景だ。
彼女も既に見慣れたはずのその光景を目にし、手にした実装フードを見て、デーと呟く。
「お腹空いたデスゥ〜!! お腹空いたデスゥ〜!!」
途方に暮れながら、実母を見つめるその仔実装らの頭に影が差した。
「………テ?」
「落し物デス」
「………チィ」
「ママにあげるデス」
彼女であった。
「テェッ!! ママー!! ママー!! オバチャンから貰ったテチィー♪」 「フードテチィ〜!! フードテチィ〜!!」
彼女から手渡されたフードの袋を両手に持って、親実装に駆け寄る仔実装。
「デッ!! フードデス!! 寄越すデス!!」
フードのジップを引き千切り、両手で掴んで実装フードを口に詰める親実装。
「ママー!! ワタチも食べたいテチィ〜!!」 「フードォ!! フードォ!! 食べるテチィ〜!!」
仔実装たちも、親実装の口から零れるフードに群がり集る。
「デ……」
いかなる理由であれ、それは紛れもなく親子の晩餐であった。 その後、フードを食い尽くした後、親子に訪れる運命はもっと過酷であろう。
それがわかる彼女だからこそ、今の一瞬の親子の幸せも儚く見えた。 しかし、頬を赤らめ、親に縋る仔実装の顔は、今の自分にない特別な物に映った。
「…………デ」
その光景と自らのお腹を交互に見つめて、小さく呟く彼女。 彼女は無意識の内に、お腹を擦っていた。
◇
タブロイドの新聞紙は、床の面積にとてもフィットした。 それを2重3重に敷き詰めれば、保温力を上げる事ができる。
「デ… 出来たデス」
敷き終わったダンボールハウスの床に、ちょこんと座る彼女。
「デー…」
今日は色々あった。 初めて口にした実装フード。 悔しいが、まだ口の中に余韻が残るほどの風味のある味だった。 彼女の母親が言っていた味が、予想を上回る物であった事に、軽く嫉妬も覚えたりもした。
「デ… 今日は色々あったデス…」
公園の入り口で出合った捨て飼い実装の親子も思い出す。 あの親子は、この厳しい公園で生き延びることができるのだろうか。
所詮他人事だが、あの親実装の周りに寄り添っていた無垢な瞳の仔実装たちを思い出す。
「デ……」
彼女はお腹を擦り、そして唄い始めた。
デッデロゲ〜♪ デッデロゲ〜♪
早く生まれて来るデス〜♪ デッデロゲ〜♪
ママと一緒においしい物を、たくさん食べるデス〜♪
デッデロゲ〜♪
「…………」
思い出したかのように、懐からハンカチを取り出した。
「……やっぱり、同じ色デス」
『実装石のグルメ2 捨て飼い実装の落とした実装フード』(終)