『実装士7』
実蒼石は、ずらしたシルクハットの隙間から、
片足で必死にバランスを取る実装さんの姿を見つめていた。
あの馬鹿はやったのだ。そう思うと高揚感にも似た達成感を何故か自分も感じていた。
実装さんが痛みのためか泣いている。
その轟くような声も、朦朧とした自分の頭には届いていない。
その実装さんがバランスを崩し、尻餅をつくような形でゆっくりと後方に倒れる。
丁度、自分が伏せっている砂地の辺りだ。
ゆっくりと、スローモーションのように、その大きな胴体が自分に向かって倒れてくる。
おそらく即死だろう。
実蒼石はそう思いながら、目を閉じ、自分の半生を走馬灯のように追ってみた。
親の顔は知らない。気が付けば、自分は公園で花を見つめていた。それが一番最初の記憶。
そして公園を彷徨い、ご主人様に出会った。ご主人様は自分を家族のように迎え可愛がってくれた。
名を授け、服を与え、鋏にもリボンをつけてくれた。
自分と同じ色の蒼いリボンだ。それは夢のような心地だった。
そして、ご主人様と出合った公園で、自分は捨てられた。
探しても探してもご主人様は見つからなかった。
今思えば、捨てられたというのは自分の思い込みであり、
ご主人様は、実はまだあの公園で自分を探し続けているかもしれないと思うことはある。
しかし、こうなってしまっては、もう考えても詮無き事だ。
目の前に迫り来る肉厚。実装さんの背中だ。
最後に一筋の涙と共に、実蒼石は呟いた。
「ご主人様…… もう1度、会いたかったボクゥ……」
(どぉおぉおぉぉぉ〜〜〜んっ!!!)
不思議と痛みはなかった。
その代わり、奇妙な浮遊感と、そして耳元で喘ぐ息遣いが聞こえるだけだった。
実蒼石は擦れる目をこじ開け、その息遣いの主を見やった。
それは、あの実装石だった。
ご主人様と何度も情けなく呟くあの実装石だった。
巨木が倒れるようにゆっくりと加速度を増し、自分目掛けて倒れ込んでくる中。
この実装石は自らの命を危険に晒しながらも、自分の体を死地から引き摺るようにして、
助け出したのだった。
「……どうして助けたボクゥ?」
実蒼石は問う。
「ついでデス… ついでに助けただけデス!!」
実装石は、にべもなくそう答えるだけだった。
ついでどころなものか。
実蒼石は朧気ながらに、実装さんの倒壊の音に紛れて、ある音を耳にしていた。
「ぐき」とも「びち」とも聞える乾いた音と小さな悲鳴。
この実装石が今引き摺るこの右足の負傷は、あの実装さんのに巻き込まれたものに違いなかった。
「デホンッ!! デフンッ!!」
「ボフンッ!! ボフンッ!!」
ミミはびっこを引きながらも、砂煙と粉塵の舞う中、実蒼石を肩に抱きふらつきながら歩き続ける。
「ママァ!! ママァ!!」
「よかったデスゥ!! よかったデスゥ!!」
そのミミに駆け寄り、ミミの無事を心の底から喜ぶ実装石たち。
「こいつっ!! ミランダを切りつけた奴デスゥ!! 顔、覚えているデスゥ!!」
同じく駆け寄った新人実装石のミランダが、ミミが担ぐ実蒼石の顔を見て叫び出す。
「デッ!! 蒼い奴デスッ!!」
「蒼い奴は敵デスッ!! 蒼い奴は敵デスッ!!」
実装石たちが、ミミが担ぐ実蒼石を目にしてそう叫んだ時、ミミの後方から地が唸るような咆哮が聞こえた。
『デエエェェェーーーンッ!!』
それは、覚醒する巨神兵のように起き上がりながら、口を大きく縦に裂きながら咆哮する実装さんだった。
巻き上がる砂煙から微かに覗くその充血した目からは、赤色と緑色に光る大量の血涙が目視することができる。
『デェック! デェック! デエエェェェーーーンッ!!』
「総員ッ!! パンコンッ!!」
この咆哮を聞いては、蒼い奴どころではなかった。
今倒さねばならぬ敵が、目の前で覚醒しようとしているのだから。
ミミの下へ集まった実装石たちは、総員ミミの号令の下、各自下着の中に手をまさぐり、
下着の中の緑色の粘液質な糞を取り出し、それを軽く手で練りながら投糞を始める。
「狙いは、奴の頭部デスッ!! 目鼻口を塞ぐデスッ!!」
ミミは実蒼石を手頃な砂地の上に投げ置き、痛い右足に歯を食い縛りながら、実装石たちに指示を与える。
『デェッ!! デェッ!!』
実装さんは、糞の礫を嫌ってか、片手で宙を掻く仕草を何度も繰り返す。
「第2投!! 間髪いれず投げるデスゥ!!」
ミミが攻撃の手段を投糞に選んだ理由は、腰をついている実装さんの現在の状況にあった。
実装石の投糞能力であれば、背丈が3mもある実装さんの頭部には当てることすら適わない。
投糞は、実装石の持つ数少ない攻撃手段の一つである。
実装さんの長身により、その攻撃手段を削がれていたわけであるが、
現在のように腰をついた状態であれば、辛うじて投糞の範囲内に収まっている。
「弾幕薄いデスゥ!! 第3投!! 第4投!! 続けるデスゥ!!」
『デズアッ!! デズアッ!!』
実装さんが投糞を嫌がり、痛まない左足を軸にして中腰になる。
少し頭を上空へ逸らすだけで、この投糞の攻撃範囲から逃れることが出来ることに、実装さんは気がついた。
『デギャァァァーースッ!! デズデェェーズッ!!』
両手で顔についた糞をぬぐい、黄色い犬歯を剥き出しにし、口を縦にして叫ぶ実装さん。
目に染みる糞を涙で洗い、憎き小さな標的をその目にしかと焼き付ける。
先ほどの忌々しい糞の礫は、顔に届く寸前に無情にも放物線を描き、
失速しながら自分の実装服へと付着するだけであった。
右足は痛むが、あまり体重をかけずに歩行すれば、彼奴らに近づくことはわけはない。
そう実装さんが確信し、歩みを始めようとしたその瞬間、放物線を描き失速する糞の群れから一筋、
螺旋のうねりを描きながら、まっすぐに打ち抜かれた糞が実装さんの右目を射抜いたのだ。
『デッ!? デギャァァァーーーーッ!!』
糞の大きさは小さいが、異物が目に入った痛みは鋭い。
思いもかけぬ痛みに実装さんは両手で右目を押えて蹲ってしまう。
「アリサッ!! 第2投準備ッ!!!」
ミミが命じる実装石たちの一陣の奥の奥。
実装さんとの射程距離が一番離れた遠方に、その実装石はいた。
「アリサッ!! 左眼、黒目中心を狙うデスッ!!」
ミミがそう命じるのは、デデ、デスンに次ぐ3番目の古参の実装石アリサ。
見れば、アリサは頭巾を外した姿で、投糞に向けて大きく振りかぶる動作に移っている。
手には、その脱ぎ取った頭巾。その頭巾には拳大の糞が蓄えられている。
「デェ〜〜… デッ!!」
アリサが体全体のバネを振り絞り、手の中の頭巾を力一杯、うねるように振り投げる。
それは『スリング』という武具の応用を施した投糞法であった。
スリングは中石器時代に考案された狩猟用の武具であり、頭上で充分遠心力を加えた石を
獲物に当てる方式である。二の足で立ち、手を自由に使用できる実装石であれば、
その方式を理解せしめ、訓練を施せば、実用は不可能ではない攻撃方法である。
また身近である頭巾とその形状は、このスリングという攻撃システムに合った素材であると言えよう。
しかし、それがどの実装石でも使いこなせる理由には繋がらず、相当の器用さと正確さを
兼ね備えた実装石でない限り、この攻撃方法を実戦で利用することは不可能と言える。
ミミがこの実装コロッセウムにて、狙撃手アリサを発掘し得たことは、僥倖にも近いものであると
ミミは後によく述懐している。
そのアリサの放った糞が、うねりを上げながら、実装さんの残った左眼に命中する。
『デギャァァァーーーーッ!!』
アリサの遠投糞により、実装さんの視界を沈黙させることに成功した。
「アリサッ!! 続いて、人中と眉間に交互に3発ずつ!! その隙にデデ、デスン。
 2隊を編成して「蛆ちゃん」、実装さんの左右からパンコン(挟撃)するデスッ!!」
「デデッ!!」「デスンッ!!」
「パトリシアは新人を連れて、後方で待機ッ!! 何かあったときの遊軍デスッ!!」
「デスッ!!」
ミミは先ほどの実装さんの倒壊の脱出の折、自らの足を負傷している。
歩く程度であれば支障はないが、「蛆ちゃん」のような俊敏な動きは不可能な傷であった。
立っているだけで、ズキンズキンと卒倒しそうな痛みが体を駆け巡る。
先ほどの第1試合での背中に袈裟掛けで切りつけられた傷。切断された右耳。そしてこの足の負傷。
正直、この戦いでミミは既に戦力に数えることは難しいだろう。
俊敏な行動が適わぬ今、戦局を御することに全力を傾けるしかない。
しかし、幸い戦局はミミたちに傾きつつある。
「デッ!! デッ!!」
遠方からのアリサの遠投糞。
眉間から人中。いわゆる正中線。
哺乳類であれば、ほぼ変わらぬ急所の位置。
そのポイントに、アリサのうなる投糞が高速で叩きつけられる。
『デギャァッ!? デギャァッ!?』
糞といって侮るなかれ。高速で叩きつけられる粘液質の実装石の糞の類は、恐るべき凶器に成り得るのだ。
そのたじろく実装さんの左右からは、デデとデスンの近距離投糞攻撃。
それを右を向けば、左から糞の礫。左を向けば、右から糞の礫。
それを嫌がり顔を伏せると、顔を抉るような唸りをあげたアリサの遠投糞の餌食となる。
『デェッ!! デェェェェーーーッ!!!』
実装さんは、完全にミミたち実装石に攻略されようとしていた。
驚愕や悲鳴に近い歓声が飛び交う実装コロッセウムの真上。
VIP席が並ぶ最上階の部屋の一つ。
実装フィールドを大きく臨むことができる一室に、双葉としあきは居た。
劣勢になった実装さんを眺めながら、悲壮感漂わす顔をしているかと思うとそうではない。
顔にはにやついた笑みが、始終こびりつき、憎き実装石の最後を確信したような表情を浮かべている。
ここまでは計算どおり。そう言わんばかりの自信ありげな顔色で、劣勢の実装さんは見つめていたのである。
「そろそろ頃合か…」
としあきは、幼少の頃から好き好んで吐いた決め台詞をそう呟き、側近の久隅の方を見つめた。
「やれ。久隅」
サングラスをかけた側近の男、久隅はとしあきの命に従い、軽く首をうなづかせる。
サングラスの向こう側の表情は見て取れないが、敢えて冷徹無比を演じているのか、
感慨もなく携帯電話を手に取り、淡々と階下の部下と連絡を取った。
一方、フィールド内では観客たちの声がさらにヒートアップしていた。
先ほど実装さんが倒れた時に生じた砂煙はすっかりと落ち着きを見せている。
見れば、そのフィールドの中央。
『デェェェーーン! デェェェーーン!』
顔中糞塗れになった屈辱感からか、実装さんも自らブリブリと糞をパンコンさせながら、
両手を両目に添えて、大声で泣き始めている。
完全に戦意を無くしてしまったのか、パンコンした下着を椅子としたパンコン座りの様で、
両足をドンッ!! ドンッ!!とバタツカセながら、眩しいライトの天を仰ぎ、ただ泣き叫ぶだけであった。
一方、実装石たちは、その実装さんを周囲を円状に囲うようにして、
絶えず距離を取りながら、投糞を繰り返している。
完全に戦意を失うまで、あと少し。
ミミはそう戦況を読みながら、追撃の手を緩めず、その円状の外枠で鋏を杖代わりにして仁王立ちをしている。
いける。
そうミミが確信し、止めの「託児」からの城攻めを慣行しようとした、その時であった。
それは、実装石たちも観客たちも誰も気づかなかった。
それは、天井の太陽のような明るいライトに現れた小さな小さな2、3の黒い影であった。
その小さな影はやがて大きくなり、そして数が増えて行く。
その存在に気づいたのは、仰向けになり、荒い息を吐きながら、ミミの戦況を見つめていた
あのミミに助けられた実蒼石だった。
「………………」
その黒い影はヒラリヒラリと木の葉のように舞っては、浮き、沈み、そして螺旋状に旋回したりする。
「………………」
見れば、その数は一つ、また一つと増えていき、その影は次第に大きくなる。
「………………」
その影の輪郭が、伏せた実蒼石の肉眼ではっきりと捉える事ができた時、実蒼石はこう大声で叫んでいた。
「実装燈ボクゥゥゥゥーーッ!!!」
その悲鳴のような叫びに反応してか、ミミたちは一同頭上を見上げる。
「デッ!!」「デデッ!?」「デ…!」「デヒィ!?」「…デス?」
「デスン!!」「デスアッ!?」「デスデ!?」「………!!」「デェ…」
「デブ〜♪ デブ〜♪」「デギャァッ!!」「デスデスッ!!」「デププッ」
めいめい14匹の実装石が、皆一様に虚空を見上げる。
見れば、螺旋に旋回する鳶のように大きな弧を描き飛びつづける黒い影たち。
「ルトォ〜♪ ルトォ〜♪」
それは、無数の数え切れないほどの実装燈であった。
「デッ!? デッ!?」
「デェ…」
「デスデ…!?」
まったくの不意を喰らった形で、実装石たちは大きく兎唇を呆けたように口を開け、宙を見上げるばかりだ。
その口から悲鳴が発せられるには、そう時間はかからなかった。
「デスァッ!? デスァァァァァァァッ!!!」
不意に1匹の実装燈が急降下を慣行し、1匹の実装石の頭の周囲を廻り始めた。
「デスァァァッ!! デシャァァァアッ!!!」
必死の形相で左右を食い入るように睨みつけ、黄色い犬歯を露にして威嚇を繰り返す実装石。
届かぬ短い手を何度も宙で描きながら、牙の見えた口から黄色い唾液を振りまくが、
実装燈は何食わぬ顔で実装石の周囲を滑走する。
1匹。2匹。そして、また1匹。
実装フィールドを上空から覗うだけだった実装燈たちが、急降下を繰り返す。
「ルトォ〜♪」「ルトトォ〜♪」「ルッルゥ〜♪」
「デシャァァァッ!! プシャァァァァッ!!」
「デスァッ!! デスァッ!!」
「シャァァァァッ!! シャァァァァァッ!!」
実装燈は黒い羽を持ち、飛行能力を有する実装シリーズである。
体長は実装石や実蒼石に比べると極端に劣り、成体になっても仔実装の大きさ程にしかならない。
体格的に劣りながらも、この自然界においては実装燈は実装石たちの天敵に部類する。
実装燈は口元にあるストロー状の触覚を用い、実装石や実蒼石を依代(よりしろ)にすべく、
自らの卵を植え付ける習性を持つ。
卵を植付けられた実装石らは、その卵が孵化するまで常に栄養を彼女らに提供し続ける。
その卵が孵り、依代の殻を食い破り、この地上に現れるまで。
無論、その卵が孵った場合、食い破られる依代である実装石らの命はない。
故に天敵。実装石らが忌み嫌う黒い悪魔。そのものなのである。
黒い羽音を靡かせながら、数十匹のその実装燈に、この実装フィールドは埋め尽くされた。
「ルッルゥ〜♪ トットゥ〜♪」
「プシャァァァァッ!! プシャァァァァッ!!」
前方をたゆたう実装燈に飛び掛っても、後方からの死角から、また別の実装燈が襲い掛かる。
咄嗟に前方に飛び込み、身を捩って後ろ様に投糞をするも、実装燈はヒラリと身をかわして、
また上空へと舞い上がる。
数匹がかりのチームワークを使った編隊。
それぞれの実装石は、知らぬ間に複数の実装燈に取り囲まれていた。
実装さんを取り囲むために取った兵力の分散が、まさにここで裏目に出る結果となったのである。
「戻るデスッ!! 集まるデスッ!!」
ミミの号令が飛ぶ。
「金平糖ォッ!! 金平糖ォッ!!」
ミミは咄嗟に実装石たちに陣形の組み直しを命じた。
「アリサを中心に、金平糖ォッ!! (方円陣ッ!!)」
ミミは痛い足を引き摺りながらも、黒い羽音で埋め尽くされた実装フィールドを駆ける。
「デギャァァァッ!! デギャァァァッ!!」
「デプププッ!! リアルな夢デスゥ!!」
「ご主人様ァ〜!! ご主人様ァ〜!!」
ミランダら新人実装石ら3匹は、成す術もなく下着を膨らませてその場で震えて動きようもない。
ミランダは両手で頭を押えながら蹲り、極限にまで膨らませたパンコンを天に向かって高く掲げていた。
「ルットォ〜〜♪」
「デギャァァアーーッ!!」
そのパンコン目掛け、1匹の実装燈が鋭利なストロー突き刺す。
「ルトォォォォォォ………」
「デッ!? デスァ!? デスァ!?」
それは射精にも似た快感なのだろうか。
排卵する実装燈は、恍惚にも似た表情を浮かべながら、
小刻みに震えながらミランダのパンコン下着に卵を産みつけようとする。
「トォォォォ……チベッ」
「パトリシアは殿(しんがり)を死守ッ!! 新人どもは、どこでもいいから糞を投げつけるデスゥ!!」
それはミミであった。
ミランダのパンコンに卵を産み付けていた実装燈は、ミミの持つ鋏に顔を二分され呆気なく絶命していた。
一方、フィールドの中央。
ミミが方円陣を命じたアリサの周囲には何とか実装燈の襲撃を逃れた実装石たちが何匹か集まっている。
互いに背を合わせ、互い死角を補いながら、アリサの周りには円方陣が出来上がりつつある。
「デェ〜〜〜 デフンッ!!」
「ルベッ!!」
アリサの放つ遠投糞は、うねりを上げながら的確に空中を滑走する実装燈を打ち落としていた。
これは堪らぬと、アリサの死角を狙って滑空する数匹の実装燈。
「デシャァァァッ!!」「プシャァァァァッ!!」
その死角を巧みに埋める円方陣の一角である実装石たち。
「デェ〜〜 デフンッ!!」
「ルキョゥ!?」「ルドッ!!」「チべッ!!」
アリサの遠投糞の軌道上に3匹の実装燈。その3匹共々が、黒い羽を射貫かれ、地へと墜落する。
「アリサに合流するデスゥ!!!」
ミミたちも、アリサに合流すべく新人実装石たちを連れて、
痛い足を引き摺りながら実装フィールドの中央へと向かっていた。
「…クゥ ボクゥ…」
ミミが助けた実蒼石も、実装燈にしてみれば格好の寄生先でもある。
実蒼石も、震える手足に叱咤を繰り返しながらも、
本能的に身の安全を求めて実装フィールドの中央へと向かう。
方円陣。
これが完成すれば、3次元をフィールドとする実装燈と言え、
たやすくミミたちの陣を崩すことは容易ではなかっただろう。
ミミもそれを狙った陣形の組み直しであった。
しかしその選択が裏目に出るとは、ミミも予想だにしていない。
それは、戦意喪失していたはずの実装さんの復活であった。
『デスアアアアアアッ……!!』
「デッ!?」「デデッ!!」「……デスア」
完成されつつある方円陣を組んだ実装石たちが、自分たちを高く見下ろす実装さんの姿を見上ていた。
その実装さんの右の拳が大きく振り上げられた。
動作の大きいテレフォンパンチだ。
それが容易に避けられたのは、実装さんから見て標的が分散し、かつ動いている時だ。
しかし今は違う。実装燈対策として組んだ方円陣。それも標的範囲が広い密集隊形だ。
実装さんから見ても、その標的の的は1匹に比べて大きく、そして狙い易かった。
『デスアアアアッッ!!』(どぉぉぉん!)
クレーターのように穿たれた穴。
方円陣を組んでいたはずの実装石たちは蜘蛛の仔のように散れ散れに逃げ惑う。
方円陣は、一気に崩れ去ってしまった。しかも、そこを的確に狙ってくる実装燈。
そこに、としあきの追い討ちの指示が入る。
(バンッ!!)
壁のケージが開く音がする。
実装フィールドには第3の刺客となる狩人が加えて投入された。
『バウッ!! バウッ!!』『グゥゥゥ〜〜!!』『ワンッ!! ワンッ!!』
円状の実装フィールドを疾走する黒い3つの影。
それは先日、今醜態を晒している実装石たちに辛酸を舐めつけられた土佐犬たちであった。
「デッ!? デッ!?」
アリサの方円陣が崩れていくのを目の当たりにしたミミは、まったく状況の変化についていけず、
緑赤の瞳を真ん丸とさせながら、兎唇を大きく縦に広げるだけであった。
実装さんの攻撃に宙を舞う者。
実装燈に集られ、血涙を流して助けを求める者。
土佐犬の牙の餌食となり、胴を咥えられて引き摺られる者。
「デェッ!? デェッ!?」
形勢が一気に崩れ落ちた。
何とか持ち堪えられるという気の緩みのせいか、
それは堰を切ったように実装石側を飲み込んでいく。
「デェェーーッ!?」
そんなミミの頭上に影が落ちる。
天井のライトを塞ぐその大きな影、実装さんはデフゥ〜デフゥ〜と荒い息でミミを見下ろしている。
「…………デ」
大きく振りかぶった実装さんの右拳。
普段のミミならば、簡単に避けることも出来たろう。
その実装さんの攻撃に反応して、ミミは咄嗟に身をかわそうと試みるが
同時に右足に走る鋭利な痛み。負傷したミミの右足が、ミミのいつもの俊敏さを奪い取っていた。
『デスアアアアアアッ!!』
振り下す一撃をミミは呆然と見上げている。
ゆっくりとそれはスローモーションのようにミミの頭上へと近づいてくる。
「………ッ!!」
迫り来る死。頭上に振り下ろされる肉の壁。
命中すれば恐らく頭蓋を砕かれて、即死だろう。
ミミはまるで他人事の死のように、冷静にその状況を見上げながらも、
ミミは自らの死をはっきりと意識した。
 ごめんなさいデス。もう会えないデス。
 ご主人様もママも、ミミの事は忘れて欲しいデス。
 ミミの事を忘れて、幸せに暮らして欲しいデス。
 でも… でも… 許されるならば…
 最後にもう1度、会いたかったデス。
 ママ! ご主人様!
(どぉぉぉおお〜〜ん!)
実装さんの一撃。
衝撃と共に立ち舞う砂埃。
その靄(もや)のかかった中心部には、おそらくミミであった肉塊が砂と同化しているであろう。
としあきも観客も。最上階で見守るこの実装コロッセウムのスポンサーであるVIPたちも。
皆がそう思っていた。ミミ自身もそう思っていたのだから。
「…………デ」
その砂埃の中、ミミは項垂れていた。
「……デー」
右足が不自由な中、ミミはその実装さんの一撃を奇跡的に逃れていた。
「みんな… 死んで行くデス…」
そのミミが項垂れながら見つめているのは、先ほど実装さんが穿った大きな穴の中であった。
「蒼い奴……」
その穿たれた穴には、胴に大きな陥没した穴を穿たれた実蒼石が横たわっていた。
あのミミを襲った実装さんの一撃。
そのミミを突き飛ばし、その一撃に身を晒したのは他でもない。
ミミが命を助けた実蒼石。彼女であった。
「蒼い奴ゥ…!!」
ミミの声が届いているとは思えない。
即死であった。
しかし、その口元に何故か優しそうな笑みが浮かんでいた。
(ご主人様に会えるといいボクゥ……)
その朱に染まった唇は、そう語りかけているようにも見えた。
「デスン… デスン… みんなッ!! 死んで行くデスッ!!」
砂煙の中でミミが哀しんでいる間にも、残された実装石たちは指の間から
抜けていく命を絡め取らんともがき、苦しみながらも、懸命に抗い続けている。
(……………………)
「デスンッ!! デスンッ!! わかったデスッ!!」
(……………………)
「戦うデスッ!! 生き残るデスッ!!」
(……………………)
「蒼い奴の分も生きるデスッ!!」
ミミは砂埃が漂う中立ち上がった。
先ほどの衝撃でか、先端が曲がった鋏を手に取り、余った片手で涙を拭う。
その鋏には、蒼いリボンが結ばれていた。
この眠っている実蒼石をまだ公園で探しているであろう、彼女のご主人様が贈ってくれた蒼いリボン。
「ご主人様に会うデスッ!! ミミは絶対にご主人様に会うんデスゥ!!!」
命の恩人に向かった決意のように叫んだその時、砂埃の中に黒い影が突入した。
この臭いは、かつて苦渋を舐めさせられた憎き相手。
忘れるはずもない。こいつのお陰で、主人からの信用はガタ落ちだ。
今日こそは屠ってやろう。そして、その首を主人の下へ捧げるのだ。
そして認めさせるのだ。我々こそが、この地上で一番狩人として適した種であることを。
『ガアウゥゥゥッッ!!』
土佐犬であった。
その土佐犬は開口一番、ミミに向い牙を剥き、襲い掛かる。
『バァウゥッ!!』
「デシャアアアアアアアアッッ!!」
突き抜けた。
黒い影が砂煙の中から突き抜けた。
四肢の足で滑走する土佐犬。闘犬の中の闘犬。闘犬の王だ。
その土佐犬が耳を伏せ、まるで生きながらに地獄の鬼にでも出会ったかのように
怖れ慄きながら、四肢の足を使って砂煙の中から突き抜けた。
その背には、先端が折れた鋏。蒼いリボンが結ばれたその鋏を両手に持ち、
馬を駆る騎兵のような面持ちで、土佐犬を駆る実装石の姿がその背の上にあった。
ミミであった。
「デスァッ!! デスァッ!!」
振るう鋏で目の前の実装燈を次々と8文字に切り裂き、そのまま黒い影と背に跨り疾走する。
「デスアアアアアアッッ!!!」
ミミが雄叫びを上げる度に、ミミを背に乗せる土佐犬の耳が後ろに垂れる。
その姿を見るや否や昔の記憶が蘇ったのか、実装石を噛み咥えていた残りの2匹の土佐犬も
文字通り尻尾を巻きながら、フィールドの壁へと後ずさる。
その土佐犬を歯牙にもかけぬようミミはその脇を疾走する。
鋏を水平に持ち、土佐犬の背の上で重心を低く保ち、それはまるで銃弾のような姿勢で、
フィールド中央で暴れる実装さんの足下を滑走する。
『デギャァァァーーーーッ!!』
右足に続いて、左足に一文字に赤い傷が開いた。
巨大な頭を持つ実装さんは、今度こそ重心を支え切れず、巨大な体躯は後方へと沈んでいく。
返す刀のように円状のフィールド外円を狩るよう疾走する土佐犬とミミ。
「総員、恐れるなデスッ!! たかが実装燈と糞犬デスゥ!!」
外円を廻るミミの号令が、隈なく実装フィールドへと響き渡る。
「デデッ!! 蛆ちゃんでデカブツに止めを刺すデスゥ!!」
「残りは総員、金平糖で黒烏に対応するデスゥ!!」
「アリサッ!! 容赦はするなデスッ!! 射落とせッ!! 全部、射殺すデスゥゥ!!!」
『この仔は優しい仔デスゥ』
「犬は殺せッ!! 二度と刃向かないよう縊り殺すデスゥゥ!!!」
『ミミは本当に大人しい仔だなぁ』
「殺せッ!! 殺せッ!! 皆、殺すデスゥゥッ!!」
『この仔は、お花が大好きなんデスゥ』
「デスアアァァッ!!」
………………………
………………
………
…
大歓声の下、ミミは我に戻った。
気が付けば、実装フィールドの中央で呆然と佇んでいる。
そうだ。実装燈だ。
ミミはふと上を見上げると、あんなに飛び回っていた実装燈が1匹もいない。
そうだ。犬は?土佐犬は?
ミミがくるりとフィールドの外円を見ると、糞塗れで痙攣する土佐犬。
外円の壁を前足で掘り、懸命にここから脱出せんと怯えている土佐犬。
そうだ。あのでかい奴は。
視線を変えると、実装さんはピクリとも動かずフィールドの壁に頭をぶつけたまま死んだように動かなかった。
そうだ。仲間は?
ミミの視界には、皆一様にくたびれた様で、ミミと同じように項垂れる者ばかり。
中には実装燈に埋め込まれた卵を、鋏の刃で穿り返し、応急処置などをしている。
ミミはまだ生きている仲間に安堵したのか、立ち上がりその場へと向かおうとした。
あれ?
立ち上がろうとすると、足が動かない。
何度も繰り返し、辛うじて立ったかと思うと、次の1歩目で転んでいた。
見れば体中には、びっしょりと掻いた汗。まるでプール上がりのように体はだるく、体を動かすのも億劫だ。
先の曲がった鋏を杖代わりにし、仲間たちが待つ下へと歩みを進めるミミ。
ミミの耳につくのは、またその大歓声。
『死ねぇ!! 糞蟲ぃぃ!!』
『この糞蟲野郎っ!! 性懲りもなく生き残りやがって!!』
『実装ーっ!! 次は潔く死ねよーっ!!』
いつも通りの悪態や野次だ。
しかしそれに加えて、手を鳴らす拍手や口笛のような音が確かに混じっている。
『いいぞぉ!! 糞蟲ぃぃ!!』
そんな声も、ちらほら聞こえる。
『やるじゃねーか、おまえら!!』
『正直、ここまでやるとは思わなかったぞぉぉぉ!!』
ミミはこの歓声が何を意味しているかわからない。
ただ目に付く仲間たちの散々たる姿。砂に紛れて痙攣を繰り返す実装燈。
そして、足元で冷たく乾いた目で宙を見つめる実蒼石を目にする内に、無性に悲しくなって来た。
「デェック… デェック…」
『所詮、蟲は蟲だぜ!!』
『でも見たか、おまえ。あの実装石、犬を従えてたんだぞ!!』
『いいぞぉ!! 今度は俺はおまらに賭けるぞおぉぉ!!』
「デェ… デェェェェッ!!」
『俺は次からおまえらを応援するぞーー!』
『無駄無駄ァ! ラッキーはそんなに続かないぜ!!』
『でも、俺は熱くなったぜ!! こんな蟲らは始めてだからな!!』
「デェェェーーンッ!! デェェェーーンッ!!」
今まで罵詈雑言ばかりだった客層が、ミミたちの孤軍奮闘ぶりを称え、称賛する声もあがり始めていた。
意味はわからないが、何故か腹立たしい。
ミミは無償に哀しくなり、また怒りにも似た感情が芽生え始めた。
「デェック!! デェック!! おまえら、私たちにこんなことさせて楽しいデスゥ!?」
湧く観客に向かってミミは叫び続ける。
「私たちは、ただ幸せに暮らしたいだけなんデス!!」
「ただ、ご主人様と一緒に居たいだけ何デスゥ!!」
「私たちが何をしたデスゥ!!」
痛いはずの右足をダンダンと地団駄を踏み、湧き上がる観客に向かってミミは叫び続けていた。
『次も頑張れよー!! 糞蟲ぃー!!』
「おまえら、何で笑っているデスゥ!?」
「ミミは全然楽しくないデスゥゥッ!!!!」
「おまえら、頭おかしいデスゥ!!!」
その時、観客の一人がミミたちの事をこう称して、大声で叫んだ。
『実装士!!』
それは些細な思いつきからの発言だったのかもしれない。
『おお、格好いいな、その呼び方』
『ははは、うまい事言うな、おまえ』
『頑張れよぉー!! 実装士ッ!!』
その語呂の良さから、その周辺に居た客層たちには受けがよかったようだ。
『実装士ぃ!! 次は応援するぞぉーー!!』
『いいぞぉー!! 実装士ぃ!!』
「オロロロォ〜〜ンッ!! オロロロォ〜〜ンッ!!」
『次も頑張れよ!! 実装士ぃ!!』
最初は、観客の思いつきからの命名であったが、ミミたち一同が「実装士(グラディデスター)」
という名を冠された瞬間は、この時からである。
「ご主人様ァ〜!! オロロロォ〜〜ンッ!!」
「ミミはここデスゥ〜!! ミミはここデスゥ〜!!」
ミミは泣き続けた。
何時までも何時までも止まぬ観衆に苛立ちを覚え、何時までも何時までも泣き続けた。
(続く)