サクラの実装石

 

 

 

 

『サクラの実装石10』
■登場人物
 男  :仔実装のサクラを拾い育てる。サクラ親子の飼い主。
 サクラ:男に拾われた実装石。厳しく躾けられ、一人前の飼い実装となる。
 スモモ:サクラの長女。
 イチゴ:サクラの次女。
 メロン:サクラの三女。サクラの折檻で死亡。
 バナナ:サクラの四女。
■前回までのあらすじ
 「実装石の飼い方」
 書店で手に入れたその本で、初めて実装石の飼育に挑戦する男。そして、その
 仔実装の「サクラ」。男はサクラに適切な躾を施し、サクラは仔まで産む。
 サクラは、厳しい躾の末、三女「メロン」を殺してしまう。サクラは再び妊娠
 をするが、サクラは躾をすることを恐れてしまう。サクラ親子は、禁忌を犯し
 た仔実装のために、躾の一環として公園の野良生活へと身を落とす。その生活
 の中、仔実装たちにはご主人様への思いが募っていく。サクラのお腹の仔も、
 順調に成長し、サクラの公園生活も終わりを迎えようとしていた矢先、公園内
 で変事が起こる。
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−8−
「こんな街中で銃器を使うなんて、行政は何を考えているんだっ!」
警察官の胸倉を掴んで、唾を飛ばしている住民が居た。
プロ市民。
どんな町にも存在する輩である。
事ある毎に、市制の粗を探しては、もっともな事を主張し、
善良な住民を煽り、自らの団体の利権を増やそうと虎視眈々と狙う輩である。
「市長は無能だ! こんな市長がいる町だからこそ、実装石が沸いたりするんだ!」
議論のすり替えだが、目の前で市民が被害を受けている事実に、誰も反論できない。
その時、駆除班が回収した赤子の死体が、救急班の手によって確保された。
「トシくんっ! トシくんっ!」
「トシ坊っ! トシ坊っ!」
冷たくなった赤子の父母だろう。
大きすぎる担架に運ばれた変わり果てた息子に姿に、その場で慟哭する父親。
嘆き悲しむ母親。
母親は見た目は決して若くなかった。
目尻には皺。父親もそうだ。
二人は学生結婚で結ばれた。
学生時代は、子を設けることはできない。
一人前になってから。男は、そう自分に言い聞かせ、家庭を支えるために職を探した。
若い頃は、小説家を目指した。
妻もよく理解をしてくれた。
持ち込み。
これは辛い辛い地道な作業だった。
嫌な編集者に当たると、句読点の位置まで、ねちねちと指摘される。
「あー。あとがきなんざ書くなんて、10万年早いんだよー」
「読者のことを考えて書けよな、ヴォケ。読者様が望んでるのは、濡場だよ、濡場」
「あー。次の展開はこうだな。俺の事を聞いていれば、間違いない。がははh」
悔しかった。哀しかった。
妻のためにも、負けるわけはいかない。
しかし、いつしか、男は初心を忘れ、酒にまみれた生活に堕ちてしまう。
「別れましょう。私達・・・」
妻にそう言われたのは、アル中になる一歩手前だった。
男は改心した。
小説家の夢を諦め、ひたすら働いた。
工事現場。コンビニ。新聞配達。
そんなある日、妻が言った。
「赤ちゃんができたみたいなの」
3ヵ月後、医者から聞かされた残酷な宣告。
「−−−赤ん坊は堕胎してください。このままでは母子共に危険です」
泣いた。
初めて、心の底から泣いた。
父親が死んだときよりも、泣き崩れた。
「子供はまた作ればいい」
泣く泣く妻も承諾した。
堕胎手術後、妻は子供のできない体になっていた。
諦めかけた頃、男も妻の髪の毛に白い物が目立ち始めた頃、妻が告白した。
「あなた。出来たみたいなの。赤ちゃん! 私達の赤ちゃん!」
男と妻の顔が紅潮した。
それが1年前。
そして、今。
「ドジぐーんっ!!! なんでぇ!!! なんでなのぉぉぉ!!」
崩れ落ちる女。ひたすら、目に涙を溜めて、妻を庇う男。
「実装石は俺達の手で殺せぇー!! 市政にまかすなぁーー!!」
プロ市民たちが、その光景を利用し、民意を扇動しようとする。
公園の内も外も、怪しい雲行きになっている。
「(はぁ… はぁ… はぁ…)」
公園に向って走る男が居た。
「待て!この先は立ち入り禁止だ。君、ニュースを見てるだろ」
公園の入り口に差し掛かる角。
そこには、警察官が「立ち入り禁止」の看板のそばで立っている。
「ニュースを見て来たんです」
「ああ、野次馬か。帰った、帰った」
「違うんです。あの公園の中に、私の飼い実装が居るんです」
「ハァ?」
通行止めの交通整理をしている警官は、頭を掻きながら対応をする。
男であった。サクラの飼い主の男だった。
居間で何気なくTVを見ていた時のテロップ。
サクラが居る公園で、実装石が人を襲うニュースのテロップだ。
駆除を開始。とのニュースの締めくくりに、男は家を飛び出す。
公園に来る途中、携帯電話で、何度もサクラに電話を入れたが、
電波の入りずらい所にいるためか、かからなかった。
通行止めの警察官をなんとか説得し、中に入ろうとする。
「じゃぁ何? 君が飼ってる実装石が、人を食べたってこと?」
「うちの子は、そんなことしません! 駆除されないうちに、助けてやらないと!」
「あー、駄目駄目。あきらめなさい。もう駆除班も公園に入ってるんだから」
その時だ。
だぁぁぁぁん!とくぐもった音が、男の耳にも聞こえた。
どう聞いても銃声にしか聞こえない。なんてことだ。男は焦る。
「通りますよ」
「駄目ったら駄目だ」
埒が明かない。
通行止めの向こう側。公園の入り口には、被害者の関係者か何人か野次馬の存在がある。
せめて、そこまでは、と通行止めの警察官を何とか説得し、男は公園の入り口までやって来た。
「な… 何をやってるんだ…」
男が見た光景。
デスーデスーと叫びながら逃げる親子を後ろから銃で滅多撃ち。
殴る蹴るを繰り返しては、麻袋に詰めて、それを山積みにしている光景。
恐怖に耐えかねてか、繁みから飛び出した実装石が、また銃撃の餌食となる。
「おい… あんたら… 何やってるんだ…」
男は肩を小刻みに震わせながら、近くにいた警察官に近寄った。
「どうしました?」
警察官が、きょとんとした顔で男の顔を覗き込む。
「あんたら… 何やってんだって聞いてんだよッ!!」
警察官の胸倉を掴む。
「俺の実装石がッ! サクラが中にいるんだッ! すぐに止めさせろッ! すぐに止めさせろッ!」
「ちょ、ちょっと離してください」
警察官も市民の手前、乱暴な行動に出ることはない。
公の場ゆえ、市民の訴えは見かけだけでも、公平に聞いてやる必要がある。
「うちの子が居るんだ! この公園の中に! 助けてやってくれっ! 頼むっ!」
必死に男は訴えた。
その実装石は掛替えのない存在であること。
男にとって、彼女らは、まるで家族であるということ。
あんたも人の子だろ! 父母や子供がいるんだろ! なんとかしてくれよ!
最後は、そんなことを荒っぽく捲くし立てていた。
「トシくんも… 掛替えのない家族だったのよ…」
そのやり取りを聞いていたのだろうか。
女がぽつりと呟いた。
「私のトシくんも、掛替えのない家族だったのにぃぃぃぃ!!!」
小さな遺体の母親である女が叫んだ。
女は肩を震わして、冷たくなった息子に手を当て、咽び泣いている。
悲劇の主人公は、あなただけじゃない。
そう言わんばかりの叫び声で、女が叫んでいた。
その女の傍ら、瞋恚の炎で目を腫らした男が、サクラの飼い主を睨んでいた。
小さな遺体の父親であった。
「愛護派だ…」
誰か呟いた。
「愛護派だ! 俺は見た! こいつは毎日、公園に来ては餌をやっている」
「ちっ、違う。そんなことはしてな…」
(ひゅん)
石が男の足下に投げられた。
「愛護派を許すなっ! こいつらがいる限り、実装石が図に乗り続けるんだ!」
(ひゅん)
投石が続いた。
石が男の肩に当たる。足に当たる。そして、顔に当たる。
そんな男に同情の視線はなかった。
そして、父親が男に対して、言い放った言葉。
「貴様の実装石か… 俺の息子を殺したのは…」
−9−
『姉チャ! ママの匂いッ! こっちテチィ! こっちテチィ!』
バナナが動物的直感で、入り組んだ森の中、的確に方角を姉であるスモモに示す。
正直、スモモは驚いている。
自分も臭腺を追うことは、実装石として能力として押えている。
しかし、それは単調な匂いの街中などでは役に立つ能力だ。
この森の中。土の匂い。木々の匂い。他の小動物の糞の匂い。そして、他の野良実装石の匂い。
そんなありとあらゆる匂いの洪水の中、はっきり言って、母の匂いを追う自信はない。
母から置いてきぼりを食らった今、正直スモモは立っていられない程の不安に苛まれていた。
怖い。
正直怖いのだ。
この暗い森の木々。
いつ現れてもおかしくない同属の姿。
そんな中、平然と母の臭腺を追う妹の姿。
スモモは、これほど妹であるバナナの姿を逞しく思ったことはない。
『姉チャ! 近いテチィ! ママッ! 近くにいるテチィ!』
鬱蒼と茂る繁みと木々。
視界は薄暗く、見えるのは緑の葉や鬱蒼と蔽い茂る木々のみ。
一体、何の確信を持って、母が近くに居ると言うのか、この妹は。
試しに、鼻をクンクンと嗅ぎ分けてみる。
緑の木々や葉の強烈な匂いで鼻腔が麻痺しいてた。
匂いで酔いそうだった。わかるはずもない。
『叫ぶテチ! 姉チャ! ママァーーーーーッ!!』
こんな所で、大声で鳴くなど、同属を呼び寄せるようなものだ。
危険な行為。
やってはいけない行為。
でもスモモはバナナを信じた。
『ママァーーーッ!! ココテチィーーーッ!!』
『ママァーーーーッ!!! 怖いテチィーーーーッ!!』
バナナを信じ、あらん限りの声で叫んだ。
そして、遠くで聞こえたのだ。
 ァッ!!
確かに聞こえた。
 …スッ!! …スゥッ!!!
微かに聞こえる声。ママだ。
『姉チャ!!』
『バナナァ!!』
二匹の頬が朱に染まる。
二匹は叫びながら、ママの声がする方角へ繁みを掻き分けて走る。
両手をバタつかせながら、母親の方向へ向う仔実装。
『デスゥー! スモモッ! バナナァ!!』
繁みの向こうから、サクラの声がした。もう本当に目と鼻の距離だ。
『ママァー!! 置いてきぼりは嫌テチィ!!』
『いつも一緒テチ! いつまでも一緒テチィ!!』
繁みのこちら側で、スモモたちが叫ぶ。
『そうデスッ! 私とおまえ達は、いつまでも一緒デスッ! 何処でも一緒デスッ!』
繁みを掻き分けるサクラ。
繁みを掻き分けるスモモとバナナ。
『『ママァ!!』』
『スモモッ! バナナッ!』
繁みから飛び出した親子は、抱擁した。
二度と離すものか。二度と離れるものか。
クンカ クンカと母親の匂いを確かめる仔実装。
肌に感じる子供たちの温もりを確かめる親実装。
サクラ達が抱き合っている場所。繁みから飛び出た場所。
そこは、森の中心へと向う、整備された道。
その道は、公園と続く森のメインロードであった。
『さぁ、おまえたち。一緒にイチゴを追うデス』
 …
 …ゥー!
そのメインロード。
公園の方向から声がする。
『ニンゲンは、まだ遠くに行ってないはずデス!』
 スゥー!!
 デスゥー!!
 デスデスゥーーー!!
サクラ達の方向に向って声がする。
『お前たちが居れば、ママは百人力デ… デデデッ!!』
 デスデスッーーー!!!
 デェデェデェェェェェ!!
 デスァァァァァァ!!デスァァァァァァ!!
(ドドドドドドドドドドドドドドドドドッッッ!!!!)
森に向って逃げてきた狂気に駆られた野良実装達であった。
彼女らは土埃と糞埃を立てながら、絶叫状態で、森の奥へ奥へと逃げていく。
「デエエエェェ!!!」
「「テチァァァァァ!!」」
その群れはサクラ達親子を巻き込んだ。
『デスッ! スモモッ! バナナッ! 手を離しては駄目デスッ!』
『ママッーーーー!!! デチャア! テチィィィィィィィィィィィ…』
野良実装の波は、サクラ親子を飲み込んだ。
しっかりと握ったはずの子供達の手。
そのうちの一つ。
スモモの手が、その実装石の波の勢いで、するりとサクラの手を抜けてしまったのだ。
『デチチチー!! ママァ!! ママァァ!!!』
『スモモッ! スモモッ! この手デス! この手を掴むデスッ!』
『デチャア! ヂュアア! テェェン!テェエエン!』
サクラが手を掴もうとしたが、スモモの姿は、既に視界の中にない。
(ドドドドドドドドドドドドドドドドドッッッ!!!!)
 デスデスッーーー!!!
 デェデェデェェェェェ!!
 デスァァァァァァ!!デスァァァァァァ!!
砂埃と糞埃。同属たちの悲鳴と鳴き声。
サクラとバナナは波に押されて、森の中央へと押されていく。
『デデースッ! スモモォ! 何処デスッ! 返事をする…デギャァ!!』
『姉チャッ! 姉チャッ! テァ!! デチャポッ!! ゥチャポッ!!』
実装石の波は、サクラとバナナを襲い、容赦なく親子を弾いた。
バナナは波に飲まれないように、必死にサクラにしがみ付いている。
スモモはその反対。森の繁みの奥へと弾かれていく。
サクラはその波に抗い、必死には子供達の名前を叫んでいた。
『ママァーーーッ!! チィーーーーーー!!! ママァーーーーッ!!! デチチー!!』
スモモは視界の利かない砂埃と土煙の中、必死に母を求めて泣いた。
フラフラと土煙の中に、母を求めて身を投じた矢先、野良実装の足蹴に遭遇し、弾き飛ばされる。
『デヂュアアアアアア!!!!』
スモモは、その勢いのまま道外れの斜面へと弾き飛ばされる。
『ッ!! テチァァァァァ!! テチァァァァァ!!』
コロコロと斜面を、蛆のように転げ回るスモモ。
その勢いのまま、繁みの奥へと放りだされ、繁みの奥にある地面にぽっかりと開いた
黒い闇の中に、イチゴの身は吸い込まれていった。
『アアァァァッ!! ァーーーーーッ!!!  ーーーッ! ーーー ………』(ぽちゃんっ)
スモモが落ちた場所。それは、森の繁みの中に隠れていた古井戸だった。
幸い水があったため、即死は免れた。
だが、かなりの高さで水面に叩き付けられたスモモは、
『…チィ…テェエ……テェェ…』
と儚く鳴くと、そのまま動かなくなり、徐々に水面下へと沈んでいった。
野良実装の怒号と悲鳴の中、見えなくなったスモモの姿に、焦るサクラは叫び続けた。
声が枯れるまで、土煙の中、叫び続けた。
『スモモォ! 何処デスゥ! スモモォ!!』
『デギャースッ! デギャースッ!』
『スモモォ! スモモォ!』
『……ッ!!』
『ッ!!!』

実装の一団が走り過ぎた後、しばし呆けていたサクラだったが、
バナナを抱き上げ、スモモとはぐれた場所に向って駆け出していた。
名を呼んだ。
叫んだ。求めた。しかし返事はない。
『スモモォ!! 何処デスゥ! 生きてるなら返事をするデスゥ!』
『姉チャ!! 何処テチッ? 姉チャ! 返事をするテチッ!』
『デェェ… エェ…』
サクラは途方に暮れた。
連れ去れたイチゴ。そして、次はスモモまでが…
サクラは何度もスモモの名を声が枯れるまで叫んでは、泣き、叫んでは泣いた。
サクラは、呆然と宙を見つめていた。
サクラの脇には、コンビニ袋姿のバナナが、サクラに抱きついている。
その時だった。
 ガサッ…
遠くで繁みが揺れる音がする。
「デデッ!?」
サクラは、その音に驚き、バナナを小脇に抱えて、急いで繁みの中に身を隠す。
(ガサッ… ガサガサッ!!)
「デッ! デギャァァァ!! デギャァァァァ!!」
その離れた繁みの中から、同属の悲鳴が聞こえた。
(バシッ!)「デギャァァ!」(バシッ!)「デギャァァ!」
『デッ! ニンゲンデスッ!』
サクラは見た。
駆除班の人間だった。
繁みの中の野良実装石を見つけるや否や、棒のような物で突付き、繁みの中から
野良実装を突付きだし、繁みから出た実装石を、特殊警棒で殴りまくっている。
『ェ… デェ…』
虫の息の野良実装が、呻き声をあげている。
駆除班の男は、その野良実装の首を踏みつける。
『ッ!! デェ……』(ぐきり)
人間の全体重分の重みを、首に加重された野良実装は絶命していた。
(ガサッ… ガサガサッ)
駆除班の男は、再び黙々と棒で繁みを突付いては、実装石を探している。
『バ、バナナッ! こっちに来るデスッ!』
サクラはできるだけ音を立てずに、繁みの中を移動する。
危ない。危険だ。人間は、私達を捕まえようとしている。
(ガサッ……)
『デッ!』
サクラが逃げようとした方向。
その方向からも、繁みを掻き分ける音がする。
『デデッ!』
こちらにも、人間がいた。
耳を澄ませば、あらゆるところで、繁みを掻き分ける音がする。
 ーーースッ!!
 …ャァァァァァァスッ!!
 …ギャァァァッ!!
 …スデースッ!!
森の至るところで、叫び声が聞こえる。
どうやら、駆除班の大部分が森の中へ入ったらしい。
サクラは震えながら、バナナを抱き上げ、繁みの奥の奥へと体を沈めていく。
『(バナナ… 静かにするデスッ!)』
『(わ、わかったテチ!)』
(ガサッ……)
(ガサッ… ガサガサッ)
繁みを掻き分ける音。
棒状の物が地面を突付く音。
人間の靴が、森の地面の草を噛む音。
遠く聞こえる同属の叫び声。
怖い。とてつもなく怖い。
ここには誰もいないデス。向こうに行けデス。早く向こうに行けデス。
サクラは、バナナをしっかりと腕に抱いて、ただひたすら時間が過ぎることを望んだ。
(ザクッ!)
サクラのすぐ足元。
繁みの上から、棒状の物がささった。
(ザクッ! ザクッ!)
『(デッ…デスデスッ!)』
腕の中では、バナナが歯を鳴らしながら、涙を流して、必死にサクラにしがみ付いている。
(ザクッ!)
(ザクッ! ザクッ!)
「……いないか」
人間が、棒状のものをひっこめ、その場を立ち去る音が聞こえる。
『(…デス! 助かったデス)』
しかし、安心するのはまだ早い。
サクラの近くでは、まだ繁みを掻き分ける音が、何箇所からも聞こえる。
早く時が過ぎて欲しい。早く時が過ぎて欲しい。サクラは必死に願い続けた。
その時だ。バナナがサクラに話しかけてきた。
『(ママ…)』
『(しっ…バナナ… 静かにしているデスよ)』
『(出るテチュ)』
『(黙るデス! 静かにしないと駄目デス)』
『(ウンコ 出るテチュ)』
『(デッ! デデデッ!)』
こんな時に便意を訴えるバナナ。
『(ウンコッ! ママッ! ウンコ 出るテチュッ!)』
『(デデッ! 我慢するデス! もう少し我慢するデス!)』
『(テチュ… ウンコ 我慢するテチ…)』
『(偉いデス。あと少しデス。頑張るデス)』
顔を赤らめて、両手でお尻を押さえ、必死に我慢するバナナ。
バナナは肛門に力を入れて、必死に我慢を続けた。
 ウンコしたいテチ。
 でも我慢するテチ。
 楽しいことを考えるテチ。
 楽しいこと 楽しいこと
 家テチ!ご主人様の家テチ。
 実装フード。金平糖。おいしいテチ。
 お腹一杯テチ。
 次はウンコテチ。
 家のトイレは綺麗テチ。
 砂が光ってるテチ。
 気持ちイイテチ。
 ウンコするテチ。ウンコするテチ。
『(ウンコォ! ママッ! ウンコ するテチ!)』
『デデッ! 全然我慢してないデスッ!!』
「ん?・・・なんだ?」
サクラは思わず口を押える。
さっきの声が人間に聞こえてしまったらしい。
先程の人間が戻って来たのか、また別の人間か。
繁みの隙間から、人間の足が見える。
『(しーっ! バナナ。静かにするデス!)』
『(テェ……)』
バナナはお尻を押えて、しきりモジモジし始めた。
それを無理やり力づくで押えるサクラ。
『(テェ… ウンコォ… テェ…テェェェ!)』
サクラの腕の中で、海老反りを繰り返すバナナ。
(ガサッ… ガサッ…)
『(我慢するテチュ… ウンコ…我慢するテチュ…)』
バナナは呪文のように、小声でそれを繰り返した。
バナナは必死に、この便意に抗う方法を、小さな脳みそで考える。
『(そうテチ 歌を歌って気を紛らわすテチ)』
      ウンコの唄
              作詞:バナナ
              作曲:バナナ
  ウンコ ウンコ 愉快なウンコ
  今日も ウンコが 一杯出るテチ
  ママも 姉チャも なかよくウンコ
  ウンコが ウポポ ウンコが ウポポ
  ウンコォ ウンコォ ウンコッコォ
『ウンコォ! ウンコォ! ウンコッコォ!!』
『デェェ! 黙るデスッ!』
(ガサッ! ガサガサガサガサッ!!)
今のサクラの叫び声で、繁みの揺れが一層激しくなる。
どうやら、人間はこの繁みに実装石がいることの当たりをつけたらしい。
『(お願いデス!バナナ。我慢するデス。頑張るデス!)』
『(ウンコォ… ママァ… ウンコォ… テェエ… ウンコォ…)』
バナナはもう臨界点を突破したらしく、両目から血が微かに滲んだ涙を流している。
『(ダメテ…チュ… マ…ママ…ウン…コ…ォ…)』
『(頑張るデス! もう少しデスッ! もう少しデスッ!)』
(ガサッ… ガサガサッ…)
『テチァ…ァァァァ!! デチチィィィー!!』
バナナは叫び、サクラの腕の中で、排便をする。
バナナの腸内の温度と等しい糞のそれは、サクラのスカートにべっとりと付着する。
と、同時にサクラの頭上の繁みがぽっかりと開いた。
その繁みの空間から伸びる駆除班の男の腕。
『デッ! デェェェェェェッ!』
腕はサクラの後ろ髪を掴み、サクラは宙へと舞い上がる。
 デエェェ! 痛いデスッ! 髪が痛いデスッ!
サクラの全体重の重みが、サクラの後ろ髪に加わる。
両の足をバタつかせると、べっとりとスカートに付着したバナナの糞が駆除班の男の目にかかった。
「・・・・っ!」
駆除班の男はサクラを思いっきり繁みの上へと、そのまま叩きつける。
『……ェ 〜〜〜ッ!!』
あまりのショックに息が止まるサクラ。
駆除班の男は目にかかった糞を手で拭うと、腰から取り出した特殊警棒を一閃した。
サクラは無意識のうちに手でそれを庇おうとする。
(シュンッ)
サクラの右手がありえない方向に曲がっていた。
直角に90度。ありえない方向に曲がっていた。
サクラは呆然と、自分の右手を見つめては、戻った呼吸で開口一番叫ぶ。
『ッデヒャッ…デヒャッ…ァァァァァァァ!! デギァァァァァァァ!!』
糞を漏らしたパンツをコンモリさせ、右手を庇いながら、右へ左へ転げまくる。
その上から容赦なく襲う特殊警棒。
『デッ! デッ! デギァァァ! デギァァァ!!』
サクラは無意識のうち、お腹だけを庇い、その警棒の攻撃を全て背中で受けた。
(ぶりっ! ぶりりりっ!)
さらに大きく振りかぶり、駆除班の男が、サクラに止めを刺そうとした時、
繁みの奥で、別の駆除班の叫び声が聞こえた。
「見つかったぞ! 子供を発見したぞ!」
サクラの目の前に居た駆除班は、その声を聞くと、特殊警棒を振りかぶった右手を下ろし、
急ぎ、その声がした方角へ、繁みを掻き分け走っていく。
サクラは、絶体絶命の中、一命をとり止めた。
『痛いデスゥ… 痛いデスゥ… デッスン… デッスン』
 ポツリ・・・ポツリ・・・
一筋。二筋。
森の木々の葉の間から、冷たい雨が降り出した。
当たりは一瞬にして、豪雨のように雨が振り出す。
『痛いデスゥ… 痛いデスゥ… デェエエエン!! デェエエエン!!』
ざあぁぁぁぁぁぁぁ…
その繁みの向こうで、バナナは赤ら顔で排便を終えていた。
−10−
公園の入り口。
屯している野次馬のその外れ。
サングラスをかけた明らかに見掛けの怪しい男が、チンピラ風の男たちと何かを話している。
「(わかってるだろうな。実装石なんてのはどうでもいい。次の選挙で勝つために
 この事件をなんとかスキャンダルにでっち上げるんだ。いいな)」
「(わかってます)」
「(とりあえず、火を大きくするんだ。見つかっていない幼児なんて死んでもいい。
 いや、むしろ死んでくれた方がいいな)」
チンピラ風の男が、にやけながらうなづいた。
チンピラ風の男の一人が、バールのような物を何十本も肩に担いでは、人ごみの中へ入る。
公園の前では、険悪なムードが漂っていた。
愛護派であると決め付けられた男が、周囲の怒りを集中的に浴びている。
「おまえの実装石が、息子を殺したんだっ!」
被害者の父親らしき男に、胸倉を掴まれた。
掴まれたのは、サクラの飼い主の男だ。
「違うっ!うちの仔は、そんな凶暴じゃない!」
「被害者の遺族を逆撫でするような発言は寄せ!」
煽るプロ市民。
「そうだっ!実装石なんて危険な生き物! 野放しにしてはいけないっ!」
「市政なんかにまかせれるかっ!」
「そうだっ! そうだっ!」
騒いでいるのは一部分だった。
一般の住民たちは、その流れに戸惑いの色を隠せないながらも、納得はしているようだ。
そのうち、周囲もその気になってくる。大衆心理とは、そのようなものだ。
「皆さんっ! 実装石が危険な生き物だなんてとんでもない。
 考えてみてください。戦後、実装石が人を襲った事例なんて…」
「五月蝿いっ!」
被害者の父親が男を殴った。
「おまえの実装石が殺したんだ! おまえの実装石が、俺の息子を殺したんだ!」
「ち、違う! サクラはそんなことはしないっ!」
男が叫ぼうが、周囲の熱気はそれを頭から否定する。
「実装石を殺せェェェェェェーーーーッ!」
バールのような物を持ったチンピラが、公園内に突入する。
「市民の皆さんは危険なので、公園から出てくだ・・うわぁ!」
警官を押しのけ、それに続く住民たち。
皆、誰かに配られたバールのような物を持って、公園に続々と入る。
「や、やめてくれ!! これ以上、実装石を、うわぁ!」
男は、バールのような物で、頭を殴られた。手を頭にやる。
手のひらには、暖かい血が、べっとりとついている。
住民は、次々と公園の中に入り、実装石を見つけ次第、バールのような物で
次々と屠っていく。虐待派も何人か含まれているのだろう。
「実装石を殺せェェェェェェーーーーッ!」
「実装石は皆殺しだぁぁぁぁぁ!!! ヒャァーハッハッハッ!!!」
いつの間にか、公園の空は曇り、大粒の雨が公園の土を湿らせていた。
いけない。このままではいけない。
前髪から、朱の珠が滴り落ちるのを意に返さず、男も公園の中へと入る。
しかし、怒り叫ぶ住民たちは、公園の中を蹂躙するように、バールのような物を振り回しては、
次々と実装石を狩り出している。
 サクラ! サクラ! サクラ! サクラ!
 そうだ。実装フォン。実装フォンだ!
男は、懐から携帯電話を取り出す。
震える指で、メモリーダイアルから、サクラの実装フォンのダイアルを選択した。
−11−
サクラは傷む右手をそのままに、左手でバナナを抱き上げ、森の中を彷徨っていた。
緑の頭巾や服は、所々サクラ自身の血で、赤く染まっている。
雨でぐっしょりと濡れた頭巾と服。
髪は、べっとりと額に張り付き、雨の露が髪を伝っては消える。
濡れた緑の服も、サクラの艶美な体のラインを際立たせ、下着のラインが何とも艶かしかった。
ざあぁぁぁぁぁぁぁぁ
雨の日の森は異様な雰囲気だった。
森の葉が、雨粒を弾く音が、森中に響き渡り、その音がまた共振する。
その音の中、結局サクラが落ち着いたのは、森の中の広場。
他の傷ついた野良実装石たちも、最後に辿り着いた場所がここであった。
頭上の樹齢100年を超える大木が、実装石たちを雨から守ってくれる場所であった。
その中。
片手がないもの。
頭巾から血が滲んでいる実装石。
既に死んだ仔実装をあやしながら、話しかける実装石。
生後まもない仔実装が、しきりに母親の乳房を求めて泣いている。
仔実装をしっかりと抱いた母親は、散弾銃をまともに受けたのだろうか。
ここまで仔実装を抱いて逃げてきたのも奇跡に近かっただろう。
仔実装は、既に事切れている母親の乳房辺りを、服の上から口を当てて吸い始めた。
乳が一向に出ないため、癇癪を起こし、テェェン!テェエエン!と泣き続ける。
そんな場所に辿り着いたサクラとバナナ。
木の根元に、力尽き、崩れるようにして座る。
サクラの両目には涙。
もう枯れたかと思うぐらいに泣いたが、涙は無尽蔵に溢れて来た。
右手の痛み。背中の痛み。連れ去られたイチゴ。逸れてしまったスモモ。
もうサクラ自身の力では、どうしようもなかった。
『ガタガタガタ……デデデデデッ!』
サクラの隣で、膝を抱えている実装石が、デデデデッと震えながら糞を漏らしている。
 ーーースッ!!
 …ャァァァァァァスッ!!
森の至るところで、叫び声が聞こえる。
人間らしい叫び声が、公園の方から多く聞こえてきたが、そんなことはどうでもよかった。
『デエェェェェェェ!!!』
極度の緊張に耐え切れなくなった実装石が、森の繁みの中へと駆ける。
 …ャァァァァァァ!!
数分後、その実装石らしい悲鳴が聞こえた。
ざあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ…
サクラの手の中のバナナはビニール製のコンビニ袋を服としていた。
非常に蒸れて汗疹もでるのだが、こういった雨の日の耐水性は快適なようである。
そのバナナがサクラに言う。
『ママ? オテテ 痛いテチ?』
バナナがサクラを気遣って発言だ。
見ればサクラの腕。先程の駆除班の男に襲われた腕。
『デス。大丈夫デス。ママは無敵デス!』
サクラは強がってみせる。
『ママッ! すごいテチ!』
回復力の強い実装石であれば、1日もあれば治る傷だ。
しかし、それは十分な栄養。十分な休息を取ればの話である。
今のサクラのその折れた腕は、見た目は真っ直ぐな方向に治っているように
見えるが、骨や神経などは、まだ破損された状態である。
しかし、バナナはすっかり安心したのか、サクラの膨らんだお腹に頬擦りをし始めた。
『ママァ ところで姉チャ達はドコ行ったテチ?』
無邪気にバナナが尋ねた。
『…デズ ちょっとお出かけしているデス。もうすぐ戻ってくるデス』
『テチュ お出かけ…』
『さ、眠るデス。起きたら、きっとスモモ達が帰って来ているデス』
サクラは左手で、バナナとお腹を交互に擦りながら子守唄を歌った。
 ボエ〜♪ ボエ〜♪
サクラの子守唄を聞くと、バナナはウトウトとし始め、目を閉じる。
せめてこの仔だけは…。
そう思いながら、スモモとイチゴの姿を思う。
何処に行ったデス! 何処に行ったデス!
サクラの子守唄は続く。
 ボエ〜♪ ボエ〜♪ デッスン ボエ〜♪
 グズッ… デスン ボエ〜♪ ボエエ〜♪
 イチゴ… スモモ… ヒック… ヒック…
 グズッ… デスンデスン ボエ〜♪ ボエェェ… デェ…
 デェッ! グズッ… デエェェェ… デエェェェン!
泣いているのはサクラだけではなかった。
同じように、この広場に居合わす野良実装は、泣き続けていた。
どうしようもない大きな力の前に。
成す術もない己の無力さを痛感して、泣き続けていた。
 デスゥゥゥゥゥ〜♪ デスゥゥゥゥゥ〜♪
『デズッ… グズッ… ボエッ… ヒック…ヒック…』
サクラは相変わらず、しゃくり泣き続ける。
 デスゥゥゥゥゥ〜♪ デスゥゥゥゥゥ〜♪
『デ!?』
『デデ?』
少し高い電子音。
少し間が抜けていると思わせるその鳴き声。
実装フォンだ。
広場の呆けていた実装石たちが、一様に不気味な緑と赤の目で、首を振りながら、
その音の出所を探す。
サクラが、下着に挟んでいる実装フォンが鳴っているに気付くには、少し時間がかかった。
サクラは、立て続けに起こる出来事に翻弄され、すっかり実装フォンの事を忘れていたからだ。
『デスンデスン… デ?』
実装フォンが鳴っていることに気がつくサクラ。
『デデデデス!!』
絶望に打ちひしがれていたサクラの頬が桜色になる瞬間。
ママだ!助かる!きっと、ママなら、スモモもイチゴも探してくれるに違いない。
サクラは、折れた右腕も構わず、下着から実装フォンを取り出し、耳に当てた。
「サクラッ!」
実装フォンから聞こえた声は、まさしく男の声。ママの声だ。
その声を聞くなり、サクラは両目から止め処もなく涙を流し、
甘える子猫のように、電話先の男の声に全力で甘えた。
『ママッ! ママッ! 助けてデスッ! 助けてデスッ! 直に迎えに来て欲しいデスッ!
 スモモもイチゴも何処かに行ってしまったデスッ! 哀しいデス! 寂しいデス!
 今すぐに会いたいデスッ! 愛してるデスッ! 大好きデチュッ! 早く会いたいデチュ!
 ママァァァァ! ママァァァ!! ティェェェン! ティェェェン!!』
「ラッ…」
『デチュ? ママ…? どうしたデチュ? 声が遠いデチィ?』
「ッ! ッ! げろッ!」
『ゲロ? 最近吐いてないデチ?』
「逃げろッ! サクラッ! そこから早く逃げッ! うわッ!」
電話口の男の様子に思わず甘え声から我に戻るサクラ。
『デ…デスデスッ!! ママッ! どうしたデスッ! ママッ! ママッ!』
「 (…ろせッ!)(実装石は殺せッ!)(俺の息子を食い殺した実装石を皆殺しにしろッ!)」
『ッ! マッ…ママァ! どうしたデスッ! 返事をしてデスッ!』
『躾はもう終わったデスッ! みんなで帰るデスッ! メロンも生まれるデスッ! 』
「もしもし…」
『ッ! ママッ! どうしたデス? そうデス! イチゴがママのためにお花の冠を作ったデスゥ♪ みんなで手伝ったデ…』
「おまえか… 俺の息子を殺した奴は… 待ってろ… 今から殺しに行くからな…」
(ツー ツー ツー ツー)
『……デ?…デスゥ?』
サクラは、?な顔をして、実装フォンをぷるんぷるんと振ってみる。
壊れたのかな? ママの声が変な声だったデスゥ。
首をかしげ、実装フォンを見つめるサクラに対し、森の広場の全ての実装石がサクラの方向を向いていた。
暗い相貌。
ギラついた目。
血まみれの服と頭巾。
片輪。跛行(びっこ)。不遇の体の実装石達。
その実装石たちが、緑。赤。緑。赤の目で、じとーとサクラの持つ実装フォンを眺めていた。
 ・・・・・・
 ・・・・・・・・
 ・・・・・・・・・・デス
『あれ…デス』
『ニンゲンを操る…あれデス』
『デシャァァァァァァ!! ニンゲンを操る板デスッ!!!』
一匹の実装石が立ち上がり叫んだ。
サクラが初日、公園の中央で見せた実装フォン。
サクラの飼い主と会話をしていた姿を見た野良実装石が、この中に数匹紛れ込んでいたのだろう。
『デ!』
『デデッ!』
その声に反応し、騒ぎ始める野良実装石たち。
『あれがあれば、助かるデスゥゥゥッ!!!』
もう一匹が叫んだ。
 助かる?助かるデス?
精気もなく俯いていた実装石が顔を上げる。
 子供も助かるデス!?
下半身が千切れた仔実装を抱いた母親実装石が目を大きくする。
 死んだ子供も生き返るデスッ!?
土色で濁った瞳で舌を出した仔実装の死体を抱いた、片輪の実装石が叫ぶ。
『よこすデスッ! そ、それをよこすデスッ!』
1匹の野良実装が、サクラの持つ実装フォンに向って走る。
『デ! デデ!?』
『よこすデスゥ!! デシャァァァァ!!』
サクラと取っ組み合いが始まった。
その様を眺めていた他の実装石も、立ち上がる。
『アレがあでば、ワタジもだずがるデズゥ〜?』
『助かるデスゥ? 痛いのはもうないデスゥ?』
わらわらと集まり始める実装石。
中には、駆け出す実装石もいた。
デッ! そうはさせじと競いサクラに向って駆け出す実装石。
独占欲。
糞蟲特有の本能だ。
しかも、今は生死を左右する事情だ。
サクラを中心に野良実装たちの取っ組み合いの乱闘が始まった。
『退けデスッ! 助かるのは可愛い私一人でいいデス!』
『デギャース! よこせデス! 売女! 売女! デギャアァ! プシャァァァ!!』
余りの出来事に叫ぶサクラとバナナ。
『デデデデデデデ、デェェェース!!!』
『ウポッ!! ウポポポポッ!!!』
殴る。蹴る。取っ組み合う。
サクラは奪われんと必死に実装フォンを掴む。
実装フォンを掴む左手首を押えて、他の実装石が地面に落ちていた石を拾っては、
その振り上げた石で、サクラの腕を潰しに掛かる。
(ガンッ! ガンッ! ガンッ!)
『デェ! ギャァァァァ!!』
痛みで思わず実装フォンを離してしまうサクラ。
そこに、新たな実装石が、それを奪わんと十重二十重に飛びつく。
『デスデスー! 助けるデスッ! この世界で一番美しい私を助けるデスッ!!』
奪った実装フォンを上下逆さまに持ち、頬を上気させながら必死に叫んでいる実装石。
それをまた奪い合う実装石。
実装フォンを奪い合う乱闘が始まった。
−12−
「見つかったぞ!! 子供達が見つかったぞぉ!!」
公園の周りに居た野次馬の一人が、森から救出された子供の姿を見ては叫んだ。
野次馬の中に、歓喜の声が響き渡る。
「アヤッ! サクラッ!」
姉妹二人の母親が、姉妹を抱き寄せては、歓喜の声をあげた。
「痛くなかった? 大丈夫だった?」
「ママ。ママ。こぴとさんっ! こぴとさん飼っていい?」
「いいわよ、いいわよ。本当によかったわ。グスッ…」
幼い姉妹は、今の状況を理解していない。
封鎖された公園。集まった野次馬。居並ぶ警官にパトカー。
ましてや、この騒ぎ事態が、実装石が引き起こした事件であることなど、露ほどにも知らないのだ。
イチゴは、姉妹の妹「サクラ」に抱かれていた。
ひたすら、母親を呼び続け、泣き叫び、体力のほとんどを消耗してしまったイチゴ。
今は、テェェェと力なく成す術もなく、体を「サクラ」に預けているだけだった。
そこに、イチゴの精気を復活させる人がいた。
見紛うわけはない。夢にまで見た人。この冠を上げるべき人。
ご主人様。サクラの飼い主である男であった。
『…テェ……………テェエエエエ!!!!! デチチッッー!チィィィィィーーーー!!!』
両の手をバタつかせながら、心の底から叫んだ。
 
 ご主人様! ご主人様! ワタチテチ! イチゴテチ!
 アナタは忘れたかもしれませんが、ワタチテチ! イチゴテチ!
 渡したい物があるのテチ! ごめんなさいをしたいテチ!
 ご主人様! ご主人様! ワタチテチ! イチゴテチ!
イチゴは、頬を赤らめながら、叫んだ。呼んだ。男の名を。
男は公園に入ったところで、携帯電話を取り出してしきりに叫んでいる。
『テチー!! ご主人様ァ!! ココテチィ!!! ワタチはココテチィ!!』
「ママ。こぴとさんっ! ママ。こぴとさんっ!」
「サクラ」が懐から、騒ぐイチゴを取り出し、母親に見せる。
当のイチゴは、そんな状況にはお構いなしで、ひたすら男に向って叫んでいる。
『お花テチ!! 冠作ったテチ! ご主人様のために冠作ったテチィ!』
「これもね、こぴとさんから貰ったの。こぴとさんからっ」
そう言って、姉も冠を差し出した。
『ッ!! 	デチチー!! それはご主人様のために作った冠テチィィィィ!! 汚い手で触るなテチィィィ!!!』
大声で泣き叫ぶ実装石を、いきなりに目の前に出された姉妹の母親は、甲高い悲鳴を上げた。
「ひぃ! じ、実装石っ!」
「サクラ」が差し出した実装石を、母親は、はたくように地面に投げつける。
「チャァ!!」(べしっ)
地面に思いっきり叩きつけられるイチゴ。
「そんな冠も捨てなさいっ!」
そう言って、母親が冠もはたくと、それを足蹴にして、冠をバラバラになるまで踏み潰す。
「こ、こぴとさんっ!」
「うえーーーん。うえーーーん」
余りの出来事に泣き叫ぶ姉妹。
幼い姉妹にとっては、トラウマにならんばかりの母親の行動に映った。
その幼い姉妹の鳴き声の中、
その後ろでは、男がプロ市民たちに暴行を受けていた。
携帯電話を奪われる。
その携帯電話に、被害者の父親が何かぼそぼそと電話口で叫んでは、その携帯電話を
地面に叩きつけ、バールのようなものを取り出しては、森に向って走って行った。
イチゴは全身に走る激痛と涙で霞む視界の中、必死に這い続ける。
手足はもちろんの事、背骨も頚骨も損傷を受けているのではないか。
体を動かす度に、気が狂わんばかりの激痛が走る。
しかし、イチゴは必死に体をくねらし、手を伸ばそうとする。
その先には、姉妹の母親がばらばらに踏み砕いた冠の残骸。
何度も気を失わんぐらいの激痛に、テチァ!!テチァ!!と叫びながら耐え、
手に蒲公英の花を一輪掴む事に成功する。
イチゴはそれを手にしながら、次は男の方に向って這い出した。
痛い。
痛いはずだ。
体を動かさずにいても、卒倒するほどの痛みがイチゴを襲っているはずなのだ。
しかし、イチゴはその傷みに耐え、折れた手足で、匍匐前進を続けながら
男の方へと少しずつ少しずつ、テチァ!!テチァ!!と泣き叫びながら進んでいく。
痛みのため、泣き叫んでいるのに、イチゴの頬は紅潮していた。
痛みのため、泣き叫んでいるのに、イチゴの口は笑っていた。
『テチィ… ご主…じ…ん……テチァ!?』
突如、イチゴの体が浮いた。
イチゴは、蒲公英の花を持ったまま、暗闇の中へと吸い込まれていった。
イチゴは何が起こったかわからない。
あと少しで。あと少しで。ご主人様に会えたというのに。
気がつけば、上も下も。右も左も真っ暗な空間の中。
しかも、強烈に臭い匂い。糞や血や小便の匂いばかりする。
 ここはドコテチ! ここはドコテチ!
 ご主人さまぁぁぁ!! ご主人さまぁぁぁ!!
 ティェェェェン! ティェェェェン!
それは駆除班の男が持つ麻袋の中。
駆除班の男は、公園内の実装石の死体などを集め、麻袋に詰めた上、
それをトラックの荷台へと積んでいく。
それらは、保健所へと送られ処分される運命である。
そんなイチゴの悲鳴に気付かず、男は頭から血を噴出させながら、立ち上がる。
サクラら親子を探すためだ。
1歩。2歩。
男は歩き出す。
3歩目。
男は崩れ落ちた。
(続く)