『実装士2』
都内の某所。 この広い空間は異様な熱気に包まれていた。 歓声や嬌声、そして奇声に近い叫び。手を打つ拍手、喝采、怒号。 全てを包含した巨大な獣のうねり声のような咆哮が、この空間の中心部であるフィールドに注がれていた。
「殺せッ!!」 「実装を喰い殺せっ!! 土佐犬っ!!」
悲鳴にも近い声が木霊する。 刻一刻と、1階部分からの吹き抜けである天井に設置している電光掲示板が 時を少しずつ刻んでいた。 そのフィールドに注がれる声の中には、動揺を隠せない種のざわめきが含まれている事に 誰も気づき始めていた。 その電光掲示板が示す時。それは既にタイムリミットである30分のうち、 すでに残り10分を切っていたのだ。 誰もが予想だにしない事態に、このフィールドは突入していた。 誰もが少なくとも10分以内での実装石の全滅を予想していたはずだった。 土佐犬3匹に対して、誰も実装石たちが20分も生き長らえるなど予想もしまい。 電光掲示板に表示されるオッズの倍率に、賭けに外れたギャラリーも奇声を上げていく。 それ以上に一層に歓声が高くなる。
「うおおおぉぉぉぉぉぉ!!!」
今まさに、フィールド上の実装石が、2匹目の土佐犬の沈黙に成功したからである。
「デェ!! デェ!! 次っ!! 来るデスッ!!」 「隊形を整えるデス!! ママを中心に円陣を敷くデス!!」
ママと呼ばれたのは、赤い首輪の彼女か。 転げまわる土佐犬の顔には、緑色の頭巾が巻かれていた。 その土佐犬の近くの壁には、超高速で頭をぶつけたのだろうか。 木製の壁が凹んでいる痕に血塗られた土佐犬自体の血がまだ生々しかった。
ギャラリーは先ほどの事態にまだ理解を示せぬまま、どよめきと怒号を交差させる以外にはない。 電光掲示板がモニターに変わると、先ほどのシーンがスローモーションで映し出される。
赤い首輪をした実装石と何匹かの実装石がスクリーンに映し出される。 その実装石たちに向かい、犬歯から涎を流したまま襲い掛かる土佐犬。
赤い首輪をした実装石が、その土佐犬に向かい再び何かを叫ぶ。
「託児っ!!」
リンガルを近距離で持った者であれば、そう翻訳されたであろう。 すると、数匹の実装石が赤い首輪をした実装石の足元に膝ざまついたかと思うと、 何とその実装石を担ぎ上げたのだ。
超高速で交差する土佐犬と実装石たち。 その土佐犬の背に向かい、身を翻すように実装石たちは右に避けたかと思うと、 両の手を宙に上げ、赤い首輪の実装石を土佐犬の背へと押し上げたのだ。 そこからは、背に乗った実装石の独壇場であった。
巧みなバランスを取り、自らの頭巾を外しながら、何とそれで土佐犬の視界を塞ぎ始める。 その間、土佐犬の背に託児されたかのよう乗ってから、わずか数十秒。 そして、その結果が今フィールドで壁に激突し、泡を噴き悶絶する土佐犬の姿なのである。
「集まるデスッ!! ママを中心に集まるデスッ!!」
何匹かの実装石が、赤い首輪をした実装石を中心に集まる。 それを警戒するように伺いながら、遠巻きに唸り声をあげる3匹目の土佐犬。 土佐犬も馬鹿ではない。先ほどの2匹目。そしてフィールドの右奥で鼻と口に糞を 押し込められ、小さな痙攣を繰り返す1匹目。 目の前にいる実装石たちは、単なる狩の獲物ではない。 驚愕すべき戦闘力を持った、自分らと同じ狩人であることを認識し始めたのだ。
「なんだ、あいつら!! 糞蟲の分際で!!」 「殺せェ!! 実装石は殺してナンボのもんなんじゃぁ!!」
場内が在り得ぬ事態にますますヒートアップする。 3匹目の土佐犬が躊躇しながら、円陣を組む実装石たちに距離を取る。 土佐犬にとって、このゲームのタイムリミットなど理解はしていない。 ただ本能として、彼奴らは危険である、と告げた上での行動なのだ。 しかし、それが遅滞行為として、彼女らの命を延命される行動に繋がっているのは皮肉としか言いようがない。
「急げぇ!! 糞犬ッ!!」 「実装石を殺せッ!!」
フィールドに生き残っている実装石は合計14匹。
赤い首をした実装石を中心として集まるのが10匹。 壁際でパンコンしながら震える実装石が2匹。 片手を喰いちぎられ、ママァ〜!! ママァ〜!!と叫び続ける実装石が1匹。 そして、フィールドの中央で、いまだ車の玩具で遊びつづける実装石が1匹。 計14匹が、いまだタイムリミットを8分残したところで生き残っているのだ。 主催者側としても、このような事態は想定はしていなかった。
「デッ!!」
赤い首輪をした実装石が軽く掛け声をかける。 すると周囲の円陣が、何とじわりじわりと土佐犬に向かってにじり寄るではないか。
「デッ!! デデッ!!」
再び号令。 そのスピードは少しずつスピードを上げる。
「ゥゥゥゥ〜… バァゥッ!! バゥッ!!」
唸り声を上げ、その実装石たちに声を荒げる土佐犬。
「シャァァァァァァ!!」 「デシャァァァアッ!!」 「デジィィッ!! シャァァアァァッ!!」
何と負けじと円陣の前方の実装石たちが、逆に威嚇音を返し始めた。
「ウゥゥゥゥ〜〜…」
「ジャアアアアアアッ!!」 「ギャァァァァースッ!!」 「デシャァァッ!! シャァァァァッ!!」
黄色い犬歯を剥き出しにし、涎を縦に引きながら、威嚇をする実装石。 眉間に深い皺を寄せ、瞳孔を真ん丸に見開かせながら、睨みつける土佐犬の目を離さず逆に睨みつける。
「デシャァァァアッ!!!!!」
会場がどよめき始めた。 じわりじわりとだが、土佐犬の方が後ろへと退いているのだ。 逆に土佐犬を追い詰めていく実装石たち。
「ジャァァァッ!! デジャァァァァァーーーッ!!!」
赤い首輪をした実装石が、さらに1歩踏み込んで、両手両足を地についた野生の姿で さらに高らかな声で威嚇の駄目押しを押した。
「ゥゥゥ〜〜ッ!! 〜〜〜ゥッ!!」
明らかに土佐犬の方が劣勢だった。 身は竦み、耳は後ろに倒れ、口から漏れる威嚇音もどこか弱々しい。
「ジャァァァァーーッ!! ジャァァァァーーッ!!」
会場の中に溜息にも近い、低いどよめきが漂う。 見ればフィールド。10匹の実装石の威嚇に震え、身を低い姿勢に置いた土佐犬が クゥゥゥ〜〜ン クゥゥゥ〜〜ンと何とも弱々しい声を漏らしているではないか。 ギャラリーが天を仰ぐ電光掲示板には、既に1:00を切ったタイムリミットの表示。 この実装石たちを虐殺するはずの狩人たちが3匹、その無様な姿をさらけ出していた。 残り数十秒はあるが、もう勝敗は喫していた。
『30分が経過致しました。このゲーム、実装石側の勝利です』
ゲームの終了を告げるアナウンスと共に、悲鳴にも近い声と共に場内は騒然とする。
『実装石側の生存数14。当選者は残念ながらありません』
このゲームでは、実装石側の勝利に賭けた場合、その生き残り数を当てなければオッズの配当を 得ることはできないシステムになっている。 酔狂な者が賭けていたとしても、生存数が14という数は誰も予想だにしない数字であった。
『本日の配当金は、キャリーオーバールールに基づき、次回のデス・ゲームへと持ち越します』
溜息にも近い声があちこちにも聞こえるが、配当者が出なかった事がせめてもの救いであるのか、 皆、苦笑いのような表情を浮かべながらも、この死線を乗り越えたフィールドの中の実装石たちを 改めて興味深くまじまじと見つめるのだった。
「実装ーっ!! 次は潔く死ねよーっ!!」 「この糞蟲野郎っ!! 性懲りもなく生き残りやがって!!」 「土佐犬も土佐犬だっ!! 何だ、情けない!!」
そんなギャラリーたちの罵詈雑言も耳に入っていないのか、生き残った実装石たちは 赤い首輪をした実装石たちの周りへと集結し始める。
「デェ… デェ… デェ…」 「デフー… デフー…」
誰も彼も肩で息をしている。 目元には先ほどの恐怖のためか、血涙の跡も生々しい。 ようやく恐怖が実感し始めたのか、ガタガタと歯を鳴らし始める者。 デェェェェーン!! デェェェェーン!!と泣き始める者。 身の凍るような死線を乗り越えた実装石たちの姿がそこにあった。
「安心するのは早いデス。デデは、生き残っている者を回収するデス」 「デス」 「デスンは死体からまだ着れそうな服を回収するデス」 「デスン」
「残りは周囲を固めるデス!! 犬はまだ沈黙してないデス!! 気を抜いてはいけないデス!!」
フィールドを照らすライトが少しずつ消えて行く。 会場には元のブラックライトが点灯し始め、小気味よいBGMが徐々に鳴り響き始める。
今日の戦いは終わったのだった。 同時に後ろの壁のゲージの扉が開く音がする。 実装石たちは生き残った仲間を担ぎつつ、まだ苦しむ土佐犬を警戒しながら、ゲージに向かって 少しずつ後退しはじめた。
ライトが少しずつ消えて行く。 もう少しも経たない内に、このフィールドも元の暗闇の空間に戻っていくだろう。 赤い首輪の彼女は警戒を怠らず、後ろへと後退して行く。 しかし、その目は土佐犬の方向ではなく、暗闇に消えて行く2階から5階の客席へと絶えず向けられていた。
「デッ!! デッ!!」
彼女の目が客席から客席。 暗闇へと溶けていく2階席から3階席。 何かを必死に見つけんと、その目は踊るように追っていく。
(今日は来てるデスッ!? ミミはここにいるデスッ!!)
視線は4階席から5階席へ。
(ミミは今日も生き残ったデスッ!!)
その視線は目的の人物を見つけることなく、暗闇の中で絶えず光るように蠢いていた。
(見つけて欲しいデスッ!! ミミはここにいるデスッ!! ママッ!! ご主人様ッ!!)
◇
「なんたる失態だっ!!」
怒声と一緒に灰皿が壁にぶつかる音が部屋一杯に広がった。 マホガニー製の分厚い机の前で、肩を揺らして声を荒げる男がいる。
「ですが、お客様たちはキャリーオーバー制の適用で次回のデス・ゲームに期待されております」
「馬鹿野郎ッ!!」
再び男に叱責を受けるのは、サングラスをかけた男だった。
「おまえ、何年ここで働いている?客はここに何しに来てるかわかっているのか?」
激昂を続けるのは男の口調からは、どうやらこのサングラスの男よりも身分が上なのがわかる。 しかし、その男の顔はまだ青々しい若さを保った青年の顔のように見えた。 むしろ叱責を受けているサングラスの男の方が年齢が上のように見える。
「……………」
「客はな、ここに実装石の無様な姿を身に来ているわけだ。実装石の悲鳴。絶望の声。 飛び散る腸(はらわた)。最後まで自らの死を理解できない愚かな最後!!」
男は少し落ち着きを取り戻しながらも、荒い口調で続ける。
「なのに今日の結果は何だ!! 絶滅するはずの実装石たちが生き残り、狩り立てる側の 犬が実装石に怯え戦闘不能!! こんな失態を客に見せて、おまえは恥かしくないのか!!」
男は爪をカリリと噛みながら、苛立ちを隠せないようでいる。 そして、思いついたかのようにサングラスの男に向かって言う。
「明日だ」
「……は?」
「明日のメインイベントの実装コロッセウムには、今日生き残った奴らをもう1度出させる」
「しかし、規程では最低3日の休暇を与える事になっています。連続しての戦闘は、実装石の 偽石にも相当のストレスを溜めることになるかと…」
「馬鹿野郎!!」
二つ目の灰皿が飛んだ。 サングラスの男が避けなければ、それはサングラスの男の額に当たっていただろう。
「……俺は我慢できないんだ。奴ら… 今日生き残った奴らだ!! 絶対今頃、俺達の事を 藁っているに違いない!!」
ここまで来ると、神経衰弱に近い物もあったが、サングラスの男は敢えて口を挟むのを止めた。
「わかりました。としあき様」
サングラスの男が言う。
「明日のデス・ゲームでは、確実に実装石たちを仕留めるハンターを用意致します」
サングラスの男はそう言って、この都内某所に構える非合法実装カジノの経営者「双葉としあき」を 宥めるしかなかった。
この仕事は給金もいい。 何せ実装石という掃いても湧いて出る物を扱い、金を産むという錬金術のお零れをまだあずかっていたい。 ならばこの雇い主の一事の機嫌を損ねるのは、あまりいい事ではないだろう。 サングラスの男は深々と頭を垂れて、その部屋を辞した。 そして、今日生き残った実装石たちを狩るであろう明日のハンターの仕入れを、頭を捻って考え込んでいた。
◇
「やったデスゥー!!」 「今日も生き残ったデスゥー!!」 「もうアリサ、パンコンしそうデスゥ〜♪」
直径20mのフィールドの地下には、大量の実装石が保管される大型のゲージが並んでいた。
暗く湿った快適と言えない空間だったが、何日も褥(しとね)としたこの藁草のあるゲージに 戻れた喜びに、また今日も無事に生き残れた喜びに、銘々が歓喜の声を上げていた。
「ママ、やったデスゥ!!」 「そうデス!! ママのおかげデスゥ!!」 「ママは世界一デスゥ〜!!」
赤い首輪をした彼女を賛するように、生き残った実装石たちが周囲に集まってくる。
「ママ〜!!」 「やったデスゥ〜!!」
年齢差を見れば、親子ほど離れているようには見えない。 中には、赤い首輪の彼女よりも年老いた実装石も、彼女を「ママ」と呼び頬を赤らめていた。 彼女ら実装石にとって「ママ」という呼び名は特別な物なのかも知れない。 この死と隣り合わせの空間に置いて、己の無力さを極限にまで感じ、絶望の淵に追い詰めれた状態で、 生きる術を与えてくれる頼れる者を必然的に「ママ」と呼ぶのは自然の理なのかもしれない。
「デェック!! デェック!! おてて痛いデスゥ〜!! お家ッ!! 帰るデスゥ〜!!」 「ご主人様ァ〜!! ご主人様ァ〜!! ミランダはここデスゥ〜〜!!」 「ここは何処デスゥ? 糞汚い場所デスゥ…」
そんな歓喜に揺れる実装石を他所に、ゲージの隅ではさめざめと泣き続ける実装石たちがいた。
本日生き残った実装石は14匹。 赤い首輪の彼女に率いられた9匹の他、運良く生き残った4匹の実装石たちも、このケージに入れられていた。
さめざめと泣く3匹と…
「デプ〜♪ デプ〜♪」
車の玩具で遊びつづける1匹。
「デェェェェーン!! 臭いデスゥー!! 帰ってお風呂入るデスゥー!!」 「デスン… デスン… 夢デスゥ… こんなの夢デスゥ…」 「デププッ!! おまえら何デスゥ? みすぼらしい格好デス。デププッ!!」
このまだ状況を理解しきれない新入りたちに、誰も冷たい目を向ける者はいなかった。 わずか数週間から数ヶ月前。自分たちもこの新入りたちとまったく変わらぬ状況であったからだ。
「デププッ!! こいつズキンないデス。デププッ!! 糞蟲デスゥ!!」
新入りの1匹は、自ら着るフリルのついた実装服を見せつけるように、デププッ!!と ゲージ内の実装石たちを見ては侮蔑の笑みを浮かべている。
「デスン… お腹空いたデスゥ〜 デスン… プリン食べたいデスゥ〜」
1日でも長く生き延びるために。少しでも生存率を上げるために、彼女らは戦わなければならない。 この新入りたちにも戦闘の基礎を叩き込む。陣形のイロハやブロックサイン。 過酷なフィールドで生き残るために出来得る準備は、全てやり切らねば、彼女らは明日すら 生き延びれないのだ。
「もう休むデス… 明日はこいつらも混ぜて、戦術の練り直しデス」
休むのも戦いだった。 何時起こされ、何時いきなりフィールドに連れ出されるか。 その緊張感の中、休めるうちに休んでおかねば、戦場では命取りになりかねないのだ。
「さぁ、おまえ達も休むデス」
赤い首輪の実装石が、新人たちに言う。
「デッ!? こんな糞汚い所で寝るって言うデス? おまえ頭おかしいデスゥ?」 「デェェェーーン!! デェェェーーン!! ここから出して欲しいデスゥー!!」 「デスン… デスン… ご主人様ァ… デスン」
頭が混乱し、何をどうしてかいい新人たちであったが、先ほどの極度の緊張感の解放のせいか、 1時間もしないうちに彼女らも眠りについた。
ケージ内の実装石たちが眠りについていく。 それを見届けた赤い首輪の実装石も、ケージの奥の積んだ藁の上に横たわった。
「…………………」
ごそごそと藁の中に手をやる。 その藁の中から取り出したのは、1枚のボロボロの写真であった。 その写真には、優しそうな笑顔の男と幸せそうな笑みを湛えた成体実装石。 そして、赤い首輪をした今にも飛び跳ねんとしている仔実装が写っていた。 赤い首輪をした実装石は、しばしその写真を見つめて頬を赤らめる。
「(次こそ、きっとご主人様とママが来てくれるデス…)」
写真を藁の中へと戻す。
「(生きていれば、絶対に会えるデス。ミミにきっと会いに来てくれるデス)」
赤い首輪の実装石、ミミも瞼を閉じ、眠りに入った。 約1匹を除いたゲージの中の総勢14匹の実装石が眠りについた。
「デプ〜♪ デプ〜♪」
過酷な長い、とてつもなく長い1日の終わりだった。 この彼女ら14匹に、この後死ぬよりも厳しい過酷な試練が待ち受けるなど、 この中にいる誰も想像だにしていない。
(続く)