サクラの実装石

 

 

 

 『サクラの実装石』2
 
「食事」「排泄」を覚えた頃には、サクラも仔実装から中実装ぐらいに成長していた。
身長で言えば、男の庭に来た頃は15cm程度であったが、今は30cmは超えていた。
身長が伸びると移動も早い。サクラは今まで動かせなかった引き戸を開ける事が
できるし、階段などの上り下りもできるようになっていた。
『ママー、これは何テチ?』
成長とともに変わる視線の高さに、今まで目に映らなかった風景に興味を持ちだす。
子供がいれば、こんな感じだろうな、とはにかみながら、サクラの質問に男は答える。
「これは冷蔵庫」
『何をするものテチ?』
「これは食べ物を保存する箱」
『ここは何テチ?』
「ここはお風呂場。体を綺麗にするところ」
この頃になると、躾をする機会も極端に減ってきた。
30cmも超えると、食べる量も増えてくる。排泄量も多くなってくる。
男は「実装石の飼い方」にある新たなステージに挑もうとしていた。
第3章.実装石の教育
 ▼自分の事は自分でやらせる
  体格も大きくなって来た時には、実装石も色々な事が出来始めます。
  道具を持つ、扉を開ける、蛇口をひねる、様々です。
  最低限、次のことを自分でやらせるようにすれば、飼い主の手間も省けます。
  @食事の準備
   これは仔実装の頃から、食事の時間を厳密に躾けた実装石だけに出来る教育です。
   ほとんどの実装石は、食事が保管されている場所を知ると、時間に関わらず
   本能のままに喰い散らかします。
   厳しく食事の時間を守らせる躾ができた実装石だけ、この教育を実施しましょう。
   食事の準備の教育をされた実装石は、食事の時間になると、自立的に飼い主の
   元へ訪れ、食事の準備をしてよいかの伺いを立てます。
   食事の許しを得た実装石は、自らの手で皿、実装フードの準備に取り掛かり、
   決められた場所に座って、飼い主を待ちます。
   賢い種類は、餌を目の前にしても、じっと飼い主の許しを出るまで待ち続けるのです。
  A排便の処理
   体が大きくなると排便の量も多くなり、夏場などは非常に匂います。
   実装石はもともと体臭の強い種であり、最近の実装フードは、排便の匂いを抑える
   物もありますが、便も相当匂いがきついものとなります。
   賢い種に、排便の処理を教育させれば、排便後、自らの手で紙袋などに排泄物を
   割り箸などで掴んで捨てさせることが可能です。
  B下着の洗濯
   排便を躾けた実装石でも、下着は何日もすると汚れてきます。
   実装石は、清潔を好む動物です。野良実装石でも、賢い種であれば、公園の噴水
   などで、自らの下着を洗濯する光景は、よく見られるでしょう。
   家庭内では、もちろん噴水などはありませんので、浴室などで洗面器に水を張る
   手順を教えてやり、洗濯をすることを教育しましょう。
   室内では、乾くのも遅いので、実装石用の下着の干し場所と替えの下着の場所を
   教育すれば、飼い主の手を煩わせずに、自ら下着を交換するようになります。
  C玩具の片付け
   実装石は玩具の類が大好きです。
   玩具の時間が過ぎたら、玩具の片付けは自らの手で行わせるように教育をしましょう。
   「片付ける」という行為を覚えた実装石は、部屋の掃除や食事の後片付けなど
   様々な事を学ぶようになります。
「サクラ、玩具で遊ぼうか」
「テチ?テチューッ!!テチューッ!!」
今日は玩具の日じゃないけど、ママのお許しが出た!
玩具で遊べる!ママと一緒に遊べるっ!!!
そんなサクラは大喜び。サクラは男のズボンを掴み、居間へと男を引っ張る。
サクラは、車の玩具が大好きだった。外で走っている車は怖い。
小さい頃、近くで走ってきた車にトラウマを持っていた。
しかし、ママから貰った小さな車。サクラが跨ることもできる。あの怖い車に!
そして、ママはサクラが跨った車を動かしてくれる。すごいスピードで。右に。左に。
サクラは、その遊びを大好きで、それを想像するだけで体が震えてくるのだ。
男は、サクラと丸一時間ほど遊んでやった。
遊び終わったサクラも肩で息をしながら、満足しているようだ。
「サクラ。遊んだ玩具を元の場所に片付けて」
『テチー? 片付けるテチ?』
片手を口元に沿え、首をかしげるサクラ。
「ほら、使った車を元の場所、この箱に入れるの」
男が車を手にしたのを見て、サクラはもう1度遊んでくれるのかと勘違いし
「テチュー! テチュー!」と男の腕にまとわりつく。
「違うの、サクラ。片付けるの」
「テチュー! テチュー!」
 パシンッ!
軽いビンタ。大きくなったサクラには、デコピンなどの躾は弱すぎるのだ。
男はサクラの右頬を打った。それも最小限の力で。サクラに気付いて貰うために。
やさしく。傷つかないように。愛をこめて。打った。
「テァ… ヂュアア…デェエエエエエエエエエエエンッ!」
サクラは大粒の涙を流して、口を大きく上げ、上を向いて泣いた。
今までの躾もあって、サクラは決して大声で泣くこともなかった。
しかし、今はそのルールも破って泣いた。楽しい時間から一気に落とされたからだ。
『片付けるって何テチか! ママ! もっと一杯遊んでテチ! 遊んでテチ!』
躾ける時は、タイミングが大事である。
これからも、もっと一杯教育をしないといけない。
その度に甘さを見せることは、飼い実装石として、これから生きていくサクラに
とっても、ためにならないことだ。
男は、涙を浮かべながら、立ち上がり、箪笥の中からある物を取り出した。
「千年灸」と呼ばれる凸型の形をしたお灸だ。
凸型の先頭に火をつけるタイプのお灸で、火が直接肌に触れる事はない。
「サクラ。片づけをしなさい」
「テッスン…テッスン…テッチー!テチテチー!」
ふぅ・・と男はため息をつくと、サクラの頭の頭巾を下ろした。
サクラの頭皮がむき出しになっているところに、千年灸のシールを剥がし
頭に貼り付ける。
「テチッテッチィィィ!」
嫌がるサクラを押さえつけて、火をつける。
極力サクラに、直接火が見えないように注意をした。
「テェエエエエエン!テェエエエエエン!…テェェ?」
すっかり痛い事をされるかと思っていたサクラは、全然痛くないことに気付く。
ママは怒ってない。もう許してくれた!ママ!もっと遊んで!
頭巾をとられ、頭に凸型のお灸をつけたままのサクラは、再び男の腕を引っ張り
遊ぼうとせがむ。
「駄目。もう終わりなの。玩具を片付けて」
「テチュー!テチュー!」
火が百草(もぐさ)の1/3ほどを焼き尽くした時、サクラは頭部に微かな熱さを感じた。
「テァ!!」
両手を頭の上に伸ばすが、実装石の体格の構造上、両手が頭の上に届くことはない。
熱さは徐々に本格的になる。
「片付けなさい」
「テチッテッチィィィ!!!」
熱さのため、立っていられなくなり、その場にうずくまるサクラ。
しかし千年灸は、ぴったりとサクラの頭部に固定されているため、どのような姿勢を
取ろうとも、熱さは満遍なくサクラの頭部を襲うのだ。
泣き喚きながら、顔をかきむしるサクラ。
「片付けなさい」
「テチァ…テチァ…テチァァァァァ!!」
辛うじて、玩具の積み木や車を手に取り、元の場所へ運ぼうとするが
熱さのため玩具を放り出してしまう。
「放っちゃだめでしょ!片付けなさい」
『ごめんさいテチ!! ごめんささいテチ!!
  片付けるテチ!! 片付けるテチ!! ママァ!! 許してテチ!! 許してテチ!!』
両手両足をバタつかせながら、パンコン状態で両目から血の涙を流すサクラ。
口から泡が吹き出ている。お灸は、まだまだ1/2を過ぎたところだ。
「片付ける?」
『片付けるテチ!! 片付けるテチ!!』
「じゃぁ片付けなさい」
「デヂュアアアアアア!!!!」と叫びながら、サクラは這いずり回り、車に手をかけたところで
失禁しながら気を失った。
男は急いで頭に張り付いたお灸を取って、サクラの頭を確認する。
赤くはなっているが、火ぶくれのような火傷までは至っていない事を確認すると
安堵のため息を漏らす。
それ以降、サクラは玩具の日の後は、進んで片付けるようになった。
お灸はサクラにとって、恐怖の対象となった。
「お灸するよ」
と、言っただけでサクラは涙を浮かべ、男の言う事を聞いた。
「トイレの後は、ちゃんとお尻を拭くの」
緑色に染みた下着のまま、居間にあがろうとしているサクラに言う。
「お灸するよ」
「テチァ!!」
サクラは急いで洗面所に戻り、ティッシュを取り出して、自分の股間を拭く。
『キレイになったテチー』
緑色の糞のついたティッシュを持ったまま、居間の戻ってくるサクラ。
「拭いた後のティッシュは、ここに入れるの。何度言ったらわかるの」
『テチュー! ママー! 抱っこテチー!』
サクラは、賢い実装石ではない。むしろ糞蟲に近い個体だ。
覚えた事はすぐ忘れる。何度も躾けるが、それも忘れる。
本人は気をつけているのだが、どうしても本能に勝てないのだ。
自分はやはり実装石を飼うことに関しては、初心者なのだろうか。
嗚呼、サクラはかわいい。サクラと今後一緒に住みたい。
だからサクラには飼い実装石としてのルールを学んで貰わないと駄目だ。
男は藁にもすがる思いで「実装石の飼い方」を読み返す。
そして、男はある章を見つけた。それは「親離れ」という項。
第3章.実装石の教育
 ▼親離れ
  仔実装から中実装、そして成体になる過程で、必ず必要なのが親離れです。
  野生の実装石は、単体で生き残れる体力がついた仔実装から離れていきます。
  多くは、仔実装を巣に残したまま、その土地を離れます。
  残された仔実装は、そのまま死んでいくケースが多いですが、一部の仔実装は
  自立をした上で逞しく生きて行きます。
  実装石をペットとして飼う過程で必要なのが、この「親離れ」行為です。
  食事や寝床を与えてくれる仔実装にとって、飼い主はまさしく親です。
  親がいる限り、食事の準備や排泄の始末などしてくれるのは当たり前と
  仔実装は思い込んでしまいます。その依存してくる愛をきっぱりと
  断ち切るのも飼い主としての務めです。
  その過程を経て、仔実装は自立しなければならない事を知ります。
  食事の準備、洗濯、入浴、就寝の準備など、自らの手で行えるようになれば
  立派な住居人として、実装石を家族に迎え入れることができるのです。
  具体的な「親離れ」の手法として、然るべき教育を行った後
  1)食事の準備をしない、2)一緒に入浴をしない、
  3)過度な遊びをしない 4)一緒の部屋で就寝しない
  などがあります。
  少なくとも1週間、それを遵守し、仔実装が自立することを願いましょう。
男は翌日からサクラに「親離れ」をすることを決めた。
せめて今日だけはと、サクラを布団に招きいれ、一緒に眠った。
次の日
男の朝の日課は、サクラを起こすことだった。
しかし、男は眠るサクラをそのままに、部屋を出る。
顔を洗い、髭をあて、髪を梳く。珈琲を入れ、新聞を広げ、焼いたパンを口に運ぶ。
いつもなら、サクラが食卓の上で、実装フードを食い散らかしては、男に怒られている
はずだった。
サクラは、階下でする物音で目が覚めた。
「チ…?」
いつもならママが起こしてくれるけど、今日はママが起こしに来ない。
ママは寝坊助さんテチ。起こしにこないママが悪いテチ。もっと寝るテチ。
男は朝食を追え、普段着に着替えた後、サクラをそのままに家を出る。
別に用事があるわけではない。サクラを自立させるための教育の一環である。
しばらく家を空け、一人でいることを実感させるためだ。
男は目的もなく歩みを進め、近所のコンビ二に入った。
雑誌を立ち読みし、飽きたので煙草を買ってコンビニを出た。
ふと見るとコンビニの駐車場の近くには、託児を狙った親実装石の姿がある。
「いるんだな・・やっぱり」
男には野良実装石を見るのも初めてだ。
こんな生き物がいたことすら、サクラに出会うまで知らなかったのだ。
よく見れば、近くの公園にも、実装石がうろついている。
男は、実装石という存在に興味がなかったため、敢えてそれを知ろうとしなかった。
おそらく今まで視界に入っても、不細工な犬や猫程度にしか思っていなかったのだろう。
公園へ出歩くと、デスデスと歩く親実装の姿。その後ろにテチテチと鳴きながらついて行く仔実装。
薄汚い姿だが、愛くるしい姿だと、男は思う。
でも、うちのサクラの方がかわいいな。
それは、親の欲目。
男は、コンビニに戻り、金平糖を買って、駐車場と公園の実装石に金平糖を与えてみたりした。
丁度その頃、サクラは目覚めた。
『ママ…? どこテチ?』
ベットから降りて部屋から出る。
テチーと鳴いても、階段の下からは何も聞こえてこない。
一段一段、器用に階段を降り、台所へと向かう。
この時間なら、ママがご飯を用意してくれている時間だ。
「テチー」
呼んでも返事がない。男は既に家を出た後だった。
ぐぅ〜。サクラのお腹が鳴る。いつもなら、既に朝食を食べ終えている時間だ。
「テチーーーーッ! テチーーーーッ!」
いない。ママがいない。どこにいるテチ、ママ。ママァ!!
サクラはこの家に来てから、ほぼ毎日24時間、男のそばを離れていない。
その男がいない。それは、サクラにとって恐怖そのものでしかなかった。
「テチーーーーッ!テチーーーーッ!テチィィィィィーーーーッ!!!」
・・・・・・
ほんの10秒ほど鳴き止んだ。その間、ママが返事を返してくれるのを期待して鳴き止んだのだ。
そして、何も返事のない10秒が過ぎた後、サクラは大声でテスンテスンと大粒の涙を流して
泣き始め、台所の中を駆け始めた。
居間の扉の方向へ向かい、ぺしんぺしんと居間の扉を叩く。だかママの返事はない。
台所に漂う糞の匂い。既にパンコン状態だ。
便所以外では、排便をしてはいけないと、厳しく躾けられてからは、
サクラは、ほとんどそのルールを守っていた。
しかし、今はルールどころではない。
糞が溜まったパンツの状態で、次は玄関の方向へ泣き叫びながら駆ける。
そんな状態で走ると、パンツの裾から糞がこぼれるのは仕方がない。
緑の染みを床に残しながら、玄関に向かい、ぺしんぺしんと玄関の扉を叩くが、ママの返事はない。
「テェェーーーーーン!テェエエーーーーーン!」
ママ・・どこにいるテチ・・・私を捨てたの? 怖いテチ、ママ!一人は嫌テチ!
男は昼食をコンビニ弁当で済ませた。
昼食を取っていると野良実装石親子が2〜3組、男が座るベンチに近寄り、媚を売ってくる。
実装リンガルを忘れてきたため、何を話しているのか分からなかったが
餌を求めているだろうことは理解できた。
男は、弁当の残りを実装石親子に分け与えると、親子達はその場で、その餌を仔実装に
与え始めた。
それを見て、男は家に残したサクラを思い出す。
これくらいの大きさであれば、母親の庇護が必要である。
しかし、サクラは中実装ぐらいの大きさ。あと1ヶ月もしないうちに成体となるだろう。
親離れを計画的に行わないと、きっと成体になっても、男に全てを頼ることになるだろう。
この野良仔実装も、あと数ヶ月もしないうちに、親元から離れ、自立して生活して行くに違いない。
男は、時計を見て、煙草を少しふかした後、家路へと向かった。
男はサクラが実装フードを自ら用意し、自ら食事の準備をして、食事を終えていることを期待した。
食事の準備の仕方は、何回も教えている。
実装フードの場所は、中実装となったサクラでも開けることのできる戸棚の中にある。
皿の場所も知っている。
大丈夫。あの仔は賢くはないが、しっかりと躾を続ければ、飼い実装として立派に生きていけるはずだ。
そう思い、急ぎ足で家への向かう。
サクラは糞溜まりの中でちょこんと座ったまま
「ピァァァァ…ピァァァァ…」
と、大きな息を繰り返していた。人で言えば過呼吸状態。
目は瞳孔が開き、口から涎が垂れている。
その時、玄関の方から物音が聞こえた。
サクラの瞳孔が瞬時に焦点が合う。ママッ!ママッ!ママッ!ママッ!
 ピンポーン♪
「ヂャアアアアアア!!」
涙、鼻水、涎、糞、小便、吐瀉物の塊と化し、サクラは玄関の扉にぶつかる。
ぺしん、ぺしん、ぺしん、ぺしん、ぺしん、ぺしん
ママァァァァァ!!!! ここテチィィィィーーー!!!
  ワタチはここテチィィィィィーーー!!! ママァーーーーッ!!!!
「すみませーん。郵便でーす」
これは、サクラにとって実に間が悪かった。
玄関に現れたのは、「実装ヤマト」の宅急便のお兄さんだった。
この時点では、男はまだ公園で野良実装相手に弁当の残りを与えていた時だったのだ。
サクラは、ママが帰って来たと思い、安堵の叫び声をあげる。
 ごめんなさい!もう我侭は言わないテチ!玩具の日も我慢するテチ!
  プリンも欲しがらないテチ!便所も自分でするテチ!
   だから・・だから・・・・ママぁ、戻って来てテチィィ!!
「テチーテチー」という声が玄関の扉の向こうからする。
宅配便の男は、ベルを繰り返し押すが、玄関からは実装石の声しかしない。
留守時の宅配で、ベルに反応して、室内犬や実装石が叫ぶ事は、日常茶飯事の事だ。
「留守か・・・また来るかな」
そう呟き、宅配便の男は玄関から去っていく。
遠ざかる足音は、サクラにとって、希望が去っていく足音のように聞こえた。
ママァ!行かないで!(ぺしん、ぺしん)
糞まみれの手で、扉を叩く。
ワタチはここテチィ!(ぺしん、ぺしん)
糞が玄関の扉にこびり付き、それが跳ねる。
両手が痛くなった頃で、サクラはその場に座り込んだ。
そして、大きく息を吸い、
「デチチーーーーーーーーーーッ!!」
と大音量で鳴いたかと思うと、いきなり四つん這いになり、玄関の石畳に自らの頭を
ぶつけ始めた。
「デデェェェェェ!」
ごつん、ごつん、ごつん、ごつん、ごつん、ごつん
   ごつん、ごつん、ごつん、ごつん、ごつん、ごつん、ごつん!
「デェー、デェー、デェ……」
13回、頭をたたき付けた後、そのままの状態でサクラは気絶した。
男が家に戻った時、まず目にしたのはこのサクラの状態だった。
男は頭を掻き毟りながら、「実装石の飼い方」の項目を思い出す。
第3章.実装石の教育
 ▼親離れ
  仔実装石の親離れには、留守番をさせることも有効です。
  始めは、数時間から始め、半日、1日、2日、3日と延ばしてください。
  最初は、飼い主がいないことに不安を覚え、家の中を荒らしたり
  パンコンを繰り返すかもしれません。
  その後、仔実装石にやさしく接してしまうと、「親離れ」になりません。
  敢えて、留守番の後は「無視」に徹してください。
  荒らした後の片付けの指示や、食事、入浴、就寝の指示を与えてはいけません。
  すべて自立的に行えるように、暖かく見守りましょう。
男は玄関で気絶しているサクラをそのままに台所へ行く。
台所に入った時にまず目に入ったのは、台所の中央の大きな糞溜まりと匂いだ。
居間の扉から壁中に、丁度サクラの身長ぐらいのところに糞の手形がある。
男はくしゃくしゃと頭を掻きながら、糞溜まりを乗り越え、居間へと向かい
テレビを見始めた。
サクラは居間から流れるテレビの音量で目が覚めた。
ママっ・・帰って来てるテスか!
サクラは、急ぎ居間へと走る。
しかし、強烈にパンコン状態である彼女は、うまく走ることができない。
走るたびに糞が漏れる。こける。糞を頭からかぶる。糞がついた手でそれをぬぐう。
また糞がつく。走る。こける。糞をかぶる。それの繰り返しだ。
サクラが居間についた時には、サクラは糞の塊と化していた。
その状態で、綺麗な居間に、ずがずかと入る糞サクラ。
居た!ママだ!ママが帰ってきた!ママぁ!ママぁ!!
「テチュテチュ!!」と喜び勇み、男の駆け寄る糞サクラ。
その姿を見て、男は眉をしかめる。その表情に糞サクラは気がつかない。
「テチューーーー♪」
糞サクラは、男の足に飛びつくが、男は座ったまま足を組み替えて、その突撃を避けた。
糞サクラは、頭から絨毯に突っ込み、何が起こったかわからない顔をしていた。
「・・・・・」
男は無言で立ち上がり、台所へと向かった。
「テチュテチュ!!」
糞サクラは、両手をバタつかせながら、男の後を追いかける。
男は台所から洗面所へ向かい、雑巾を取り出し、台所の糞の処理をし始めた。
「テチューー!テチューー!」
台所に糞サクラがたどり着いた時には、男は掃除に取り掛かるところだった。
その男の足に顔を埋める糞サクラ。
濃厚な糞が男のズボンに染み込んだ。
そんなことは、お構いなしに、顔を刷り込む糞サクラ。
その姿を男は無言で見ながら、片手で跳ね除ける。
糞サクラは、??という顔をして、もう1度、男に擦り寄ってくる。
跳ね除ける。擦り寄る。跳ね除ける。擦り寄る。跳ね除ける。
そのうち、サクラは涙を両目に溜め、大声で泣き始めた。
「テェ……テェエエエエエン!テェエエエエエン!」
男は無言で糞を掃除する。10分ぐらい経った後、サクラは自ら台所へ向かい
サクラ用の雑巾を持ち出し、壁を拭き始めた。
「テスン!…テスン!」
サクラが自立的に掃除を始めたのを見て、男は居間へと戻った。
サクラは掃除を繰り返すが、自らが糞まみれ状態なので、掃除をせど掃除をせど
糞が再び壁や床につくのが理解できない。
せっせと頑張るが、一向に糞が綺麗にならない。
30分、1時間と掃除を進めるが、台所はもっと汚くなるいっぽうであった。
たまりかねて、男はサクラに言葉をかける。
「サクラ、先に風呂に入りなさい」
今まで声すらかけてくれなかったママが声をかけてくれて、サクラの頬に歓喜の色が走る。
「テチューーーー♪」
「お風呂に入ってから、掃除をしなさい」
お風呂という単語を聞いて、サクラは喜び風呂場へと向かった。
ふぅ〜とため息をついて、居間に戻ろうとするが、風呂場から「テチーテチー」という声が響く。
男は無視を決め込み、居間に戻ると、風呂場から、裸のままのサクラが涙を流しながら
居間に向かって走り込んで来た。
「テチー!!テチー!!」
男はリンガルの液晶を見る。
『ママッ! 一緒に入るテチ! ママと一緒に入るテチ!』
男はサクラを掴んで風呂場に連れて行く。
サクラは一緒に入ってくれるものと思い込み、テチー!テチー!と喜びの声を上げる。
男はサクラを風呂場の脱衣所に下ろし、リンガルで言った。
「一人で風呂に入りなさい」
『イヤテチー! ママと一緒に入るテチー!』
「一人で入りなさい」
『ママに髪の毛アワアワして貰いたいテチー!』
「一人でしなさい」
「テェ……テェェン!テェエエン!」
ここで負けてしまうと「親離れ」にならない。
男は涙を飲みながら、ポケットにしまっていたあるものを出す。
千年灸だ。それを見た途端、サクラは恐怖に駆られ、ブリブリプリリィィとその場に糞を漏らしてしまった。
男はシールを剥がし、腰を抜かし後ずさりするサクラの頭を掴んで、千年灸を貼り付けた。
「デヂュアアアアアア!!!!」
火をつけていないので、熱いはずはない。
熱いはずはないのだが、頭に貼られた感覚が、あの時の恐怖を思い出させるのだ。
「デビベデチベピァァァァピァァァァ…」
サクラは半狂乱になり、熱くないのに顔を両手で掻きまくる。
目から涙を流し、歯をカチカチと鳴らし、さらに糞尿を漏らす。
「お風呂に入りなさい」
「デチャアアア………」
「お風呂に入って、パンツも服も一緒に洗って綺麗にしなさい」
「デチャア…」
サクラは一人で立とうとしない。
「でないと、火。つけるよ」
「テェ!? テェェ……」
サクラは頭に凸のお灸を載せたまま、ふらつく足で、風呂場へと向かった。
サクラがその後、服や下着を綺麗にし、居間と台所の掃除を終えたのが夜過ぎだった。
男は既に部屋に戻り、ベットに入っている。
サクラは空腹で仕方なかったが、それよりも今は睡眠をとりたかった。
サクラは2階へ上がり、男の部屋の前に立った。
洗濯した服と下着はまだ濡れているため、サクラは裸のまま。
しかも、頭にはまだ凸型のお灸をつけた格好である。
まだ季節的には、まだ夜は十分に冷える。
いつもなら、「テチュー」と鳴いただけで、扉が開き、暖かいママの腕の中で眠れる。
早くママの暖かいお布団に入りたい。サクラは「テチュー! テチュー!」と鳴いた。
しかし、今日はいくら鳴こうが、扉が開く気配がない。
あれ?おかしいテス。次はぺしぺしと扉を叩いて、鳴いてみた。
「テチュー! テチュー!」
手が痛いくらいに叩いた。叩くうちに手が腫れて来て、なんだかサクラは悲しくなってくる。
「テッチー!テチテチー!」
鳴き声は泣き声に変わり、目に涙が滲んでくる。
いつの間にか大粒の涙が頬を伝い、「テェェン!テェエエン!」と泣き叫んでいた。
ママァ!入れて下さいテチ!ワタチはここデチ!ワタチはここデチ!
男は黙って布団の中で必死に扉を開けたい衝動と戦っていた。
この日は1時間毎に、階上に上っては扉を叩き、階下に降りる。
夜中の3時ぐらいまで、サクラはそれを繰り返し、4時過ぎからは静かになった。
男が朝起きると、濡れた下着と服を着込んだサクラが台所の隅で、ガチガチと震えながら丸くなっていた。