実装士
『実装士1』
そのモダンな色調の洒落た空間には、老若男女の様々な客が詰めていた。 落ち着いた音楽。少し落としたブラックライトの照明。 広々とした空間に点在する椅子や机には、小奇麗な衣装を身に纏った淑女などが ブルーマティーニなどが入ったグラスを傾けながら、隣の初老の男性と談笑している。 奥まったスペースにある机には、それぞれ煌々と光る液晶ディスプレイ。 それを指差しながら、若い男女が嬉々としながら指を指している。
ここは都内の某所。 日頃のこの夏の猛暑も、この冷暖房完備のコンクリートの空間には影響なく この快適な空間に佇む客達は、銘々手に持つカクテルや談笑の時を楽しんでいた。 よく見れば、その客の多くは手に持つパンフレットらしき物を広げたり、机の上の 液晶ディスプレイを指差したり、時には腕時計を確かめたりしてどこか落ち着かない様子だった。 そんな中、場内のBGMが鳴り止みマイクの高いハウリング音が鳴り響くと 場内の騒然とした空気が一気に静まり返り、一転、拍手と歓声が場内を包み込んだ。 そんな歓声の中、ハウリング音が静まるのも待たず、場内にアナウンスが流れ込んだ。
『ご場内の皆様、お待たせ致しました。 本日のメインイベント「実装コロッセウム」を開催致します。』
割れんばかりの拍手の中、薄暗いブラックライトが明るい照明に切り替わると、 場内の中心に直径20m程の砂地のフィールドがライトアップされた。 歓声が一段と盛り上がる。大声でフィールドに向かい叫んでいるのは3階席の男だ。 見ればこの空間。今まではブラックライトによる照明のため、全域までは把握できなかったが、 約2mほどの壁に囲まれた1階に設置されたフィールドを中心に、2階席から5階席まで 備えたかなりの体積を有する空間であると言える。 各階からは乗り出すように、フィールドを食い入るように見る客達。 落ち着いた客たちは、銘々の席に備え付けられた液晶ディスプレイで映されたフィールドの映像を グラスを傾けながら見ている。
そんな異様な熱気の中、アナウンスが引き続き流れてくる。
『本日の設定は、平穏な公園へ乱入した犬と闘う実装石たちです』
大喝采が起こる。その場で何度も飛び跳ねて奇声を上げるのは虐待派だろうか。 イヒッ!! イヒッ!!と口から何度も奇声を上げながら、泣きそうな顔でフィールドを見つめている。
『本日の実装石の総数は50匹。乱入する犬は、こちらの3匹です』
1階からの吹き抜けの天井には四面の大型ディスプレイが設置されていた。 その映像が切り替わるや、一層の熱気と歓声が場内を包んだ。
「土佐犬だっ!!」 「そうだ!! 土佐犬だっ!!」
控えゲージの中で佇むその悠々たる体躯。炯々とした眼光。威風堂々たる様。 まさしく闘犬の中の闘犬。成体となって何ヶ月か経つであろう若い土佐犬であった。
「こりゃぁ無理だ。3分もしない内に全滅だぜぇ! ヒャッハー!!」
先ほどの男が声を裏返しながら銀縁眼鏡の奥を怪しく光らせる。 そんな騒然とした場内の中、アナウンスは淡々とこのゲームのルールの説明に入る。
『このゲームはサドンデスルールを採用致します。 制限時間30分の間に、今から放たれた実装石が1匹でも生き残った場合、 実装石側の勝ちと致します。また30分以内の間に、実装石が全滅した場合、 実装石側の負けとなります。その場合、全滅までの時間を賭けて頂くことになります。 オッズは以下の通りです。』
天井の掲示板にオッズ表が表示されている。 ここに招かれた客達たちは、入場の際に手渡された特性PDAや自分の携帯からInternet経由で 自分のチップをそのオッズに賭けて行く。 中には純粋に賭け事という射光心に心を奪われる客もいよう。 しかし、この中に集った客の多くは違う。 これから起こるであろう虐殺の光景を、生唾を飲み込みながら待ち焦がれている客ばかりなのだから。
『では、本日の挑戦者。実装石たちの入場です』
大きな歓声と共に、フィールドの壁の一角が開いた。 一斉に場内の歓声が狂気じみたトーンへとヒートアップする。 その狂気じみた熱気に圧倒されたのか、一角から覗く暗いケージの中からは 赤と緑に光る無数の光が揺れ、瞬いているのがわかる。
「実装!! 実装!! 実装!! 実装!!」
自然に歓声が一つの生き物のようにうねり、実装石をフィールドに誘うような掛け声へと変わって行く。
「デッ!! デデッ!!」
ゲージの奥から棒で突付かれているのだろうか。 1匹の実装石が突き出されるようにフィールドの中へと転げ出た。
「うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!」
「デッ!? デデッ!?」
1匹目の実装石を認めるや否や、地の底から湧きあがるような歓声。 「殺せ!!」「死ねぇぇっ!!」と言った怒号もその歓声でかき消される。
「デッ!? デッ!? デスァ!?」
瞳孔を見開きながら、兎唇を大きく広げ、左右を鳥のような仕草で何度も見回す実装石。
「デェェ!? デデデェ〜!?」
その実装石が佇む砂地の周囲は、しっとりと濡れ始めている。 彼女の下着もゆっくりであるが、むくりむくりと緑色に育ち始めている。
「ヒャッハー!! パンコンしてやがるぜぇぇぇーー!!」
何が面白いのか、虐待派の男もパンコン寸前で指を指しながら腹を捩っている。 そうしている内に、ゲージの中の残りの実装石も追い出されるようにフィールドに出始めた。
「デスゥ〜ン♪ デスゥ〜ン♪」
周囲に向かい只管媚びつづける者。
「デェッ!! デェッ!!」
歯をガタガタと鳴らしながら、直立不動で震える者。
「デェェェェ〜〜ン!! デェェェェェ〜〜ン!!」
見知らぬフィールドとその異様な雰囲気に中てられたのか。 円状のフィールドの周囲を天を仰ぎながら泣き回る者。
中にはどこで手に入れたのか、車の玩具でデプー♪デプー♪と遊ぶ大物もいる。
総勢、成体実装石が50匹。 全ての実装石が、この直径20mのフィールドの中に入場した。 歓声がかき消されそうな中、アナウンスが続く。
『なお本コロッセウム・ルールにより、実装石たちには武器の携帯が許されます』
アナウンスと同時に中央の入り口から係員が現れる。 手にはダンボール。その中には実装石用にアレンジされた樫の木の木片のような物が 人数分入れられていた。
「デスァ!! デスデェース!!」
係員にこの状況に文句を言う者。
「デェッスッ!! デェスッ!!」
武器を地面に並べ終え、立ち去る係員のズボンの裾を引っ張る者。
「デッスゥ〜ン♪ デッスゥ〜ン♪」
両手でスカートを持ち上げ、緑色の下着を見せて、只管媚びつづける者。
そんな努力も空しい徒労に終わったと気づかないまま、係員が消えた後、再び場内にアナウンスが響いた。
『ではオッズを締め切ります。では中央ゲージより土佐犬の入場です』
場内から割れんばかりの拍手と歓声が響き渡る。 実装石はその異様な雰囲気に戸惑うばかりだ。 両手を耳に当てて震える者。デスァ!!デスァ!!と地面の砂を掘り始める者。 他人のパンコンしたスカートの中に顔を埋め、パンコンする者。
「デブ〜♪ デブ〜♪」
車の玩具で遊ぶ彼女の他は、皆異様な雰囲気に身を縮ませた。
「楽しみですわ」 「派手に死んでくれよー!!」
そんな場内の空気が最高潮に達したのは中央ゲージが開いてからだ。
(ガラッ!!)
「うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!」
まずケージの檻に入れられた1匹の土佐犬が、フィールド内に露になった。 しかし、まだ檻自体は開けられていない。この檻が開く時、まず1匹目の土佐犬が 自由になるという事である。
「うわぁ〜はっはっ!! 見ろよ!! あの無様な格好をっ!!」
最高潮に達したのは場内の空気だけではない。
「デギャァァァァァッッッ!!!」
両の目から涙を流し、両手をバタつかせながら、文字通り蜘蛛の仔のように四散し始めた 実装石たちのボルテージも最高潮に達していた。
「デスァッ!! デスァッ!!」
腰が抜けたのか唸る土佐犬の方向のみを見つめながら、後ろずさりをする実装石。 片手は耐えず前方の宙を掻き続け、土佐犬に対して無駄な抵抗を続けている。
「デェェェェェ〜〜ン!! デェェェェェェェ〜〜ン!!」
フィールドの周囲を駆け巡っていた実装石は、壁際を一生懸命登ろうと躍起だった。 絶壁とも言える壁に向かい、ぺしんぺしんと叩きながら、耐えず後ろ目で土佐犬のゲージに目をやる。
「デェッ!! デスァ!! デスァ!!」
必死に逃げようとする。その時、がらりという音と共に登ろうとした壁が開いた。
「デスァ!! デスァ!! デェ…… デェェェェッ!!」
見れば目の前にも、檻の中に唸る土佐犬がすぐ目の前に見える。
「ゥゥウゥ〜… バウゥ!!」
「デヒィッ!! 」(パキン)
その実装石は、泡を噴きながら動かなくなった。 それを見ていたギャラリーも、声を上げて大笑いする。
見れば別の場所でも、四散したはずの実装石たちの悲鳴が聞こえる。 合計三箇所。円状のフィールドの内部の等間隔の3個所に、檻に入った土佐犬が露になっていた。
「デギャァース!! デギャース!!」 「デスァ!! デスデェース!!」 「デェックッ!! デェックッ!!」 「デスゥ〜ン♪ デスゥ〜♪」 「デプ〜♪ デプ〜♪」
自然、実装石たちは数箇所に固まるようになっていた。 一番多い場所はフィールドの中央だ。3箇所に現れた土佐犬に追いやられる形となり 自然に集まった場所であった。 あとの数箇所は、腰が抜けて動けなくなっているのか。 円状のフィールドの壁沿いに数匹、張り付くように固まり震える実装石。 この状況下で、このような膠着状況が続くようになった。
「あっはっはっ!! 見ろよ!! あの無様な格好っ!!」 「みんなパンコンしてるぜぇ!!」 「どんな内臓の色してるのかしら。ねぇねぇちゃんとカメラで撮ってよ」
場内も少し落ち着いてきたのだろうか。 ゲームが開催される前の状況を冷静に受け止めるまで時間が経過していた。 と、同時に天井の掲示板には「30:00」という表示が成されると同時、どよめくような 歓声が再び場内を包むことになった。 何度もこのゲームを目の当たりにしている客なら知っているのだ。 このサドンデス形式のゲームにおいて、カウントダウンの表示が出される事は まもなくこの宴が始まることを意味している事を。
「いい声で鳴いてくれよっ!! 糞蟲ども!!」
『ではゲーム開始で……』
場内のアナウンスがかき消されるほどの歓声と同時に、まず1つめのゲージが開かれた。
(がるぅぅ……)
実装石たちの視線には、ゲージから飛び出した土佐犬の動きすら読めなかっただろう。 目に映ったのはゲージから飛び出した何か黒い影らしき物の残像だけだった。 狩場に解き放たれた犬の野生の本能は、この場に殺戮をもたらすには十分な物であった。
「デデデデデデデ……デ?」
壁沿いに張り付くように震えていた実装石は不思議な光景を目にした。 今まで黒い壁ばかりが目に映っていたのだが、今目の前に広がるのは明るい光を地面にしながら、 超高速で動く映画のような映像だからだ。
「デスゥ? デスゥ?」
実装石は首を傾げながら、その不思議な光景に対して、口元に手を添えようとする。
「デス……?」
あれ。おかしい。 口元に手を添えようとしているのに、手が動かない。何でだろう。
実装石の生首を咥えながら、超高速で掻ける土佐犬の口の中で、実装石はもう数秒程思考してから 事切れた。
「デギャァァァーー!!!!」 「デスァ!! デェェェェェッ!!!!」
壁沿いにいた実装石たちが次々とその土佐犬の犠牲になっていく。 その殺戮の様を見つづける中央の実装石たち。 既に数匹はパンコン椅子に腰掛けるようにして、歯茎を鳴らしながら涙目でその酸鼻な様子を ただ見つめるしかなかった。
「ヒャハッーー!!! やるじゃねーか、ジョン!!!」
勝手に土佐犬に名前をつけて悦に入る虐待派。 彼がかけているオッズは、絶滅までの最短時間3分である。 この様子では、実質3分もかかるまい。あと1分もすれば2匹目の土佐犬のリリースもあるのだ。 彼は自分の賭けた結果になると信じ切り、股間を熱くしながらただ只管ヒャッハーする。
この場内にいるギャラリーは、ほぼこの後に繰り広げられる虐殺の場を想像して興奮していた。 誰もがただ震え逃げ惑うだけの実装石の凄惨な死に様を期待して喝采を上げていた。 だから誰も気がつかなかったのだろう。 この中央で震える実装石の中で、ただ震えるだけではない実装石たちがいた事に。
その数は多くはなかった。 50匹リリースされた実装石の中で、数えてわずか10匹。 その実装石たちは、フィールドの中央で震えながらも、必死に駆け回る土佐犬の動きを見つめていた。
土佐犬が右へ駆ければ、目は右へ。 土佐犬が左へ駆ければ、目は左へ。
その彼女らは、ひたすら機会を伺っていたのだ。 その総勢10匹の彼女らの周囲では、だらしなくパンコンを続ける者ばかりたち。 例外で言えば、いまだ車の玩具で遊びつづける実装石を除いてだが。
そんな彼女たちが動いたのは、1匹目の土佐犬が壁沿いの実装石を粗方始末し終えた後、 中央に固まる集団に狙いを定めた時だった。 中央に向かい駆け始める土佐犬に対し、ギャラリーの声も一段とヒートアップする。 誰もが絶対的な力による殺戮の結果を予想していた、その時であった。
「パンコンッ!!」
10匹の実装石の中の1匹。 リーダーらしき、その1匹の実装石が悲鳴にも近い号令のようなものをかけたのだ。 首には赤いの首輪。胸には薄汚れたピンク色のワッペン。そこには彼女の名らしき ものが消えかかった文字で書かれていた。 この激しい騒然としたこの修羅場では、その薄汚れたワッペンの文字は読み取ることはできない。
その彼女が再び迫り狂う土佐犬に対して、再び号令を発する。
「パンコンッ!!(投糞ッ!!)」
するとその10匹のうちの後列にいた5匹が、迫り狂う土佐犬に対して、自らの下着の中の糞を 掴み投げつけたではないか。
不意をつかれたのはギャラリーも同様、土佐犬も同じであった。 犬は人間以上に嗅覚に鋭い生き物である。 実装石の糞は人ですら鼻をつまむ特有の匂いを発する事で知られている。 その糞が不意に自らの目と鼻を襲ったのである。 闘犬中の闘犬である土佐犬でも、この事態に対しては、身を捩り攻撃を止めざるを得まい。
何匹の実装石が手に持つ樫の木を振りかざし、身を捩る土佐犬に対して近づこうとするが それを制したのはリーダーらしき彼女であった。
「次が来るデス!!」
彼女の言う通り、計ったかのように2匹目のゲージの扉が開いた。
「蛆ちゃんっ!!(紡錘陣形っ!!)」
彼女が再び号令をかけると、10匹の実装石たちは隊列を組み始める。 5階席から見れば、それはまるで紡錘系の陣形のように見えた。 そして、それはまるで「蛆ちゃん」のような1匹の生き物のように動き始めたのだ。
駆ける2匹目の土佐犬。 それに向かい駆ける10匹の実装石。
「デギャァァーー!! デギャァァァーー!!」
10匹以外の実装石たちは、ただ恐れ、戦き、逃げ惑うだけだった。
その戦闘に立つ赤い首輪をした実装石は、両手に樫の木を抱き、引きつる表情で 目の前の恐怖に向かい駆けていた。 その擦れたワッペンには、消えかかった文字で「ミミ」と書かれていた。
(続く)