最近、飼い実装が散歩中に誘拐されるという事件が多発していた。 それも犯人は、こぞって妊娠中の幸せ満載の笑顔の実装石を狙って誘拐するという。
この双葉市だけで、この月に入って既に20件以上の誘拐が発生している。 しかも犯人は周到な準備を施しているのか、物的証拠などを何も残さず、警察もお手上げということらしい。
手詰まり悩んだ警察は、おとり捜査をすることにした。
おとり捜査に選ばれたのは、妊娠2週間目のリンダちゃん。
薄いピンクのフリルがついたマタニティ実装服を身に纏い、緑の両目で可愛く媚を繰返す リンダちゃんに発信機がつけられた。
「デスゥ? デスゥ?」
背中につけられた装置に違和感を感じてか、仕切りに背中を伺うリンダちゃん。
くるくると尻尾を追う犬のように、その場でぐるぐると廻る仕草が何とも可愛らしい。
そんなリンダちゃんを他所に、今回のおとり捜査が始まった。
「デッデロゲ〜♪ デッデロゲ〜♪」
頬を朱に染め、緑の両目で、膨らんだお腹を守るように擦りながら、ご機嫌で公園内を散歩するリンダちゃん。
周囲から見れば、人も羨む幸せぶりである。
「デスゥ〜? デスゥ〜?」
春のうららかな風に揺れる蒲公英を見て、不思議顔を繰り返すリンダちゃん。
「デプププ」
やさしく不器用な手で風に凪ぐ蒲公英の頭を撫でてやり、その隣に腰を下ろした。
「ボエ〜♪ ボエェ〜ゥ♪」
悦に入ったのか、お気に入りの唄まで歌い始める。
嗚呼。こんな優しく可愛いリンダちゃんを危険に晒してまで実施せねばならぬ捜査。 全て悪いのは連続誘拐魔である。公園の要所でリンダちゃんを見守る捜査員たちは拳を熱く握る。
そんな時だ。 一人の不振な男がふらりとリンダちゃんの方へと近づくではないか。 風体はみすぼらしく、口元も不精髭が伸び放題。明らかに怪しい。
「デ…? デスゥ?」
近づく男に警戒心なく、口元に手を添えて、鳴きかけるリンダちゃん。
危ない。捜査員がそう思うと同時に、男が袋を取り出し、さっとリンダちゃんをさらってしまった。
「デデッ!! デギャァ!! デギャァァ!!」
捜査員である鮫島が持ち場を離れて駆けようとする。 しかし、主任がその手を掴み、無言で首を振り、目でその捜査員を制した。
誘拐犯は単独犯ではない。 発生件数からして、大掛かりな組織が存在しているはずだ。 この場でのゲンタイ(現行犯逮捕)はたやすい。しかし、今は星を泳がし、ヤサを探る方が優先される場面である。
鮫島は苦虫を噛み締めるように、その場で震えるしかなかった。
尾行の末、ヤサは難なく割れた。 晴海ふ頭の寂れた倉庫に無数のケージが運び込まれている。
捜査員の一人がその倉庫に忍び込む。 その気配を敏感に感じたのか、ケージの中に閉じ込められていた実装石たちが一斉に泣き出した。
「デギャァ!! デギャァ!!」 「デッデロゲェェェーー!!! デッデロゲェェェーー!!!」 「デェェェェン!! デェェェェン!!」 「デェェ!! デェェ!! デスッ!? デスデェース!?」
田舎の水田が並ぶ田園風景。その夜、蛙が鳴く合唱の中に身を置いたことがあるだろうか。 夏の森の中。松尾芭蕉が詠んだ蝉の音の洪水に圧倒された覚えはあるだろうか。
四面から泣き叫ぶ実装石たちの声。声。声。 その声はすべて、緑の両目から流れる涙に枯れたしわがれた鳴き声だった。
鮫島は思わずケージの鍵に手をかけ、そのいたいけな妊娠実装石の救出を試みる。 しかし、その手を止めたのは、他ならぬ、また主任であった。
犯人達の狙いはわからない。 しかし、彼奴らは必ず尻尾を出すはずだ。 この倉庫に閉じ込められた大合唱をする妊娠飼い実装石たち。 この彼女らを回収するために、もしくは取引をするために、彼奴らは現れるはずだ。
鮫島は崩れる足を叱咤しながら、その場を離れる。
中にはケージの中で、既に出産に至っている固体もあった。 水もなく、粘膜を取る事が適わなかった蛆状態の仔たちを、涙目で必死に舐め続けている。
「デスッ!! デスデェースッ!!」
狭いケージの檻に顔を食い込ませ、必死の形相で叫ぶ実装石がいた。 リンダちゃんだ。
鮫島は断腸の思いで、その場から逃げるように駆け出した。
糞。許せないのは犯人たちだ。 こうなれば耐久戦だ。奴らが動くか、こちらが根負けするかである。
晴海ふ頭の防波堤近くに止めた車の中で、アンパンを齧る日々を送る。 汗ばむ手でニューナンブを何度握り締めた事だろうか。
「デェスーーーッ!! デスデスゥーーーーッ!!」 「デェェェエエン!! デェェェエエエン!!」 「デッデロゲェェェーー!? デッデロゲェェェーー!?」
助けを求めて、悲鳴と共にガンガンとケージを揺さぶる音が聞こえてくる。 その度に鮫島は、血の涙を流し耐えるしかなかった。
そんな悲鳴に耐えながら、1日… 2日… 悪戯に時が経過していく。
「……ェ ………デ……ス」
倉庫の実装石たちの声も、次第に、か細くなっていく。 水も食料も与えられぬ中、まだ見ぬ犯人達に捜査員は歯軋りをするしかない。
出産した実装石たちが、自らの仔で食繋ぎ始めた頃、犯人グループが現場に現れる。 鮫島たち捜査員たちの張り込みは、功を奏したのだ。
「リンダ! リンダ!」
犯人たちを検挙後、鮫島は倉庫内にリンダの姿を捜し求め駆ける。 検挙された犯人たちは、一様に盗品である多くの貴金属を身につけていた。
最近、実装石を使った密輸グループの噂が流れていた。 麻薬などをコンドームに詰め、実装石の体内に隠し、東南アジアから密輸する。 その見返りに、今度は盗品を初めとした貴金属を、また実装石の体内に隠し輸出するのである。
妊娠している実装石は、両目が緑であるため、素人目でも判断しやすい。 そんな実装石が、不自然にお腹が膨らんでいても、不自然に思う者は少ないのだ。
「リンダ! リンダ!」
鮫島は見た。 倉庫の片隅のケージの中、死んだ我が子を擁きながら、既に事切れているリンダの姿を。
鮫島リンダ 享年2ヶ月 殉職 2階級特進。
新宿蛆V 〜完〜