サクラの実装石

 

 

 

 

 

『サクラの実装石12』(完)
■登場人物
 男  :仔実装のサクラを拾い育てる。サクラ親子の飼い主。
 サクラ:男に拾われた実装石。厳しく躾けられ、一人前の飼い実装となる。
 スモモ:サクラの長女。
 イチゴ:サクラの次女。
 メロン:サクラの三女。サクラの折檻で死亡。
 バナナ:サクラの四女。
■前回までのあらすじ
 「実装石の飼い方」
 書店で手に入れたその本で、初めて実装石の飼育に挑戦する男。そして、その
 仔実装の「サクラ」。男はサクラに適切な躾を施し、サクラは仔まで産む。
 サクラは、厳しい躾の末、三女「メロン」を殺してしまう。サクラは再び妊娠
 をするが、サクラは躾をすることを恐れてしまう。サクラ親子は、禁忌を犯し
 た仔実装のために、躾の一環として公園の野良生活へと身を落とす。その生活
 の中、仔実装たちにはご主人様への思いが募っていく。サクラのお腹の仔も、
 順調に成長し、サクラの公園生活も終わりを迎えようとしていた矢先、公園内
 で変事が起こる。
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−21−
日は昇った。
−22−
日は落ちた。
本部は、その日の駆除を以って、公園内の駆除完了を報告する。
−23−
以下、その日の活動履歴。
[09:05] 駆除再開
    投入駆除班 12名
    装備:散弾銃、特殊警棒、麻袋×数袋
[10:15] 駆除完了
    消費弾数  :合計 11発
    回収実装石 :成体実装石 28 (前日分との合計:44)
           仔実装石  12 (前日分との合計:63)
[10:55] 公園封鎖 一部限定解除
    警察による現場検証開始
[11:40] 駆除班 解散
    回収実装石を搬出
    異臭による苦情多数
    至急、清掃局の消毒処置を手配
[13:00] 清掃班 到着
[15:00] 現場検証 一時終了
    公園の出入り口は、引き続き封鎖
[18:30] 清掃班 解散
公園は、事件より2週間封鎖される。
その間、近所の住民の証言に、公園内で実装石を見たという証言はない。
駆除は完了した。
−24−
その駆除完了を宣言された日。
すなわち、事件が起きたその翌日。
男が目が覚めたのは白い壁をした部屋だった。
鼻につく消毒液。白い壁に白いカーテン。そこは男の家ではない。
「気がつきましたか?」
白い服をまとった女が言う。
「ここはどこだ?」
男が頭に浮かんだ疑問をそのまま口に出して言った。
「病院ですよ。大丈夫ですか? 頭の傷、10針は縫ってるんですよ」
看護婦は心配そうな表情で男に言った。
言われて見ると、頭には白い包帯が巻かれていることに気付く。
暴徒にバールのような物で殴られたような気がする。
そして、どうやらあの後、気を失い病院に運ばれたらしい。
男は頭に巻かれた包帯を撫でながら、しばらくぼんやりと窓を見つめ、
窓から見える明るい晴れた空を見つめては、今置かれた状況に気付き焦った。
急いで時計を探す。腕時計を見た。
腕時計の日付と時刻を確認しては、男は絶望的な気持ちになった。
あの事件から既に日付は変わっている。
その腕時計の針は、午前10時を差していた。
こんなところで寝ている暇じゃない。男は上半身を起こそうとする。
「ちょ… 頭! 縫ったばかりなんですよ。精密検査もしてないんですよ。10針ですよ、10針!」
看護婦は起き上がろうとしている男に対して、安静にするように言う。
「すまん。公園に戻らないといけないんだ。服。俺の服はどこだ?」
男は、この病院の入院用の寝巻き姿である。
「公園って、昨日の事件ですか?」
看護婦は、焦る男を制するのに精一杯だった。
看護婦の話では、あの事件は小さいながらも、全国ネットのニュースで放映されたとの事らしい。
「これ。今日の新聞です。もう事件は沈静化してますよ」
渡された新聞の全国記事にも小さく、そのニュースが記載されていた。
既に駆除自体は既に終えているはずだと、看護婦は言う。
「にしても、酷いですよね」
看護婦は言う。
「私も実装石飼ってるんですけど、あれは何かの間違いですよ。
うちの子も凄く優しい子ですよ。お風呂の時なんて、かわいいったらありゃしない」
気さくに話す看護婦に、男は苛立つ気持ちを少し和ませてくれたような気がした。
男は、すべて看護婦に語った。
サクラという実装石。
そのサクラが子たちと公園で暮らし始めた事情。
その子たちが巻き込まれた今回の事件。
そこに駆けつけた後の騒動。そして、頭の傷。
「だから、俺はすぐに…」
「な… 何してるのっ!」
男が話終えるのを待たず、いきなり看護婦が叫んだ。
何故か、両目に一杯の涙を溢れさせ、怒ったように叫んでいる。
「早く行きなさい! 服はそこっ! 早く着替えてっ!」
看護婦はパタパタと部屋の入り口の電話へと走る。
男は、何が起こったかわからない状況で、口をぽかーんと開けている。
「タクシー呼んでおきます。急いで、行ってあげてください!」
男は、受話器を握り締めながら、じと目で睨みつける看護婦の意図を理解し
少し噴出しそうになった。
怪我人を炊きつけるなんて、なんて不良看護婦だ。
男は看護婦に礼を言い、急ぎ着替えて頭に包帯を巻いたまま病院を後にした。
−25−
正午過ぎ。
男はタクシーで公園に辿り着いた。
タクシーの運転手に金を払い、タクシーから降りる。
見れば公園内では、グレー作業着を着た業者が駆除後の清掃をしているようだった。
「あ。困りますよ」
清掃業者が公園内に入ろうとしている男を制した。
見れば、公園内は駆除を終え、その後始末を請け負っている業者が、ホースから水を出し、
血糊や糞の後始末をしているところだった。
公園内は、野良実装特有の匂いに加え、血や糞の匂いで充満している。
公園に入るだけで酔いそうな匂いだ。
「ここに居た実装石は、どうしたんですか?」
「ああ。ニュースを見て来たんですね。もう今日の午前中で、ほぼ駆除を終えたらしいですよ。
で、私達の出番ですよ」
男は絶望的な気分に襲われる。
「見事な物ですよ。私達も死体とかが散乱しているのを想像したんですけど、
ほとんど回収された後ですよ。たまに死体とかは出ますけどね」
男は震えた声で言う。
「回収した死体はどこに…?」
「ええ。確か保健所だったと思いますよ。集められた実装石は、生きていようが
死んでいようが、ま、薬殺かガスで…って、どうしたんですか?」
男は震える拳をそのままに、踵を返して走った。
糞。糞。糞。
男は何回も反芻した。
男は、公園内から急いで出る。
見れば、まだ先程のタクシーが居た。
男は、そのタクシーに乗り込み、保健所へと走った。
−26−
「え?実装石? ああ、昨日のアレね」
保健所の男は、中年太りをした如何にも役人タイプの人間だった。
手にした新聞を机に置いて、小指で耳垢をほじりながら、男の話を聞いてる。
「………ふーん。で、オタクの飼い実装が紛れているかも…ってか」
保健所の男はダルそうに立ち上がり、男を隣接する保護舎へと案内する。
「まったく困るんだよね。ココに来る実装石なんて、月に10匹か20匹なんだよ。
 それがさ、昨日と今日で100匹も来るなんてね」
そう言って、鍵を宙に投げては、ウザそうに男の対応をした。
一応、ここも市営のセンターである。
税金を払っている市民が来たら、対応をせざるを得ない。
迷子の小動物が、保健所に保護されていないか、そういった問合わせは多い。
男がやってきた保健所の保護舎は、無駄な税金を投入されたと非難されるほどの
大きな建物であった。
閑散とした無駄に大きなロビー。
豪華な階段と高い天井。
保健所の男の話では、保護ケージは1階の奥にあるという。
保護された小動物が騒いだりして、近隣の住民に迷惑をかけないようにとの設計だそうだ。
にしても、無駄に広い廊下である。
「ここだ」
犬。猫。その他。
色々と書かれたプレートの中、「実装石」と書かれた鉄の扉があった。
扉の前に立つだけで、鉄の扉の向こうから鳴き声が聞こえる。
 デスー…
 スッ… ッス…
 キャァァァァァ…
「普通は、ここで保護しているの、5〜6匹なんだよ。昨日こっちに来た奴らでさ、
 初めて、うちのスペースが一杯になっちゃてよ。」
そう言って鍵を開け、「実装石」と書かれた鉄の扉を開けた。
「兄ちゃん。ここに来た時に死んでた奴は、ほとんど処分しちまってるからな。
 それに、生き残っている奴も、上からすぐ処分しろって言われてるんだ」
保健所の男が言う。
「ま、さっき言った既に死んでいた奴の処分で、今は焼却炉が一杯でね。
 こいつらも、あと数時間もしたら、焼却炉行きだ」
扉を開けると、先程扉の前で聞こえた実装石の鳴き声がより鮮明に聞こえる。
「デスァァァ〜〜!」
「デェスゥ〜〜〜! デッスッ〜〜〜!!」
「ッ! デギャァ! デスデスッ! デギャァ! デギャァ!!」
「あんま、リンガルは使うなよ。まともな思考が出来なくなってまうからな」
部屋の中は左右に実装用のガラス張りの大きなケージがあった。
成体実装石だけでも5〜6匹は入る業務用の大きなケージだった。
それが両脇の壁に2段ずつはめ込まれており、左右に4つずつ。突き当たりに2つ。
この部屋だけでも、ゆうに50匹ぐらいは、収容できるスペースがあった。
「ま。頑張って探してくれや。俺は煙草を吸いに出て行ってるから。
 ここで何が起こったかも詮索するつもりはないよ」
そう言って、保健所の男が外へと出る。
「なぁに。俺は面倒臭いことが嫌いなんだ。焼却される実装石が1匹減ろうが
 んなもん、どうでもいい」
保健所の男が部屋から出て行き、鉄の扉がしまった。
周囲からは、デスーデスーという絶叫が部屋一杯に反響し木霊していた。
見ればケージの中の実装石。五体満足である者は少ない。
手の先がない者。頭が変な方向に曲がっている者。足がない者。
また、同じケージ内で同属のリンチがあったのだろう。
既に事切れている者。捕食された後か。血まみれの内臓を露にしている者。
生き残った実装石でさえ、暗い相貌で、やせこけ、目に隈を作り、必死の形相で
ガラスケージをガンガンと両手で、唾を飛ばしながら、必死に叩いていた。
こんな中にサクラが…
それを想像しただけで、男の鳥肌が立った。
目を背けてはいけない。家族だ。サクラは家族だ。
どんな最後であれ、どんな結果であれ、男はそれを受け止める義務がある。
それが家族としての務めだ。
男はポケットから実装リンガルを取り出し、それをONにした。
『デギャァァァ!!! 糞ニンゲンッ!! 私を助けるデスゥゥ!!!』
『ッデズア! ここから私を出すデス! 私を飼うデスッ! 死にたくないデスッ!』
『助けてデスッ! お願いデスッ!デェエエエン!!』
ガラスを両手で、ガシガシと叩き、叫び続ける実装石たち。
『デズゥ… ニ、ニンゲンデスゥ!! 痛いことはもう嫌デズゥ! ゆるじでくださいッ!ゆるじでぐだざいっ!』
『デッ… 死にたくないデスゥ… 死にたくないデスゥ…デェェェェン!! デェェェェン!!』
泣き叫び、糞を漏らし、助けを求める続ける実装石たち。
その中に1匹。
男の顔に見覚えのある実装石がいた。
『〜〜〜ッッ!! 下僕ッ!! 遅いデスッ!!』
この実装石。
男が公園にサクラを連れ来た晩、ダンボールハウスを先約していた実装石だ。
ケージでの中の先約実装石は、醜い禿裸の姿だった。
このケージの中で、同属の迫害を受けた後なのか、股間から白と赤と緑が混ざった
粘液的なものを垂らしながら、変な方向に曲がった手をガラスケージにやっている。
手についた血が、ガラスケージに、つーと斜めに走った。
その後ろでは、虚ろな笑みを浮かべたマラ実装が数匹。
いきり立ったマラを満足げに擦りながら、ニヤけた顔で先約実装石を見ている。
そのマラ実装たちに、先約実装石は、歯の折れた口で誇らしげに言う。
『デプププッ! もうおまえ達、終わりデスゥ♪ 下僕が来たからには、お前らなんて
 イチコロデスゥ♪』
ケージの奥に屯するマラ実装石たちに向って、挑発を繰り返した。
男が先約実装石と目が合った。
『デ… デスゥ…』
先約実装石は、目を潤ませて、頬を赤らめる。
 長かった。
 長い野良生活だった。
 それは、雌伏の時。
 野に降り、様々なことを学んだ。
 下々の生活。弱肉強食の世界。
 帝王学の一環として学んだ貴重な体験。
 
 その生活も終わる。
 私は帰るのだ。私が居るべき所へ。
 私を待つ下僕たちの所へ。
 そして、始まるのだ。
不細工な顔の飼い主の娘を思い出した。
 私が居ない間、寂寥感に苛まれていたに違いない。
 嗚呼。きっと泣いているのだろうな。
 戻ったら、慰めついでに頭を撫でてやろう。
 そして、金平糖を食べよう。
 アイツと一緒に金平糖を食べよう。
 悪くはない。
 そうだ。悪くはない。
男はしばし、先約実装石を見つめる。
先約実装石は、下僕を見つめる。
『デス』
ケージの中で、頬を赤らめる先約実装石。
しかし、男はすぐに目をそらし、急ぎ、次のケージに目をやった。
『デッ!』
男は次のケージに目をやっている。
『デェース!! デスデスゥーー!!』(だんっだんっ)
折れた両手で、ガラスに朱の花を咲かせながら、ガンガンとガラスを叩く先約実装石。
喉が破れん限りに叫び、痛みを堪えながらも、ガラスを打ち続けた。
『何故デス!! 下僕ッ!! 私は此処デスゥ!! 私は此処デスゥ!!』
叫び続ける先約実装石。
『…デププ』
そのケージの奥から聞こえる笑い声。
『デプププ… 糞蟲デスゥ』
『無様デス… おまえは大人しく股を開いていればいいデス』
先約実装石は、息を呑み、涙と鼻水だらけの顔で、ケージの奥を振り返る。
ケージの奥で笑うマラ実装石たちのマラは、直立にギンギンに滾っていた。
男はケージの中を見てはサクラの姿を探し、次のケージに移る。
男のリンガルには、様々は表示が現れては流れ、現れては流れている。
『ニンゲンさーんッ! 助けてテチ! 助けてテチ! 食べられるテチィ!
 妹もお姉ちゃんも食われたテチィ! もう逃げれないテチィ! 助けて欲しいテチィ!』
『デプププ ここはご飯が一杯デズゥ。まるで楽園デスゥ〜♪』
ケージでは、多数の仔実装と成体実装石が1匹入れられていた。
ケージの床には、仔実装の服やら靴やら頭巾やらが血塗れで散乱している。
どのケージも似たような惨状だった。
吐き気を催すような、この異常な空間。
男は眩暈を感じながらも、リンガルに向って、サクラの名を呼んだ。
「サクラッ! 居ないのか! サクラッ!」
一瞬、静まり返るケージ内。
そして、次に聞こえた声がこれであった。
『私デス! 私がサクラデス! ニンゲン! 会いたかったデス! 私を飼うデスッ!』
『寂しかったデス! ご主人様ッ! 私はココデスッ! デスァ! デスァ!』
『何ほざいていやがるデスッ! 私こそ、サクラデスッ! ご主人様ッ!』
どんどんとケージを叩く音が大きくなった。
飼い実装と詐称する野良実装石たち。それぐらいの知識は彼女らにもある。
このニンゲンは、飼い実装を探して、ここに来たのだ。
このニンゲンに飼われれば、ここから連れ出してくれるに違いない。
『ママァ! 私デスッ! 私はココデスッ! ママァ!!』
ガラスのケージをマラと両手で叩き続けるマラ実装石。
野良実装たちも、ここが保健所という場所であることを理解していたのだ。
保健所は怖い所デス。そう母から教わってきた野良実装たち。
この機会を逃せば、おそらく自分は死ぬだろう。
そう予感しているからこそ、男に対するアピールは必死な物であった。
おもむろに下着を取り外し、糞塗れの総排泄口をガラスのケージに密着させ
鮑のような断面を、デスッ!デスッ!とアピールする実装石。
男は、大音響で響く部屋の中、倒れそうな両足を叱咤しながら、サクラを探した。
サクラ… いないのか。
男はケージをくまなく覗いては、サクラの姿を探し続ける。
どんな姿になっていても見逃すはずはない。その確信は何故か男にもあった。
居ない… このケージにも居ない…
どこだ。サクラ… どこなんだ… サクラ…
(「兄ちゃん。ここに来た時に死んでた奴は、ほとんど処分しちまってるからな」)
保健所の男の言葉を思い出した。
もう、処分された後なのか…
すべてのケージを見回した。2度、3度、4度。
何回も見る。何度も見る。しかし、サクラの姿はない。
どれくらいの時間、ケージを覗き続けたのだろうか。
両耳に叩き付けられる大音量の実装石の鳴き声と叫び声で、男の神経は参りそうだった。
その中、ふと一つのケージに目が留まる。
『デシャァァァァ!!! また目が合ったデスゥ!! 絶対、私にメロメロデスゥ!!!
 私デス!!!  マクラデスゥ!!!』
そのケージの中では、下着をチラチラさせながら、必死のアピールする実装石が居た。
その実装石の周りには、仔実装も必死にガンガンとケージを叩いている。
いや、それじゃない。その向こう側だ。
ケージの奥の奥。
部屋の薄暗い電灯の陰に隠れたその奥。
何かビニール袋のような物体があった。
それはこのケージ内で虐待を受けた仔実装であった。
血と糞まみれになった仔実装であった。
なぜか緑色の服は身に着けず、コンビニのビニール袋のようなそれを頭から被っていた。
生きているのか死んでいるのか分からない彼女は、必死に何かを手に握っていた。
植物の茎のようなもの。
その茎の先端には、花などはついていない。
萎れたよれよれの蒲公英の茎である。
男はその姿を見ては、声にならない声で呟く。
「辛かったか…」
口に出して言う。
「辛かっただろうな」
口に出して言った。
「帰ろう。帰ろうな…」
男には、それがサクラの仔実装だと、不思議とわかった。
「帰ろうな。ママのところに…」
ケージの上から手を入れて、そのコンビニ袋の実装石を男は抱いた。
同じケージに居た実装石たちは、自分が選ばれなかったことを不満に思い、
デシャァァァ!!!デシャァァァ!!!と怒りの声をあげていた。
その仔実装はイチゴだった。
イチゴは、公園の駆除班に麻袋に詰められ、半日以上このケージの中に居た。
行き場を失ったケージ内の同属たちは、一晩中、力無き者を虐待し続けた。
虐待の最中、イチゴは意識が朦朧としている中、脳裏に浮かぶ家族に必死に助けを求めた。
母に。姉に。妹に。そして、ご主人様に。
死も覚悟した。絶望的な意識の中、全てを諦めかけていた。
そんな絶望的な状況の中、不思議な感触がする。
イチゴはその不思議な感触に身を委ねていた。
 何か体がフワフワするテチ
 きっと天国テチ ママが待ってるテチ
 暖かいテチ きっとママの毛布テチ
 暖かいテチ 暖かいテチ 
 フワフワするテチ フワフワするテチ
「お。見つかったか」
保健所の中年の男が言う。
足元には、何本もの吸い殻が捨ててあった。
男が手に持つ実装石を見ては、男の胸を手の裏で叩く。
「ま。人生長いんだ。悪いこともあれば、いいこともある。
 そいつには、しっかり教えてやるんだな。そのことを」
そう言って、鉄の扉の方へと向う。
あの実装石たちは、明日の今頃には処分されて、この世にいないだろう。
そう思うと、手の中にいるこの仔実装の存在が、奇跡に近いものと男は感じてしまうのだ。
『下僕ゥーーー!! 私はココデスゥーー!! 下僕ゥーーー!!
 痛いッ! 止めるデスゥ! げぼっ… ごめんなさいデスゥーー!! デギャ…』
鉄の扉がゆっくりと閉じられる。
男は、扉を閉める不良中年職員に向って、頭を下げていた。
保健所の近く。
コンビニで男は栄養ドリンクを購入した。メッコールだ。
虫の息であるイチゴの口にメッコールを1滴たらす。
しわがれていた口が、むにゅむにゅと動く。
さらに1滴。さらに1滴。
イチゴの手が微かに動き、メッコールの缶を両手で挟むように持つと
それをグビグビと、大きく1口2口分、飲み込んだ。
目を開けた。ここは天国?
そう思って、イチゴは目を開けた。
「よう」
その人はそう言った。
優しい目をしたその顔は、家から離れて10日間経っても変わりはしなかった。
イチゴは無意識のうちに、握ったそれを差し出す。
その人のために編んだ、家族全員で編んだ花の冠。
しかし、それは今は無残にも、萎びた一本の茎でしかなかった。
 テェ……
力弱く鳴くイチゴの手を男は掴んでは、手のひらのそれを手にした。
男には無論それが何かはわからなかった。
ただ、イチゴが大事そうにそれを守り、それを自分に届けようとしていることはわかった。
だからこう言った。
「ありがとな」
男がそう言うと、イチゴは全身全霊をかけて、大声で泣いた。
−27−
イチゴは男のそばを離れようとしなかった。
家に連れて行き、そこで安静にすること。
そう言いつけたのだが、聞かない。
『ママッ! ママを探すテチィ! ママを探すテチィ!!』
リンガルにはそう表示されていた。
男は、公園に連れて行き、現実をイチゴに見せるべきかを迷った。
ただ、うやむやにしながら、それを隠し通せるものでもないことは理解している。
仕方がなく、男は傷ついたイチゴを上着のポケットに入れたまま、公園へと再びやってきた。
男は、上下を清掃班と同じ作業着に身を包んでいた。あの保健所の不良職員より、
作業着まで頼み込んで借りていたのだ。
事情を話すと、中年職員はぷっと吹き出して、快く貸し出してくれた。
公園内では、相変わらず清掃業者が掃除をしている。
「お疲れさんです」
男がそう言うと、清掃業者も声をかえす。
立ち入り禁止なのだが、こちらから挨拶をすると関係者なのかと思い込み、追求はなかった。
広い公園である。入ってしまえば、こちらのものであった。
男はリンガルの収集音の範囲をMAXにして、サクラたちを探した。
もう望みは薄いのかもしれない。
清掃業者の話では、ほとんどの実装石は、保健所へと送られたという。
死んでいれば、既に焼却されており、生きていた実装石の中には、今ポケットの中で
震えているイチゴしか見つからなかったのだ。
男の右手には、先程の萎れた蒲公英の茎が握られていた。
「サクラァ!」
叫んでみた。
清掃業者に気付かれないよう、声の音は落としている。
「テチィィィィィ!!! テチィィィィィィ!!!」
イチゴもポケットの中で叫ぶ。
リンガルには反応はない。
繁みの中を覗く。ベンチの裏を見る。排水溝の中を覗く。
それらには、実装石の死体すらなかった。
 テェ……
イチゴは力なく鳴いた。
ポケットの中とは言え、固定されていない空間で体を踏ん張り続けるのは、
今のイチゴの体力では、非常に酷な状況であるといえる。
手足は自由に動かせず、首を傾けるのもままならぬ状況なのだ。
男はベンチに座り、イチゴをポケットから出しては、休憩を取る。
「イチゴ。やっぱり家に戻ろう。おまえが心配だ」
「デチチー!! デチチー!!」
イチゴは痛いはずの首を振り拒絶した。
「しかしな…」
男はその先の言葉を飲み込んだ。
頭に包帯を巻いた男が言える台詞でもあるまい。
男がかぶる帽子の中の包帯には、赤い物も滲んでいる。
少しの休憩を追え、再びイチゴをポケットの中へ入れる。
動かす度に体中の傷が痛むのか、チュアァ!! と叫んだりする。
男はできるだけ振動を与えず森の中へと入った。
森の中は、まだ清掃業者が清掃をしていないのか、所々に実装石の血や糞、
そして千切れた手足や服や頭巾などが、そこらに散乱していた。
その光景を見ては、ポケットから顔を出しているイチゴが、ガチガチと歯を鳴らしては、
テェェェン!! テェェェェン!!と泣いて、サクラの名を呼んでいる。
男はリンガルの液晶を見ながら、森を散策した。
『ママァ!! ドコテチュ!? ママァ!! 一人は嫌テチィィィィィ!!!』
『テェェェン!! テェェェェン!! オネエチャーン!! バナナァァァ!!!』
『テッスン… テッスン… ドコテチュゥ? テッスン… テッスン…』
リンガルの表示には、イチゴの叫びのみが翻訳されては、表示されては流れる。
男は半ば諦めかけていた。
たまに回収し損ねた実装石の死体を見る。
顔に穿たれた銃痕らしき無数の穴。
腐った魚のような目は、大きく見開き、口は絶叫の形で硬直していた。
そんな死体と対面するたびに、イチゴはテピャァァァ… と息を吸い込みながら悲鳴を上げる。
もう耐えれなくなったのだろう。
両手で頭を押さえ、ポケットの奥に入ったきりで、テェェ…とか細い鳴き声で凍えてしまった。
「サクラ…」
男が諦めかけていたその時、リンガルが何かを拾った。
『…………ェ』
最初は、イチゴのか細い鳴き声を拾っていたのかと思った。
しかし、リンガルの表示は、個体の識別をイチゴ以外の別の個体と表示している。
男は焦った。
近くにいる。
生きている実装石がいる。
それはサクラじゃないかもしれない。
しかし、この公園に来て、初めて生きている実装石である。
男は手に持つリンガルの位置を微妙に変えながら、その声の主を探していく。
「こっちか…」
それは道から外れた繁みの方向。
そこから先は下に下る斜面となっている。
斜面を降りると、リンガルの表示は、よりはっきりとしてくる。
『………テェ』
『……タ…スケテ……テチ』
『クラ…イ…テチ……サ…サムイ…テチィ…』
リンガルは、その声の意味を翻訳するまでに至っている。
しかし、周りの繁みには実装石らしき姿はどこにもない。
ポケットの中のイチゴが、男の様子に気がついたのか、ポケットから顔を出してくる。
『どうしたテチ? ご主人様?』
「しっ イチゴ 黙っていろ」
男は片膝を折り、リンガルを地面すれすれの場所にかざした。
ある場所。黒い空間が見え隠れしている繁みの中。
そこにかざした時が、一番リンガルの表示がはっきりとした。
『…テェェ…ン テスン… テスン… ママァ… ママァ… (ガチガチガチガチ……)』
男にはわからなかったが、イチゴにはわかった。その鳴き声の主が。
『テチュ!! オネエチャンテチュ!! オネエチャン!! この中にいるテチュ!!』
「ということは、スモモか」
『オネエチャーン!! オネエチャーン!!』
イチゴは痛い体をそのままにポケットの中で、暴れては叫んでいる。
「スモモォ! スモモなのかっ!」
『…ッ!! ご、ご主人様…テチュ?』
「今、助けてやるからな。それまで頑張れ!」
『…タ タスカルテチ? 夢みたいテチ… 嘘じゃないテチ?』
見れば、その穴の近くに小さな釣瓶落としの残骸のような石組みがあった。
この穴は、井戸。古井戸らしい。
男はその残骸の中に、蔦らしき紐を発見する。穴の開いた水汲み用の桶がそれに繋がっていた。
男はそれを取っては、繁みの中の真っ黒な空間に桶を降ろしていく。
スモモは悴む手で桶の端を掴むと、桶の中に身を投じた。
引き上げた桶の中には、スモモが青白い唇でガチガチと歯を鳴らしては、涙ぐんだ目で男を見上げていた。
『オネエチャン!! オネエチャン!!』
イチゴがポケットの中で、スモモの名を呼んだ。
『……テェ……(ガチガチガチガチ……)』
スモモは、まだ自分に何が起こったか分からないでいた。
青白い肌は血の気を失い、痩せこけた頬骨に、異常に腫れ上がった目元。
ガチガチガチと鳴らす歯と、ブルブルブルと震える青白い手足。
もう数時間、救出が遅れていれば、どうなっていたかわからない。
男は丁寧にスモモが着込んでいるコンビニ袋を脱がしてやる。
このビニール袋が、いわば浮き袋のような形となり、溺死を免れたといえよう。
コンビニ袋を脱がしたスモモの体中に、くねくねと蠢動する蛭が無数にスモモの体に集っていた。
それは、スモモの肌が見えないぐらいの数だった。
その蛭が食いつく肌からは、絶え間なく赤い血が繁みの葉の上にも滴っている。
『………テェ』
力なく鳴くスモモ。
男は嗚咽する声を噛み締め、無数の蛭を払いのけようとする。
蛭の歯が、スモモの肌に深く食い込んでいるのだろうか。
払いのけると同時に、スモモの肌に激痛が走った。
男はポケットから煙草を取り出すと、火をつけて、1匹、1匹蛭を煙草で炙る。
煙草の火の熱さで驚いてか、蛭は食いついた歯を緩めて、ぼたりと繁みの中に落ちる。
全ての蛭を払いのけてやると、冷え切ったスモモを抱いてあげた。
井戸の水温と同じぐらい冷え切ったスモモの体は、男の手のひらの体温に触れ、
いささか落ち着きを取り戻したようであった。
『オネエチャン!! 大丈夫テチ!? 大丈夫テチ!?』
『……』
「大丈夫か?スモモ」
『……ッ!』
『……ェッ!!』
『……ェェェン!!』
『テェエエエエエ〜〜ン!!!』
スモモの体は震えていた。それは決して寒さからだけではない。
男の指を両手でしっかりと抱きしめ、心の底から泣き、心の底から叫んでいた。
繁みに置かれていたリンガルには、解析不能の叫び声の合間に『ご主人様』という
言葉が絶え間なく表示されていた。
−28−
あとは、サクラとバナナ。
2匹の仔実装を両のポケットに詰め込み、男は森から出てきた。
男は痛む頭も気力で押さえ、必死に公園の中を再びリンガルを使って回った。
30分。1時間。2時間・・・
時が流れるにつれ、男は焦り始めた。
ポケットの中のスモモもイチゴも、必死に母と妹の名を呼び叫ぶ。
しかし、それは全て徒労に終わった。
既に日は傾きかけている。
西の沈み行く太陽が、オレンジ色の長い影を公園のいたる所に作っていた。
「チィ…」
「テチュ…」
両のポケットで寂しく鳴く2匹。
「まだ時間はあるさ。もう一回りしよう」
そう言う男。
しかし、心のどこかでは最悪の事態も想定していた。
立ち上がろうとした時、男の体がふらついた。
「チャァ!!」
バランスを崩したため、ポケットの中の仔実装が叫ぶ。
すまんすまんと、仔実装に謝っては、男は森の中に再び入った。
そして、森を一回りした後、いきなり男が膝をつく。
『ご、ご主人様! どうしたテチ?』
『テチー!! テチーッ!!』
ポケットの中から、悲鳴をあげる仔実装。
見れば、男の頭に巻いている包帯から、赤い物が滲んでいた。
男は歯を見せながら、仔実装たちに「心配ない」と青白い顔で言う。
『ご主人様っ!顔、真っ青テチ!』
「だい…じょう…ぶだ…。少し…休めば…」
貧血に近い症状だ。
男の言う通り、少し休めば動けるようになるだろう。
しかし頭に受けた抜糸も済んでいない生々しい傷。
その状態で、半日近く無理に体を動かしたことが、今頃になって体に響いてきたらしい。
男は太い幹をした大木に背中を預け、崩れるように倒れてしまった。
−29−
 …
 …ィー
 テチィー
どこかで、実装石が鳴いている。
森のどこかで、実装石が鳴いている。
その声は遠いようであり、近いようにも感じられる。
森の中に実装石がいることだけは確かだ。
男はそう思った。
視界がぼやけている。
それが夜のように周囲が暗いからなのか、
霧や靄のような物が立ち込めているからなのか、とにかく視界がばやけていた。
男は森の中にいた。
ひたすら、その鳴き声に向って歩いている。
しかし、声はせど、一向にその鳴き主にめぐり合えることはできない。
まるで夢の中のようである。
男が立ち止まり、悲嘆に暮れている時。
男は彼女に出会った。
長い髪。
漆黒と言っていいほどの黒い髪。
肌は透き通るような白い色をしていた。
その肌の中で、異様に赤い唇が艶美に微かに微笑んでいるように見える。
その赤は、口紅を引いたような赤ではない。血の色に近い赤だ。
まるで、物語のどこかから出てきたようなその女は、男の前に立っていた。
『あれは、あなたの実装石?』
まるで魅惑するかのような声色だ。
『あれは、あなたの実装石?』
男の脳に直接響き渡るような声だ。
その女が指差している方向。
それは樹齢100年近くの大樹の幹。
その幹に小さな洞が見える。
そこにちらちら見えるのは、白いコンビニ袋。
それを服のように着込んだ仔実装だった。
『あそこで鳴いている実装石は、あなたの実装石?』
遠目で見て分かった。バナナだった。
「バナナ!」
男は叫んでは、バナナが眠いってる大樹の洞へと近づく。
先程まで、森の中に響くほどの声で鳴いていたはずなのに、
バナナは鳴きつかれたのか、眠っているかのように、ピクリとも動かない。
『大丈夫よ。眠っているだけ…』
女が言う。
男は振り返り、女を見た。
風もないのに、女の長い髪は怪しく靡いていた。
その妖しい目で見つめられるだけで、男は背筋に冷たいものを感じる。
『ごめんなさい』
唐突に、女は謝った。
女が何に対して謝っているか、男には分からない。
『ごめんなさい。少し仕事が忙しくて… 助けられたのはこの仔だけだったの』
そう言って、女は長い髪を揺らしながら、男にゆっくりと近づく。
『この森で生き延びた実装石は、もうこの仔だけ…』
女の顔の位置が、すぐ男の目の前に近づいていた。
『もう、この森には生きている実装石は居ないわ』
男の背は凍りついた。
思わず、悲鳴に近い物を上げそうになった。
目の前に居たはずの女が、後ろから男に抱きついていたからである。
妖しい香水の匂いが鼻腔につく。女の吐息が直接耳に聞こえてくる。
女の回された手が、男の頬に触れた。
冷たい。氷のような冷たさだった。
『あなたの実装石… ウチの仔たちにも合わせてやりたいわ…』
男は悲鳴を飲み込み、その腕を振り解く。
倒れるように前につんのめり、意を決して女の方に振り返った。
そして、飲み込んでいた悲鳴を、解き放つ。
「うわぁぁぁぁ!!」
男はあまりの非現実的な光景に、叫び声を出してしまう。
女は浮いていた。宙に浮いていたのだ。
ゆっくりと、両手を広げて、虚空の1点を見つめるように、女はゆっくりと宙に浮いてる。
女の黒い長髪の1本1本が、まるで生き物のように蠢いている。
男は悲鳴をあげて、後ろにたじろいた。
足が、何かに当たった。
当たった方向に目をやり、また悲鳴をあげる。
「〜〜〜〜〜〜〜〜ッ!!」
僧衣をまとった男。
宙に浮く女に向って、手を合わせ、必死の形相で祈る僧が居た。
オレンジ色の僧衣を身に纏った格好からして、日本に居る僧ではない。
中国、いや。その奥。チベット辺りにいる僧であることぐらいはわかる。
何語かわからぬ言葉で、親の敵のように、必死に読経を続け
手に持つマニ車を回しては叫ぶ。
「っひ…!」
男は後ずさりしようと、森の中を駆けようとする。
その男の前には、年端の行かぬ異国少年たち。
洗礼を受けたローブに身をまとった純潔な少年たちは、天に向って鎮魂歌を斉唱する。
手には、天使のレリーフを象ったベルを持ち、声を合わせて鎮めの唄を奏でる。
読経は横からも聞こえた。
僧は一人だけではなかった。
男が森を見渡せば、繁みや森の木々の間に、宙に浮かぶ女を讃え、叫び、祈り、
伏せる姿が、森のあちこちに延々に広がっていた。
仏教の僧衣をまとった者。
鎮魂歌を合唱する青い目をした鷹鼻の異人。
ひたすら地に伏せるアラブ系の男たち。
中には、どうみても人でない形の者までいた。
言語・人種・すべては異なるとは言え、彼らは彼らの言葉で一様に讃えあった。
宙に浮かぶ、その本尊に向って。
 シャチョー!!シャチョー!!
「ぁ…ああああ」
男はパンコン寸前だった。
意味の無い悲鳴を上げるしかない。
無意識のうちに宙に浮かぶ女の方をみやる。
仏教で言う12曼荼羅の中心に浮かぶ女は、古今東西のあらゆる菩薩に囲まれ
天から舞い落ちる聖母の祝福の花びらに祝福されながら、東から走る煌びやかな牛車に乗り込む。
男の周りの僧衣の男たちの合唱が、一層大きくなった。
合唱のなかに、シャチョー!!シャチョー!! という声が混ざる。
「ひぃ… ひぃぃぃ!!」
男は気を失っていた。
 …
 …ィー
 テチィー
仔実装の声が聞こえる。
耳元で仔実装の声が聞こえる。
スモモとイチゴの声だった。
男は森の中で気を失っていたらしい。
日が既に暮れようとしていた。
仔実装たちは、男が倒れた後、心配で男の耳元でずっと鳴いていたのだった。
「(今のは夢か・・・)」
やけに生々しい夢だった。
しかし、よく内容が思い出せない。
いや、思い出さないほうがいい種の夢だったように思う。
『ご主人様。大丈夫テチー!?』
「ああ。大丈夫だ」
にしても。
男は体を起こして森を見る。
先ほどの夢の内容は覚えてはいないが、何か確信だけが心の中に残っている。
大樹… そうだ。洞。
夢の中では、その洞の中に何かが居た。
コンビニのような白い袋。
男は、改めて2匹の仔実装に会った時の姿を思い出した。
スモモもイチゴもコンビニ袋を服のように着込んでいたはずだ。
まさか…
男は、仔実装をポケットに入れて、森の中を走る。
いきなり男が走り出したので、テチャ!!とポケットの中で悲鳴を上げている。
男は走る。こっちだ。
何故か、わかった。
そうだ。先ほどの夢の中で見た風景と同じだ。
この先に大樹があり、そこに洞があり…
あった。男が思ったとおりの風景がそこにあった。
男が洞を覗く。
洞には緑の糞が満載だった。
その糞に囲まれて、寝息を立てているコンビニ袋姿の仔実装が眠っていた。
バナナだった。
バナナは何とか、この公園で生き延びていてくれたのだ。
『バ バナナ テチィ!!』
『起きるテチー! バナナッ!!』
『……? ゥポ?』
仔実装たちがポケットから飛び出し、洞の中へと入っていく。
涙を浮かべ、その光景を見守る男であったが、背筋に冷たい物が走った。
(あなたの実装石… ウチの仔たちにも合わせてやりたいわ…)
ゴクリと生唾を飲み込み、後ろを振り向いた。
そこには、薄暗い森の中の不気味な風景が、不気味に男たちを見つめているだけだった。
−30− 
奇跡に近い邂逅というものがある。
人生の中で、何度か存在するものなのかもしれない。
しかしそれは偶然という物だけでは語れない。
そういった時に、人は深く思考するのを止め、そして言う。
それは、天の配剤だと。
男の前に3匹の仔実装がいた。
スモモ。イチゴ。バナナ。『サクラの実装石』たち。
しかし、肝心の実装石がいない。そう。肝心の実装石がいないのだ。
サクラの実装石たちは、互いに抱き合い、泣き叫び、再会を祝っていた。
『イチゴッ!! バナナッ!!』
『バナナッ!! お姉ちゃん』
『姉チャ!! 姉チャ!!』
テチャーテチャー!!と互いを気遣い、慈しみ、そして寄り添い抱き合う仔実装たち。
その姿を見るだけで、男は体の痛みや疲れを忘れることができるようだった。
その中でイチゴが言う。
『ママァ… どこにいるテチ…』
その言葉に、姉妹ともテェ…という儚い鳴き声を上げた。
その時、風が吹く。
森の中を通り抜ける一陣の風。
その中に運ばれたある実装石の匂いを、バナナだけは嗅ぎ分けていた。
『ッ!! ママの匂いテチ!』
バナナがいきなり立ち上がり、鼻をピクピクさせて言う。
『こっちテチ!』
バナナがコンビニ袋を翻して、バナナが走る。
スモモは確信したかのように、バナナの後ろについて行った。
「お、おい」
男もその後に着いて行く。
バナナが男たちを先導し、森の奥へ奥へといざなった。
 …
 ッチ… ッチ…
 テッチ… テッチ…
バナナが辿り着いた場所。
森の小さな空間には、血や泥の濡れた地面に、破れた服や、実装石らしき肉片が散らばっていた。
その隣には、真っ二つに割れた見覚えのある物が転がっていた。
男がサクラに与えた実装フォンだった。
「…ま、まさか。ここで…」
男は実装フォンを手にする。
真っ二つに割れた実装フォンには、べっとりと緑色の体液が染み込んでいた。
『ママの匂い、ここで途切れているテチ!!』
バナナが悲壮感を込めて言う。
『ママァーーー!!! 何処テチィィィィ!!!』
『テェエエエエエン! ママァーーー!!! ワタチはココテチィィィィ!!!』
『何処テチィ!! 何処テチィ!! テェェン!テェエエン!』
泣き喚き、地面をぺしんぺしんと叩く仔実装たち。
男も割れた実装フォンを持っては、その緑と赤に染まった地面を呆然と見詰めていた。
日が暮れるまで、男と仔実装たちは、そこに蹲るようにしていた。
−31−
憔悴の中、男は仔実装たちを家に連れ帰った。
仔実装たちにとっては、約2週間ぶりの家であった。
厳しい野良生活の中、何度待望した家だろうか。
「家」という単語を聞いただけで、先程の憔悴は何処へ行っただろうか。
仔実装たちは、男のポケットの中でにわかに活気付き始めた。
『家テチ!! 家テチィィィィィッ〜〜!!!』
家の玄関に入るだけで、テンパル仔実装たち。
「おまえたち。まずは風呂だな」
『チャァッ!! オフロテチィ!?』
『アワアワッ!! オフロッ!! ウソォォォォーー!!』
『オフロッ! オフロッ! チギャァァッァァ!!』
「腹も減ってるだろ。高級実装フードも高級金平糖も買っておいたぞ。風呂上がったら食べような」
『フード!! フード!! テチァ!! テチァァァァァ!!』
『こ、金平糖テチィ!! 金平糖テチィ!!』
『フードォーー!! ウマッ!! ウマッ!! フードォーーー!!』
「そうだ。そのコンビニ服じゃ可愛そうだから、実装ショップで服を買っておいてやったぞ」
仔実装用のピンクのフリフリレースのリボンだらけのゴスロリドレス。
『デチャアアアアアアアーーーーーッ!!!』
『テェェン!テェエエン!』
『ウポッ!! ウポポポッ!!!』
仔実装たちは、まさしくパンコン寸前だった。
その夢のアイテムの中、バナナが夢にまでみた輝く物を見つめた。
『テチァ!! 姉チャ!! 見るテチ…!!』
『ヂュアア!』
『テチァ!!』
それは、金色に光る砂。
煌びやかなプラスチックの箱に囲まれた絶対領域。
『トイレテチィーーー!!!』
『ウンコッ!! ウンコするテチィ!!』
『初ウンコッ! 初ウンコするテチィ!!!』
仔実装たちは、金平糖もピンクのドレスも金繰り捨てて、両手をバタつかせながら
夢のトイレに向って走る。
仔実装が3匹も入るスペースもないトイレに、3匹がお尻をすり合わせる格好で
競って排便をし合った。
『テチューン♪ 気持ちいテチィ♪』
『出たテチィ♪ ウンコ一杯出たテチィ♪』
『ママッ!! ママッ!! 見てッ! 見てッ! ウンコッ! ウンコ出たテチ!!』
(いいウンコデスー♪ おまえたち、健康デスー♪)
いつもやさしく囁いてくれる母親の姿がない。
『テェ…』
『………』
『……ェ』
(デ? どうしたデス? おまえ達?)
サクラの居ない洗面所で、仔実装たちは悲しく鳴いた。
−32−
男の日課が加わった。
雨の日も、風の日も、必ず行う日課が加わった。
今日も公園の入り口は封鎖されている。
その公園の外から、公園の中を伺う人影があった。
サクラの飼い主の男である。男は肩から黒い鞄を提げていた。
男はこの鞄を持っては、ひなが公園の周りを回っては家に帰る。
それが男の日課だった。
家に戻り、鞄を玄関先に置いた。
その鞄の中から、もぞもぞと動く姿があった。
『今日もいなかったテチ…』
『ママ… 何処にいるテチィ…』
『テスン…テスン… ママいないテチ… ママいないテチ…』
それはサクラの仔実装たちであった。
鞄には、丁度仔実装たちの目線に合わせて、穴が穿たれていた。
あの事件以来、この街の住民達の実装石への接し方が大きく変わっていた。
あの後、公園以外の実装石も駆除の対象となり、街に住む虐待派も実装嫌いも
こぞって、街の中の実装石を見つけては、ここぞとばかり虐待した。
そんな風潮の中、わざわざ飼い実装を散歩につれて外に出す愛護派などいない。
街中から実装石が消えた。そんな中、仔実装たちを外に連れ出すためには
このように鞄に覗き穴などをくり抜いて、隠した上で運ぶしかない。
何故、そこまでして仔実装たちを外に連れ出すのか。
それは仔実装たちの要求でもあった。
母を捜したい。母は絶対、あの公園にいるはずだ。
私達を置いて、どっかに行くはずはない。
そう彼女らは繰り返した。
男にとってはぐうの音の出ない。
そう硬く信じていたのは男の方だからである。
男は仔実装たちに言われる迄もなく、この日課を進んで始めた。
しかし、また1日。また1日と時間が経っていく。
釈然としない日が繰り返される。
今日も男は部屋で布団をかぶっては、全てを忘れようと眠りにつこうとする。
しかし、階下で今日も声がするのだ。
『テェエエエエエン!』
『テェェン!テェエエン!』
『テッスン…テッスン…』
夜鳴きだ。
仔実装たちの夜鳴きである。
男はベットから降りては、階下のリビングにいる仔実装たちの下へ行く。
リビングでは、毛布に包まった仔実装たちが、母のいない冷たい毛布に対して
嘆き悲しんでいた。
『ママァ!! 何処テチィ!! 置いてきぼりは嫌テチィ!!』
『ご、ご主人様!! 公園行くテチィ!! 今から公園行くテチィ!!』
『テェェン!テェエエン! ママァーーー!!! ママァーーーー!!!』
以前の男から、お灸の一つは据えては、この仔たちを黙らせたりはしただろう。
しかし、痛い程この仔たちの気持ちは男に伝わった。
夜の風は冷たかった。
男は鞄の中に泣き止まぬ仔実装たちを入れて、不気味な夜の公園の周囲を回った。
鞄の中からは、テスン…テスン…という仔実装たちの泣き声が聞こえていた。
夜は封鎖された入り口にも気兼ねせず飛び越えて入ることができた。
公園の中に入ると堪らずスモモが鞄から顔を出しては、大声で鳴いた。
『ママァーーーーー!!! 何処テチィィィィーーーーー!!!! ワタチはここテチィィィィィーーーー!!!!』
それに続いて、イチゴもバナナを鞄から顔を出す。
夜の暗い不気味な公園に、スモモ達は大声で母親を求めて叫んだ。
公園の夜空に響く仔実装たちの泣き声。
男は人目のない公園で、仔実装たちを放った。
仔実装たちは、無人の公園を月夜をバックに走った。
つい数日前。母と共に暮らしたこの公園。
仔実装たちは、母の姿を求め、涙を拭いながら叫び、走り、そして泣いた。
『テェェン!テェエエン!ママァ〜!! ママァ〜!!』
『テスン… テスン… もう我侭言わないテチィ〜〜!!』
『テェエエエエエン!テェエエエエエン!ママァ〜〜!! ママァ〜〜!!』
姉妹達は叫び疲れ、走り疲れ、泣き疲れ、互いに抱き合い震えては、また泣いた。
男はその仔実装たちの姿を見ては、そっとしておいた。
男は煙草を手に、夜の公園を歩き出した。
短い間だったが、サクラとの思い出を紡ぐようにして、公園を歩く。
 サクラにダンボールの家を与えた場所。
 目を腫らしたサクラに傘を差した場所。
 スモモを見つけた森の繁み。
 バナナを見つけた大きな樹。
 そして、壊れた実装リンガルが落ちていた場所。
リンガルが落ちていた場所に辿り着くと、男は鞄から水が入ったペットボトルを出しては、
無言で緑と赤に染まった土の地面に、その水を撒いた。
『あぁ!! ママテチィ!! ママテチィ!!』
そう叫んだのはバナナだった。
抱き合った姉妹達の近くの繁みが揺れている。
そこに何かがいるのは確かだった。
『テェ!! ママッ!! ママテチィ!?』
『テキャァァァ!! ママテチ? ママテチ? テキャァァァァ!!』
母を必死に探すが故に、些細な出来事でも、それが全て母に関連付けられる。
それは、幸せ回路を持つ実装石としては、当たり前の事だった。
バナナたちは、両手をバタつかせて、繁みに向って駆けた。
しかし、それは明らかに違った。
揺れる繁みの中に浮かび上がる2つの目。
丸いその目は、明らかに野良猫の物である。
猫は実装石の天敵である。
その天敵に向って、頬を赤らめ、涙を流して、奇声を上げて走る3匹。
仔実装たちが感極まった叫びを上げると同時に、繁みの中から獲物を定める野生の影が駆けた。
『ママァ!! ママァ!! 帰って一緒にアワアワッ… デチャアアア!!!』
『テェ!!』
『テチァ!!』
まずイチゴの首が食いちぎられた。
イチゴの最後の顔は、何が起こったかわからないような、ひきつった顔をしていた。
その顔と目が合ったスモモは、パンコンして絶叫する。
バナナは何が起こったか、わからないでいた。
スモモの絶叫にピクリと反応した猫は、次にスモモに飛びかかった。
スモモの悲鳴と共に、彼女の引き千切られた服や肉片がバナナの顔に降り注ぐ。
足元に転がる食いちぎられたイチゴの首は、まだパクパクと口を動かしていた。
小さな声で、ママァ… ママァ…と口の動きだけをさせていた。
それをガチガチと歯を鳴らしながら、その姉の首を見つめるバナナ。
顔はスモモの血糊で、べっとりと濡れていた。
「シャァァァァァ!!」
顔の半分が欠けたスモモの死体を咥えた猫が、バナナの目の前で威嚇をしている。
バナナのスカートは、べっとりと暖かい物で濡れていた。
男は暗がりの中、仔実装たちの名を呼んだ。
いくら名を呼んでも、仔実装たちは男の下に現れなかった。
空が白むまで、男は仔実装たちの名を叫んでは呼んだ。
明け方、空が明るくなった頃、男は地面に真新しい緑と赤の染みを見つけた。
点々とするその血の染みの先の繁みには、野生の母猫と3匹の子猫が必死に
何かを咀嚼していた。
男は野良猫の親子が咀嚼するモノを見ては、
軽い悲鳴を上げて、その場にしゃがみ込んでしまった。
男は天を仰いだ。
この日は、あの事件が起こってから、丁度2週間目の日だった。
公園の封鎖は、その日、開放される日だった。
封鎖の開放と共に、地元の住民たちが多く公園に訪れた。










〜エピローグ〜
−1−
激しい散弾銃の音が木霊する。
この公園の野良実装、最後の日。駆除は熾烈を極めた。
昨日はまだ生き延びる目的のあった野良実装たち。
しかし今は、ただ絶望に打ち拉げられ、混乱の極みにある。
野良実装たちは、ただ自壊の方向へと進むだけだった。
闇雲に公園内を叫びながら、両手をバタつかせて騒ぐ野良実装石たち。
彼女らは、簡単に散弾銃の的となり、次々と屠られていく。
無慈悲な銃声と同属の悲鳴のみが聞こえる森の中、
サクラは必死にメロンを抱えて、その場で蹲り震えていた。
もう終わりかもしれない。でもこの仔だけは。
サクラは必死に手の中のメロン抱いては、歯を食いしばった。
『レチ? ママどうしたレチ?』
サクラの腕の中で、メロンが場違いな暢気な質問をする。
『デデデ…デス。だ…大丈夫デス。何でもないデス!』
絶えず聞こえる悲鳴の中、サクラは震えながら、抱えるメロンの体温のみを感じていた。
(ガサッ…)
繁みを掻き分ける人間の足音がする。
(ザッ…ザッ…ザッ…ザッ…)
それが、サクラに向って近づいている。
『(デ…デスゥ!!)』
サクラは小刻みに震えながら、天に祈った。
サクラには2つの幸運があった。
1つは、リンチにあった後のサクラの姿。
服は奪われ、血や泥だらけの成りが、見ようによっては、既に駆除された後の死体
のように駆除班に見えたこと。
そして、もう1つの幸運はこれである。
(ドサッ)
サクラの、頭のそばに置かれたもの。
人間の駆除班の男が置いたそれ。
それは麻袋。
駆除班の男は、死体と見えたサクラには目をくれず、その麻袋を地面において、
目の前を走る野良実装の駆除を始める。
『(…デス?)』
駆除班の男がその場所を離れた。
無意識のうちにサクラは、蛆のように這った。
サクラは、すぐそばの麻袋に辿り着き、その麻袋の中に身を投じた。
『ママッ! 真っ暗レチ! 夜レチ! 夜レチ!』
『(大丈夫デス。大人しくするデス)』
サクラは、メロンを抱いて、麻袋の中で必死に震えて耐えた。
無意識に麻袋に身を投じたことに、サクラの計算は何もない。
ここに入れば生き延びるという計算も何もない。
ただ、繁みの中で身を震わせるより、人間に見つかり難いという理由のみである。
数十分すると、浮遊感と共に麻袋が浮いた。
叫びそうになるメロンの口を押え、サクラは耐えた。
袋の口が開いたからと思うと、入り口から冷たくなった同属の肉塊が落ちてきて
サクラはウゲェという悲鳴をあげる。
デロンと舌を出す血まみれの同属の顔が、すぐ目の前にあった。
『レピャァァァァ!!!』
メロンは直に気を失った。
『デェェェェ〜〜〜!!』
サクラも、重なり合う同属の死体に怯え、小刻みに震える。
『(恐いデス… 恐いデス… 助けてデス… 助けてデス…)』
ガクガクと震えるサクラ。
続いて開く麻袋。また詰め込まれる同属の死体。
そして、振ってきた物。3匹の冷たくなった仔実装の死体であった。
それが、サクラの腕に滑り込んできた。
『ママ…』
『(デ… スモモォ…)』
『ママ… 何故置いてきぼりにしたテチ?』
『(イチゴォ… 違うデス、違うデス)』
『ママ… ウンコするテチ』
『(バナナァ… ウンコばかりしては駄目デスゥ…)』
同属の実装石に詰められた限られた空間。
酸素の供給も少なく、血と糞とゲロに塗れた空間。
そんなところに詰められ、かつこの後の自分の身がどうなるかわからぬ今、
先に気を失ったメロンは幸せだったといえよう。
同属のリンチを受けた偽石にヒビが入った状態のサクラが、そのような空間に
詰められ、正気を保っていられるわけもない。
 恐いデスゥ… 恐いデスゥ… ママァ… ママァ…
麻袋が少しでも揺れるたびに、悲鳴を押し殺し、心の中ではデギャァァ!!と悲鳴を
繰り返していた。
2回、3回、その麻袋の中に、同属の死体が詰め込まれた。
その後長い浮遊感が続き、ドンと麻袋が何かに積まれたような音がした。
サクラはその間、必死に声を押し殺しては、手の中のメロンを必死に抱いている。
(ブロォォォォォォォ)
麻袋が小刻みに揺れていた。
サクラにも振動と加速感が伝わってくる。
車に乗せられていることも、恐怖心でそんなことも考えられない状況だった。
そして、麻袋が大きく跳ねた。
カーブに差し掛かったトラックは、1つの麻袋を路上に落とした。
『デェェェェェ!!』
小さな悲鳴が、その麻袋から漏れた。
運良く、麻袋の中の同属がクッションとなり、サクラとメロンは一命を取り留めた。
「デェ…」
麻袋の口も落ちたショックで緩んでおり、内側から押すと何とか這い出る事ができた。
自由になったサクラは、呆然とそこに立ちすくんだ。
見れば、頭からドクリドクリと血が流れている。
 ここは何処デス…?
体がだるい。体中が痛い。特に右手が痛くてたまらない。
 お腹空いたデス…
見れば、目の前の麻袋から、うまそうな死体が零れているではないか。
 うまそうデス
サクラは麻袋を漁っていく。手ごろな仔実装を見つけて、それを頭から齧った。
 少し硬いけど、うまいデス。ングング。
仔実装を3匹、胃の中に収めたサクラは一息つく。
そして、自らが裸であることに気付く。
 なぜ、裸でいるデス?
 
麻袋から成体の同属の手足が見えている。
サクラは、同属から頭巾と服と下着と靴をはぐと、それを身にまとった。
 疲れたデス… ここは何処デス…?
サクラは、麻袋の横で呆然となりながらも、体操座りで座った。
見れば、見知らぬ閑散とした風景である。街の中心からも離れた郊外のようで
田んぼなども点在している場所だった。
季節は6月。
田には用水路の水を引き込んでおり、瑞々しい匂いがサクラの鼻腔にも届いた。
サクラはゴクリと唾を飲み込んでは、服が泥で汚れるのも厭わず、口をつけて水を飲んだ。
「レチィ?」
喉を潤したサクラは、再び麻袋の前まで戻ると、メロンが麻袋から這い出ていた。
サクラの腕に抱かれていたお陰で、親指実装ながら、一命を取り戻していた。
『ママァ!! ママァ!!』
サクラの足元でレチー!レチー!と叫ぶメロン。
サクラはメロンをひょいと手で掴んでは、顔に前に持ってきては言う。
『おまえ、誰デス?』
サクラはそう言った。
『レチ? ママ! メロンレチ! ワタチ メロンレチ!』
『何言ってるデス? 私に子供なんていないデス』
『メロンレチ! ワタチ メロンレチ!』
『メロン…? 覚えてないデス』
サクラは首をかしげては、その親指実装を麻袋の上に放り投げ、そして眠った。
寝ていると周りで、親指実装がレチィレチィ!と騒いでいる。
うるさいので、サクラは親指を振り払って、また眠りについた。
日が昇ると同時に麻袋の中の同属をまた喰らった。
ゲプゥとゲップをすると、ふらりと立ち上がった。
 こっちに行ってみるデス…
サクラはふらりと動き出した。
 レチー! レチー!
サクラの後ろで小さな声が鳴いた。
『ママァ!! 一人 嫌レチ!! 一人 嫌レチ!!』
小さな声に気がつき、サクラは振り返る。
 …………
レチィ♪レチィ♪とはしゃぐ親指実装。
何故こんなのを持っているのだろう。
サクラは、?な顔をしながら、街の郊外を歩いた。
最初に目に入った家があった。
そこには大きな庭があり、庭には大きな樹がある。
青々とした緑の葉が茂っているがそれは桜の樹。
サクラは桜の樹を見上げて、何故か頬を赤らめる。
何か、こう懐かしい感じがする。
サクラは呆然としながら、その庭に吸い込まれるように入ってしまった。
−2−
「あらまぁ。可愛いお客さん」
そう言ったのは初老の女だった。
サクラは桜の樹の下にメロンを抱いてちょこんと座っていた。
呆けたように首を上にあげ、桜の青々とした葉を見上げていると、声をかけられたのだ。
 ニンゲンデス…
サクラはそう思って、メロンを抱いたまま、そこを逃げ出そうとした。
「あらら。待って、待って」
止めたのは初老の女だ。
「ええと。確か、孫のリンガルがあったわよね。これだわ」
初老の女は一旦部屋に戻ってくると、何かを手にして戻って来た。
初老の女はリンガルを持って、サクラに話しかけた。
「こんにちわ」
『…こんにちわデス』
「どうしたの。こんなところで」
『…もう行くデス』
サクラはメロンを連れて、庭を出ようとする。
「ああ。待って、待って。金平糖あるのよ、金平糖」
金平糖と聞いて、サクラの手の中のメロンが騒ぎ始めた。
『金平糖レチィ!! 金平糖レチィ!! ママァ! 金平糖食べるレチィ!!』
「あら、可愛い。あなたの子供?」
『違うデス。知らない仔デス』
『レピャァァァ!! メロンはママの子供レチィ!!』
サクラはむずかるこの親指実装を捨てようと思った。
しかし、捨てようと思っても、どうしても捨てられない。
ならば、金平糖などを無視して、この場を立ち去りたかった。
しかし、泣き叫ぶ親指実装の声を聞いては、足も動かなくなるのだ。
『レチィ♪レチィ♪金平糖レチィ♪生まれて始めて食べるレチィ♪』
メロンの体ほどの金平糖を、メロンが抱きつくようにしてペロペロと舐めている。
サクラは仕方がなく、この家の縁側にちょこんと座って金平糖を齧っていた。
「あなたのお名前は?」
『……名前デス?』
サクラは名を思い出そうとした。
しかし名前も思い出せない。自分には大切な名前があったように思う。
目の前の桜の樹を見てはそう思う。
それに大切な家族もあったように思う。
膝の上に抱いているのは金平糖を舐めている親指実装。
これが家族。そう言われればそんな気もするが、それでは何か足りないような気もする。
サクラが唸っていると初老の女が言った。
「名前がないなら、私がつけてあげるわ」
『デ?』
「あなたの名前はミドリちゃん。この家で昔飼ってた実装石の名前よ」
そう言って、初老の女は居間に戻るとピンク色の首輪を持ってきた。
「つけておきなさい。この街で昨日、とても恐い事件が起こったの。
 たぶん野良だってわかったら、きっと駆除されちゃう。だから、こうするの」
初老の女はサクラの首に首輪をつけた。
サクラは首につけられた首輪を見ては、何かほのかに暖かい物を感じた。
この感じだ。
何かを忘れて探そうとしてる物。
案外ここにそれがあるのかもしれない。
『ニンゲンさん。これをくれるってことは飼ってくれるデス?』
「ええ。あなた達さえよければ」
サクラは膝の上で、金平糖でベトベトになっているメロンを見ては考えた。
どうせ何処に行くあてもない。ならば、ここに身を置くのも一つの選択肢である。
『……よろしくデス』
サクラはミドリとして、この家に飼われることとなった。
−3−
その日は、公園の封鎖がとかれた日。
地域の住民たちは、事件の記憶も薄れぬうちに憩いの公園へと集まる。
元来、公園とはそういう場なのだ。
中には、飼い実装を堂々とリードでつないで散歩させている愛護派もいる。
賑わった公園。
そんな中で呆然と座り込む男が居た。
男の手の中には変わり果てた仔実装の肉片があった。
周囲には仔実装の物と思われる血や糞や服の破片が散乱している。
そんな男の傍を可愛い服を着た実装石がリードでひかれて散歩をしている。
その実装石の手には親指実装が抱かれている。その横には飼い主だろうか。
その実装石を見ては、やさしく微笑む初老の女。
そのリードにひかれた実装石が、男の姿に気がついた。
「どうしたの?ミドリちゃん」
『デププ。変なニンゲンデス』
ミドリと呼ばれた実装石は、男に向ってデププと鼻で笑った。
手の中のメロンもレチチ…レチチ…と笑っている。
「駄目よ。ミドリちゃん。変な人に関わっちゃ」
『デプッ… デププッ…』
ミドリと呼ばれた実装石は、男に侮蔑の笑いを残してその場を去っていった。
「疲れたわ、ミドリちゃん。ちょっと休ませて」
『わかったデス。ママ』
女はベンチに座っては、軽く掻いた汗をハンカチで拭っている。
『ママ。これ外して欲しいデスゥ』
ミドリはリードの紐をくいくいと引張っては女に言う。
「あんまり遠くに行っては駄目よ」
女は、首輪につないであったリードを外した。
ミドリは駆けた。
何故か気になるのだ。
公園の広場の隅で蹲っていたニンゲンである。
ミドリは繁みを掻き分け走る。まるで、この公園をよく知っているかのような走りぶりである。
手には親指実装。
レチ〜♪レチ〜♪と、その加速感に酔いしれ、嬌声を上げて喜んでいる。
居た。まだあの場所に居た。
ミドリは肩を上下させながら、男に近づいた。
『デププ。まだ泣いていやがるデス』
ミドリは男に近づき、顔を覗き込んだ。
「……… ッ! サ…クラ?」
サクラは下着の中から、こんもりした糞を取り出しては、男の顔に塗りたくった。
『デププ。糞ニンゲンには糞がお似合いデスゥ♪』
男の顔についた糞の一片が落ちた。
その糞は、男の手の中の仔実装たちの頭巾の上に落ちた。
(おわり)