サクラの実装石
『サクラの実装石9』
■登場人物 男 :仔実装のサクラを拾い育てる。サクラ親子の飼い主。 サクラ:男に拾われた実装石。厳しく躾けられ、一人前の飼い実装となる。 スモモ:サクラの長女。 イチゴ:サクラの次女。 メロン:サクラの三女。サクラの折檻で死亡。 バナナ:サクラの四女。
■前回までのあらすじ 「実装石の飼い方」 書店で手に入れたその本で、初めて実装石の飼育に挑戦する男。そして、その 仔実装の「サクラ」。男はサクラに適切な躾を施し、サクラは仔まで産む。 サクラは、厳しい躾の末、三女「メロン」を殺してしまう。サクラは再び妊娠 をするが、サクラは躾をすることを恐れてしまう。サクラ親子は、禁忌を犯し た仔実装のために、躾の一環として公園の野良生活へと身を落とす。その生活 の中、仔実装たちにはご主人様への思いが募っていく。サクラのお腹の仔も、 順調に成長し、サクラの公園生活も終わりを迎えようとしていた矢先、公園内 で変事が起こる。 ==========================================================================
−1−
公園のある昼下がり、母親は異変を感じていた。 井戸端会議。週末のこの公園で開かれるいつもの社交行事だ。 旦那の性癖の不満。隠れた情事の自慢。近所の新参者の一方的な噂話。 つまらぬ結婚生活と育児に疲れた母親達の唯一の憩いの場だった。 その中の一人。ある母親が異変を感じていたのだ。
「ねぇ。私のトシくん、知らない?」
母親達の周りでは、ベビーカーから降ろされた年端の行かぬ幼児達が あーうーと言いながら、芝生の上で這ったり、じゃれあったりしている。 その中にいるはずの自分の子供がいない。
トシくんは今年1歳になる。 高齢出産で生まれた息子は未熟児として生まれた。 母親の献身的な育児の甲斐もあり、すくすくと元気に育っていた。 そういった子はかわいい。特別なほどの思い入れが母親にはある。 そのトシくんがいないのだ。
まだ、ハイハイぐらいしかできないはずだから、そう遠くには行ってはいまい。 そう思い、母親はこの近辺を回っては、自分の息子の姿を追った。
緑の山がある。 正常な思考状態であれば、疑問に思うそれも、今はそれどころではない。 母親はその山を無視して、ひたすら息子の名前を呼んだ。 いない。いつもなら、母親と逸れただけで、不安で泣き叫ぶ子なのに。
まさか。誘拐・・。 母親の脳裏に不安がよぎる。 母親仲間に声をかける。 私の息子がいない。トシくんがいないの。 同じ母親である。仲間の母親たちは、顔面蒼白になり、わが子を抱え 一緒に公園の中を、その子供の名前を呼んで、探し回った。
いない。どこなの。どこにいるの。 一人の母親が気づいた。緑の山に。
それは、公園の中央にあった。 その緑の山は、まるで一つの生き物のようにもぞもぞと蠢動している。 ときおり、デッ・・デッ・・とうめくように鳴いている声が聞こえる。
その母親は、その緑の山に近づき見た。 それは、何かにたかっている実装石の山であった。
デスゥ・・・デスゥ・・・ チュパッ・・・チュパッ・・・
何かを啜る様な音。咀嚼するような音。 その「何か」に、たかっている実装石の一匹が、その母親と目があった。
プシャァァァァァァァッ!!!
威嚇。 この餌を取られてなるものか。 そういった時に発する威嚇の類であった。
その母親はその威嚇に臆しながらも、ゆっくりと、その集っている実装石の中心を覗き込む。
「キャァァァァァァァァァッ!!!!」
頬や口の周りを赤い血で染めながら、振り向く緑と赤の両目。 その奥には、変わり果てたトシくんの姿があった。
−2−
公園内に入った禽獣駆除班は、まず被害者の遺体保護に取り掛かった。 駆除班が近寄った現場には、まだ数匹の実装石が遺体の周りに屯っていた。 駆除班が近づいても逃げることはなく、驚いた表情をする者 威嚇を繰り返す者、媚を始める者、反応は様々だった。
遺体の損傷は激しかった。 赤子の顔の形は、原型を止めておらず、赤い血肉の中に白い頬骨が覗いている。 赤子の両目は既になく、捕食された後のようであり、陥没した眼窩には赤い血が溜まっている。
その遺体の周りには、3体ほどの成体実装石と7体ほどの仔実装が集っていた。 成体実装石が遺体の肉を齧り取っては、それを吐き出し、仔実装に与える。 遺体の産着が異様に盛り上がっている。 その盛り上がりが、もぞもぞと動いては、レフ〜レフ〜という声が、産着の中から聞こえる。 『デス〜♪ おいしい肉デス〜♪ さぁ、おまえ達、たっぷりあるデスよ』 『テチュ〜♪ 蛆ちゃんも食べるテチ』 『レフ〜♪』
この現場にいる駆除班の男たち。 正確には、この市に勤める禽獣駆除課の職員たちだ。
公共の道路などで、車に轢かれた実装石の死体を回収する。 市民からの苦情により、市街に住まう野良実装を駆除する。 農作物に被害を与える山実装を、猟銃などを使い駆除する。 禽獣駆除といっても、ほぼそういった種類の物だ。
実装石が人を襲う。あまつさえ、それを捕食する。 実例がないわけではない。 実装石が人を襲う事件は、全国の各県毎に1度や2度は発生する。 しかし、死亡事故などに繋がるケースは、戦後から数えて数件しかない。 この公園の事件は、閑静な住宅街に衝撃を与えるには十分なものだった。
遺体の周りに集まっていた野良実装石たちが、駆除班の姿に気付いた。
『デス?ニンゲンさん 何かくれるデス?』 遺体に近くに屯していた一匹の成体実装石が、駆除班に近づいては言う。 その後ろには、テッチテッチと数匹の仔実装がついて回る。
『さぁ、おまえ達。いつも教えた通りに、ニンゲンさんに挨拶するデス』 親実装石が、仔実装たちに言う。
『ニンゲンさーん! こんにちわテチ! ご機嫌いかがテチ?』 『テチュー! ニンゲンさん。大好きテチ! 金平糖 くれるテチ?』
一人の野良仔実装を両手にしっかりと持った赤子の肉と、駆除班の男の顔を 相互に見ながら、モジモジして言う。
『ニンゲンさん! このお肉……あげるテチィ♪ だからワタチたちを……飼って欲しいテチィ♪』
そう言って、その仔実装は、手に持つ赤子の肉を、嬉しそうに駆除班に向って渡そうとしている。
野良仔実装たちは、テチュテチュと嬉しそうに鳴く。 飼われた後の暖かい家、甘い金平糖など、頭の中でぐるぐると回っているのだろう。
そんな甘い妄想を他所に、駆除班の一人が、成体実装石の髪を掴んだ。
『デ? デェェェェッ!! 何をするデスッ! 離すデスッ!!』 『ッテェ!? ママァ〜!!』 『ッ! 何をするテチ!! ニンゲンさんッ! ママを離すテチィ!』 『デェェェェェッ!! 髪がぁ!! 髪が痛いデスゥ〜〜ッ!』
成体実装石は、短い両手で必死に後ろ髪の付け根を押さえては、足をバタつかせながら叫んでいる。 その下では、仔実装が涙を流しながら、母親のスカートに縋ろうと、飛び跳ねている。 母親のスカートからは、ボロボロと糞が垂れては、子供達の顔に降りかかっていた。
『デギァァァァァァァ!! 髪が痛いデスゥ〜〜〜!! やめるデスゥ〜〜〜!!!』 『やめてテチー! ニンゲンさんッ! ママを虐めないでテチー!』
この成体実装石の仔実装たちが、駆除班のズボンの裾を引っ張り、叫ぶ。 駆除班は、麻で編まれた麻袋を取り出し、実装石をそこに押し込む。
『デェア!! 痛いデスゥ! デッ!? 真っ暗デスゥ!』
麻袋の口を軽く縛り、乱暴に地面に放り投げる。
(ドサッ!)『デギャァ!!』
放り投げられた衝撃のため、息が止まったのか、しばし苦しんでいたが、 袋の中でぽふぽふと暴れて始めた。
『デスデスッ! 暗いデスゥ! ここは何処デスゥ! 子供達は何処デスゥ!!』 『ッ!! ティェェェッ!! ママァ〜! ママァ〜!!』
仔実装たちが、テチテチと麻袋に向って駆けていく。
『デス〜!! 何処デス〜! おまえ達ィ〜! 声はするけど真っ暗デスゥ〜!!』 『ママァー! ママァー! 何処テチー! 何処テチー!』
野良実装親子は、麻袋一枚で断たれているため、声はせど姿は見える状態で、 親子共々、必死に叫び続けるしかない。
親実装は、ぽふぽふと、暗闇の中の麻袋の中で、暴れるのみ。 仔実装は、辛うじて、声のする麻袋の周りを回ったり、麻袋をぺしぺしと叩くのみ。
駆除班は、そんな親子の姿に興味が無さそうに、無表情で、腰につけた特殊警棒を取り出した。 そして、麻袋の中で暴れる成体実装を、その麻袋の上から、その特殊警棒で殴りつけた。
(ドガッ!)
『デジャァァァァァァァ!!』
より一層、暴れる麻袋。駆除班は、お構いなく、特殊警棒を振り下ろし続ける。
『デギャー!!! デギャー!!! デスァァァァァァ!! デギュオアァァァ!!』
麻袋から、じわりと、赤い血やら小便やらが染み洩れ出し始めた。
『ニンゲンさん! ママを知らないテチィ!? ママを探して欲しいテチー!』
母親の叫び声を聞いて不安に駆られている仔実装たち。 麻袋を叩く駆除班のズボンを必死に引っ張り、助けを求める。
『ママァ! 何処テチィ! ママァ!! ティェェェェン! ティェェェェン!』
母親の叫び声に恐怖してか、パンコン状態で、必死に麻袋の周りを 両手をバタつかせながら、走り回る仔実装。
駆除班は、そんな物には目もくれず、特殊警棒を振り下ろす。
『デヂァ!』 (バシッ!) 『デギュオアァァァ!!』 (バシッ!) 『デェ…デェデェ』 (バシッ!) 『……デ……』 (バシッ!)
麻袋が静かになると同時に、中の悲鳴も静かになった。
『ッ!! マ、ママァ!!!』 『テッチー! テチテチー!! ママァ!! ママァ!! 返事をしてテチー!!』
5匹の仔実装が、麻袋の周りに駆け寄っては、その麻袋を揺すっては泣いている。
『…………デェ』
駆除班の男は、沈黙した麻袋を持ち上げ、その口を開けたかと思うと、 その周りで叫ぶ仔実装を、一匹ずつ掴んでは中に入れていく。
「テチッテッチィィィ!」 「デチチー!チィー!」 「テッチー!テチテチー!」
そして、最後の1匹を入れ終わると、口の紐を引っ張っては、無造作に地面に投げる。
『暗いテチー!! ママッ! 何処テチー!!』 『ママー!! 助けてー! 暗いテチー!』 『ティェェェン! ティェェェン! ママァ!! 何処にいるテチィーー!!』
冷たくなっていく母親の肉塊と共に麻袋に詰められた仔実装たちは、もぞもぞと叫び続けている。
駆除班にとっては、こんな風景は日常茶飯事なのだろうか。 そんな物には目もくれず、駆除班の他の男も、ずかずかと他の実装石の所へと歩き出す。 そして、黙々と作業のように、他の野良実装を麻袋に詰めて行くのだ。
『デェ!! 何事デスか!!』 遺体の周りに集っていた他の実装石たちが、その叫び声を聞いては、駆除班の姿を見た。 『デェ…? デデェェェェェ!』
駆除班の一人は、成体実装の足を取ると、逆さにして持ち上げる。 野良実装は、両手でめくれるスカートを押さえながら、デジャァァァ!!と叫んでいる。 そして、麻袋に次々と入れられていく。
『デス? 夜デス? いきなり真っ暗デス〜?』
麻袋に入れられた実装石は状況がわからず、キョトンとしている。 そして、暗闇の中から、いきなり浴びせられる痛みに叫び声をあげた。
「ッ!」(バシッ!) 「デッ!」(バシッ!) 「デスッ!」(バシッ!) 「デヂァッ!」(バシッ!) 「デギャァァ!」(バシッ!) 「デギュオアァ!」(バシッ!)
麻袋を無表情で叩き続ける駆除班の男。
『ッ!』(バシッ!) 『スッ!』(バシッ!) 『デスッ!』(バシッ!) 『痛いデス!』(バシッ!) 『止めてデス!』(バシッ!) 『お願いデスッ!』(バシッ!)
麻袋の中で、鬼の形相で喚き続ける実装石。
遺体の周りに居た実装石は、粗方、麻袋の中へと詰められていく。
『デスァ! 何処デスッ! 此処は何処デスッ! 神隠しデスッ! 神隠しデスッ!!』 『暗いデスッ! 狭いデスッ! 怖いデスッ! 痛いデスッ!』 『ママァ! ドコテチィ〜! 何処にいるテチィ〜!』 『痛いデスッ! 痛いデスッ! やめるデスッ! やめてデスッ!』 『卑怯デスッ! 尋常に勝負デスッ! デスァ! 嘘デスッ! ごめなさいデスッ!』
黙々と麻袋を殴り続ける駆除班の男たち。 彼らは実装駆除のプロである。 山実装石の駆除。野良実装石の駆除。ありとあらゆる実装石の駆除を経験している。
街中にいる野良実装石は、人間の接近に警戒心がない。 近づいて、一気に駆除する事が容易だ。 しかし、どんな鈍感な糞蟲であれ、己の視界の中に同属が隣で血を流して のた打ち回る姿が映れば、無論恐怖し慄き、逃げ出してしまう。
街中の野良実装石の駆除のポイントは 駆除の過程を他の実装石の視界から外す事にある。
麻袋の中で外界と遮断され、暗闇の中での理不尽な痛みに恐怖し、 糞を漏らしながら悲鳴を上げる実装石たち。
他の実装石は、?な顔をしてどこからともなく聞こえる同属の悲鳴に対して、 ビクつき、顔を左右に振ることしかできないのだ。
公園のはずれ。 公園の中央から外れた繁みや森の中、その情景を見つめている実装石たちがいた。
この公園が封鎖されてから、公園内からは住民は避難しているため、 人が一人も居ない状況がしばらく続いている。 本来ならば、週末の昼下がり。公園に訪れる弁当を広げる家族連れなどに 弁当の中身に集っているところだ。
『何か急にニンゲンがいなくなったデス…』 『おかしいデス…?』
そう思っていた実装石たちだが、公園の中央に人間の姿を見とめた。 それが、駆除班の男たちであった。
『デッ! ニンゲンデスゥ♪』 『本当デスゥ♪ 何か貰うデスゥ〜♪』
デスーデスーと、繁みの中から、森の奥から、野良実装石たちが湧いて出てくる。 芝生の中では、何かを必死に叩いている人間たち。
何してるデス? そうデス。きっと掃除デス。 いつも可愛い私のために、私の庭を掃除している下僕デス。 デプププ。目の前でウンコしてやるデス。 いつも涙目で掃除しているデス。楽しいデス。 今日もやってやるデス。デププププ。
近づくと、異様な光景だった。 その人間達は、変な棒で、袋を一生懸命叩いている。 何処からともなく同属の叫び声が聞こえるが、その姿もない。 旨そうな仔実装が、人間の周りでテチューテチューと叫びながら回っている。
バシッ!(デスッ!) バシッ!(デヂァッ!) バシッ!(デギャァァ!)
テチァ!! デチチー!! デチチー!! (ママッ! ママッ! 何処に行ったテチィ!!)
何かわからないが、その仔実装たちは憐れな姿だった。思わず笑みがこぼれてくる。
デプ…デプププ
何処からともなく聞こえる小気味いい悲鳴。 そして、目の前で泣き叫ぶ憐れな仔実装。 オペラの喜劇でも見ているような気持ちがして、集まってきた野良実装は 一様に笑みを浮かべている。
駆除班は、遺体の周りの実装石を駆除し終わり、無線で連絡を取る。 駆除後、被害者の赤子に近寄り、生死を確認した上で、遺体回収班を要求した。 遠く、救急車のサイレンの音が聞こえるが、この遺体に関しては無駄になりそうだ。
駆除班が手に持つ麻袋を一箇所に集め始めた。 麻袋には、まだ虫の息の成体実装石や、仔実装たちが詰められている。 麻袋を、重ねて一箇所に積み上げる。 重みのため、一番下の麻袋に入っていた仔実装たちは、 「デチャアアア!!!」と叫び声を上げながら、潰れて行った。
駆除班の男。 口元に髭を蓄えた男。 この駆除班の隊長らしい男だった。
公園内の森を見る。 幼児が連れられたであろう森だ。 被害者確保のために、急いでそこに向う必要がある。
駆除班に与えられた任務は大きく2つ。 一つは出来るだけ早い段階での被害者の生存の確保。 そして、もう一つは、この公園内の実装石の群れの完全駆除であった。
その男の周りで不快な鳴き声が止まらない。
デスー デスー デプププ デプププ テチー テチチー!!
駆除班の周りに集まった野良実装石の集団。 それを、物を見るような冷たい視線で見やる駆除班の隊長。 被害者の生存確保のために、1匹1匹駆除して行く時間が惜しい。
「散弾銃」
隊長がそう言い放つと駆除班の一人が肩に担いだ銃を取り出し、装弾を始める。
「デ?」
野良実装石たちは、駆除班が取り出した奇妙な棒に、好奇心旺盛な顔で見入っている。
『何デス? 黒光りした長い棒デス。何だか体が火照ってくるデスゥ〜』 『ほら掃除するデス。私の高貴で美しいウンコデス。舌で舐めるようにして片付けるデス♪』 『デェスァ! そこの眼鏡ッ! おまえデスッ! そんな物より金平糖をよこすデスッ!』
駆除班が構える。黒い光沢を湛えた銃口が、野良実装石の群れに向けられた。
「撃て」
銃撃音と共に、森の中の鳥たちが空へと舞った。
−3−
少し前。 公園が封鎖される少し前。 姉妹は、森の中に居た。蔽い茂る森の木々の下、姉妹は居た。 人間の姉妹。姉は5歳を超えたというところか。妹は、それよりも幼い。 姉妹は、母の目を盗んでは、この森の中に入る。 小人に会うためだ。
妹は小人に会うと言ってきかない。 姉は癇癪を起こす妹をあやすように、森へと足を踏み入れた。 鬱蒼と蔽い茂る木々は、幼い姉妹を不安にさせるに十分だった。 姉にせがんだ妹も、もう母の下に帰ろうと言う。 姉もそれに同意しては、来た道を返そうとした。 その時だ。
「痛いぃーーー! うえぇーーん! お姉ちゃぁーーん!」 「どしたの? サクラ?」 「うえぇーーん!うえぇーーん!うえぇーーん!」
「サクラ」と呼ばれた妹は、派手に転んでいた。 見れば、左の膝から血が出ている。 どうしよう。母に見つかれば、勝手に「サクラ」を連れ出したと言われて、怒られてしまう。 姉も、思わず泣きそうになる。 妹を必死に宥める姉。
「サクラッ! 泣き止むのっ! サクラッ! 痛くないっ! 泣いちゃ駄目っ!」
姉は、その場でへたり込む「サクラ」を必死になって、宥め続けた。
その時だ。 姉が何かを見つけた。 泣き続ける妹の肩を揺すり、必死に森の中に繁みを指差している。
「ッ! サクラッ! サクラッ! あれっ! あれっ! こぴとッ! こぴとッ!」 「うえぇー… あ゛ーーー!!」
姉妹達は見た。繁みの中から顔を出している小人を。 それは、コンビニの袋を服の様に、着込んだ仔実装だった。
−4−
サクラと仔実装たちは、森の奥の繁みの中で、親子で団欒の時を過ごしていた。 親子が囲む真ん中には、花で編まれた大きな冠。 あと少しで完成する。仔実装たちが自発的に編み出したご主人様への贈り物。 サクラは、それを編み終えた後に、ママに連絡を入れるつもりだった。
公園に迎えに来てくれたママに、仔実装たちにこの冠を渡させてやるのだ。 ママに会ったスモモたちの表情を想像すると、サクラは楽しくてたまらない。
『ママ! 花がもうないテチ!?』 イチゴが言う。 見れば、先程積んできたタンポポの花は、全て使い終わっている。 あと、1回花を積んでくれば、おそらくこの冠は完成するだろう。
『デス。おまえ達。もう1回、花を積みに行くデス。次で完成するデス』 「テチュー!」
サクラと仔実装たちは、繁みを掻き分け、森の中心部へと向う。 森の中心部には、野生の花などが多く茂っている場所がある。
『イイ匂いテチー まるでママの匂いテチィ』 スモモたちが、タンポポの花を積みながら、その花の匂いを嗅いでは その小さな鼻の穴をピクピクさせながら、楽しんでいる。 『ほら。遊んでないで、積むデスよ』 「テチュー♪」
その時だ。 森の繁みの向こう。 そこから、何やら泣き声が聞こえる。
うえぇーーん! うえぇーーん! うえぇーーん!
ニンゲンの声だ。仔実装たちは、たちまち身を竦ませる。 サクラからは、この野良生活で聞かされてきた事。 ニンゲンには、悪い奴もいる。だから、決して近づいてはいけない。 仔実装たちは、サクラのスカートの中に入って隠れてしまった。
『デ。おまえ達。巣に戻るデス』 『テチュー!』
サクラッ! 泣き止むのっ!
『デ?』
サクラッ! 痛くないっ!
『テチュ?』
私の名前を呼んでるデス? ママの名前を呼んでるテチ?
口元に手を当てるサクラ。 スカートを両手であげて、外に顔を出す仔実装たち。
実装石は、基本的に好奇心が旺盛な生き物である。 また賢く、簡単な言葉であれば、人の言語まで解する能力がある。 個体につけられた識別名も理解し、名前という概念も理解している。 今、人間から発せられた鳴き声の中に、「サクラ」という母親の識別名が含まれて いることを、サクラを含めた仔実装達も理解した。
『もしかして、ご主人様テチ!!』
イチゴがいち早くスカートから飛び出して駆けた。
『デ! イチゴ! 待つデスッ! 声が違うデスッ! ご主人様じゃないデスッ!』
(ガサガサッ…)
繁みを掻き分けるイチゴ。
『待つデスッ! イチゴッ! 戻ってくるデスッ!』
サクラは先走るイチゴに向って叫ぶ。 イチゴはサクラの制する声は耳には入っていたが、体が勝手に動いている自分に 気付いていなかった。
『テチュ! ご主人様ッ! ご主人様ッ! 会えるテチ! 会えるテチ! テチュチュー!』
イチゴは、テチテチと叫び駆ける。 繁みを掻き分けて、イチゴは広い空間に躍り出た。 しかし、そこにはご主人様である男の姿はなく、泣きじゃくる小さな人間がいるだけである。
「サクラッ! サクラッ! あれっ! あれっ! こぴとッ! こぴとッ!」
人間の姉妹が、イチゴを指差し叫んでいた。 そして、その人間が立ち上がり、ゆっくりとこちらに歩みを進めた。
「ッ! デチャア!」
イチゴは小さな悲鳴を上げた。 それもそうだ。小さな人間が近づいて来たかと思うと、いきなりイチゴを抱き上げて 「こぴと、こぴと」と叫んでは、顔を近づけたり、逆さにしたりと忙しないからだ。
「テチァァァァァ!! テチッテッチィィィ!」
イチゴはあらん限りの声で叫んで訴えた。
『ママッ!! ママッ!! 喰われるテチッ!! テチァァァァァ!! 助けてテチィ!! デチャアアア!!!』
繁みの向こうから、イチゴの、わが娘の叫び声が聞こえる。 サクラは、必死に繁みを掻き分る。
「デデデッ! デスッデスゥ!!」
サクラが繁みから飛び出した。 緑の両目を吊り上げて、あらん限りの叫び声を上げて、サクラが繁みから飛び出した。 そして、両の手で、ぺしんぺしんと、イチゴを持ち上げた人間を打つ。
『デシャァァァァァァ!!! 返すデスッ! 返すデスッ! 私の子供を返すデスッ!!』
ぺしん ぺしん ぺしん ぺしん
驚いたのは、人間の姉妹の方だった。 痛くないとは言え、すごい形相で叫ぶ生き物に、いきなり凄まれては、驚きである。 それも、小さな女の子であれば、泣き叫ぶ程の衝撃であったに違いない。
「うぇ… うぇ… うえぇぇーーん!!」
サクラの攻撃をうけた「サクラ」は泣き出してしまった。
『マ…ママァ!! 強いテチィ!!!』 『ママァ!! 行くテチィ!! 頑張るテチィ!!』 『イチゴォ!! もう少し我慢するテチィ!! ママ! やっちゃえテチィ!!』
繁みの中から、顔を出したスモモもバナナも、サクラに喝采を送っている。
「サクラ。離してあげて。きっと、こぴとさんのお母さんだよ」
イチゴを抱き上げたもの泣き喚く「サクラ」に、姉があやすように言った。
「うぇ? ママ?」 「そう。ママ」 「……ママなの?」
「サクラ」は、足元で、ぽふぽふ叩き続けるサクラに対して、そう問いかけた。
「デェエエエン!! デェエエエン!! デスデース!」(ぽふぽふ)
サクラの両目は、涙に溢れ、 鼻からは鼻水を垂れ流しで、 震える膝に活を入れながら、 デスンデスンと泣き続け、 両の拳に力を込め、殴り続けた。
『デスン! デスン! がえずデズゥーー!! ごどもをがえずデズゥーー!!!』
(ぽふん ぽふん)
「デェスァ! デスデスッ!」 「…………………」
(ぺしん ぺしん)
「デェエエエン!! デェエエエン!! 」 「……………はい」
「サクラ」は、必死の形相のサクラを見て、しばし考えた挙句、 手にしていたスモモをサクラに返してあげた。 幼な心の中でも、母と子の間の絆は、何となくに理解できたらしい。
『ママッ!! 怖かったテチィ!! テェェン!テェエエン!』 『イチゴォ! よく頑張ったデスッ! 偉いデスゥ!!』
真っ赤に貼らした両の手で、イチゴをしっかりと抱き上げ、頬を擦り付けるサクラ。
『イチゴ!! 大丈夫テチ!? 大丈夫テチ!?』 『姉チャ!! 痛かったテチ!? 痛かったテチ!?』
イチゴの生還に堪らず、スモモもバナナも繁みから駆け出し、サクラの下に集まる。
『デス!大丈夫デス! ここは危険デス! おまえ達。早く帰るデス!』 『テェェン!テェエエン!』
イチゴはサクラにしっかりと抱きつき、離れようとしない。 心配そうに、サクラのスカートを引っ張り、上を見上げるスモモとバナナ。 サクラは、その仔たちをあやし導くようにして、繁みの中へと帰っていく。
「やっぱり、ママだったね」 「…ママ」
残念そうに、小人の姿を目で追いかける「サクラ」。 さて。私達のママのところに帰ろう。と、姉がその場を立ち去ろうとした。 そのスカートを掴むその手。「サクラ」だ。
じと目で、姉を見続ける。 見続ける。 見続ける。
その目をされた時には、決まって癇癪が待っているのだ。 「……どーしたいの。サクラ」 「………(じー)」 その目は、サクラたちが去っていった繁みの方向を指していた。
その繁みの向こう側。 サクラ親子が、繁みを掻き分け、巣へと戻っている最中だった。 『まったく怖かったデス。おまえ達もご主人様以外のニンゲンに近づいてはいけないデス』 「テチュー! テチテチー!!」 イチゴはよほど堪えたのか、震えた体でサクラに必死にしがみついている。
『よしよし。さぁ家についたデス。とりあえず取って来た花で、冠の続きを作るデ…』
サクラの言葉を遮った物。 それは、サクラの頭上に伸びた影であった。 サクラはゴクリと生唾を飲み込み、振り向いた。
『デ…デェェェェェ!!!』
そこには人間の姉妹が立っていたのだ。 サクラが塒(ねぐら)としている巣は、繁みの奥の奥。 野良実装石には、とても見つけにくい場所であったが、 人間の足では、容易に辿り着ける場所なのである。
その繁みの雑草の群れの中、サクラが必死に踏み固めた空間がある。 サクラ親子の居住区である。
サクラはその居住区で、仔実装たちを必死に後ろに庇い、威嚇の鳴き声を上げていた。
「デシャァァァァァァ!!! デシャァァァァァァ!!!」
兎唇から覗く涎交じりの白い牙を露にしながら、威嚇音を繰り返し、 必死に短い手で宙を掻いては、威嚇を繰り返す。
仔実装達は、サクラのスカートにしっかりつかまり、ひたすらテェェン!テェエエン!と 糞を漏らしながら泣き叫ぶ。
そんな威嚇も、この姉妹には、まったく効果はないようである。
「ほら。サクラ。ここがこぴとさんのお家だよ」 「……(コクン)」 「あれ? あ。お花の冠だぁ」
それに気付いたのは姉の方だった。 雑な作りだが、たしかにそれは冠だった。 蒲公英。野菊。菫。蓮華草。様々な花で編まれたそれは、人の頭にぴったりなサイズで編まれている。
「おまえたちが作ったの?」 「へー すごくうまいねぇ」
姉はそう褒めながら、それを手に取り、頭に載せる。
「デ…デエェ……」
不器用な手で編み続けた花の冠。 花の葉で手を切り、血まみれになりながらも編み続けた花の冠であった。 あと少し。あとほんの少しで完成する花の冠は、今、見知らぬ人間の頭の上で踊っていた。 その冠は、本来ある人のために作られたものである。 サクラたち、仔実装たちの掛替えのない人のために作られたものである。 それは、その人以外の人間に被られるべきでない冠なのだ。 それを、断りもなく、頭に被り、笑顔を浮かべている人間が、目の前に居た。 許されるべきものではない。許してはいけない!
その強い気持ちが、ガチガチと歯を鳴らし、ガタガタと震えながら 汗ばむ手のひらで、サクラのスカートを必死に掴んでいたイチゴの恐怖心を打ち破った。
「テッチィィィィィィーーーーーッ!!!テチテチッッーーーーーーー!!!!」
サクラのスカートを翻し、駆けた。 目の前の人間めがけて、イチゴは駆けた。
『それはご主人様のテチ! ご主人様のテチ!』
ぽふぽふ。
イチゴは両手を振り回しながら、力一杯、叩き続けた。
『デチチー!! 汚い手で触るなテチ! 返すテチーーーー! 返すテチーーーー!』
仔実装の攻撃など、見る人にとっては、それはじゃれて来ているように見える。 今はまさしくそうであり、姉はこの仔実装がじゃれて来たと思っていた。
「サクラ?この仔でいいの?」
「サクラ」がコクリとうなづいた。 姉がイチゴを抱き上げ、威嚇を繰り返すサクラに向って言う。
「この仔、貰っていくね。沢山いるから、いいよね。1匹ぐらい」
姉は、イチゴを「サクラ」に渡して、頭を撫でては言う。
「ママには、お姉ちゃんから言ってあげるから。 大丈夫。きっと飼う事を許してくれるよ」
こっちのサクラは、何が起こっているか、わからなかった。 再びイチゴが人間にさらわれ、そして人間が去っていくのだ。
「デ…デデデェ…ッ!!」
待ってデス! その子は私の子供デス! 大事な大事な私の子供デスッ! 冠が欲しいのなら、あげるデス! だから、だからその子は連れて行っては駄目デスッ!
サクラは駆けた。 姉妹を追って。
残された仔実装たちも駆けた。 母を追って。
サクラは、繁みを掻き分ける。 雑草を掻き分け、姉妹の腕の中で悲鳴を上げるイチゴを追って、駆け抜ける。
『待つデスーーーッ! イチゴォーーーーッ! ニンゲンッ! 待つデスーーーーッ!』
『ママァ!!!! 助けてテチィーーーー!!! ココテチィーー--ー!!! ワタチはココテチィィィィ!!!!!』
イチゴは、人間の手の中で叫んだ。 しかし、子供とは言え人間と実装石の歩幅。 ましては、成体のサクラの肩までも伸びる雑草の中での移動。 姉妹とサクラの間は、みるみるうちに広がっていく。 イチゴの叫び声は、小さくなっていく。
サクラが繁みを必死に掻き分け、先程の森の広場に出たときには 姉妹の姿は、まったくサクラの視界から消えてしまっていた。
「デデェー! デデェェェェェ!」
両手で頭を押えながら、震える足下に糞が垂れていた。 口はわなわなと震え、デスッデスッと叫ぶたびに、唾液が飛び回る。 緑の両目はこれ以上なく見開かれ、血涙が流れている。
「デギャー!!! デギャー!!!デギャース!!!」
その場で、何度も何度も、地面を足蹴にしては、天に向って吼えた。
駄目だ。叫んでも解決しない。 探さないと。人間が行きそうな場所。 場所 場所 場所 場所!!!
焦るサクラ。 右を見るサクラ。 左を見るサクラ。 地面に這い蹲る。鼻の穴をこれ以上なく大きく開く。 臭腺を追うためだった。微かな糞の匂い。嗅ぎ慣れた匂い。 腐った腸のような匂いがする方向。イチゴだ。こっちに違いない!
サクラは駆けた。両の緑目で。 お腹の大きくなった身重の体で。
イチゴ。待ってるデス! 今、助け出してやるデス! だから、泣かずに頑張るデス! ママも苦しいけど。お腹が痛いけど。頑張るデスッ!
サクラは気がつかなかった。 後ろで叫ぶスモモとバナナの声に。 後方で母を求める彼女らの声に。 小さくなっていく彼女らの声に。
その時、大きな音と共に、頭上の木々が揺れ、鳥たちが一斉に羽ばたいた。
−5−
公園の中央。 駆除班が放ったそれは、無差別に野良実装石の一角を襲った。
散弾銃。 小さな鉛の礫を広範囲に放つ銃である。 一つ一つの鉛の礫は小さいため、殺傷力は劣るが、獲物に確実にダメージを与えて捕獲する銃器の一つである。
悪戯に生命力の高い実装石に関しては、その鉛の礫は、ウレタンボディに突き刺さり 肉をえぐるだけであり、死に至らせることはない。 しかし、鉛が体内深くに穿たれた様は、虐待に近い苦痛を長く実装石に味あわせる 結果となるものだった。
その大きな音と共に、森の木々に止まっていた鳥たちが一斉に羽ばたいた。
(ダァァァンッ!)
今まで味わった事のない銃撃音に、驚き戸惑い、両耳を押さえて屈む実装石。 その場に居合わせた全ての実装石は、その銃撃音に驚きの余り、パンツをこんもりさせていた。 音に驚いているだけなら、まだ幸せである。
その一角。 散弾銃の標的にされた一角。 そこに居合わせた実装石たちは、一応に不可解な強烈な痛みに悲鳴を上げた。
「デギャァァァァァァァ!!!!」 「デスゥッ! デスデスゥッ!」 「デピャァァァァ!!! デスァッ!! デスァッ!!」
叫び苦しむ実装石たち。
『なんデズ… ゴレェ…』 血まみれの腹を押さえた手についた血を見つめて呻く実装石。
『痛いデズゥッ!! 痛いデズゥッ!! 死にだぐないデズゥッ!!』 偽石近くに命中したのか、瀕死の様相を呈している実装石。
『ママァ… チィ… 苦しい…テチィ…チ』 下半身が飛ばされて、上半身だけで地面を這う仔実装。 はみ出した緑の内臓が、地面に線を描いていく。
『目が見えないデスゥ〜 何処デスゥ〜 子供は何処デスゥ〜』 散弾銃の鉛弾が両目を貫通したのか。 親実装は、片手で顔を押さえ、もう一方の片手で、何もない宙を掻いて回る。
『ママァ… ママァ… チ… チアッ!!』 『(ブチッ!) 何処デスゥ〜! 私の子供、何処デスゥ〜!』 仔実装は、母親に踏まれて、地面の塵となる。
ガクガクガクガク………
散弾銃を免れた実装石達は、撃音の次に、一瞬にして変わり果てた同属の姿に対し さらにパンツをこんもりさせる。
ブリ ブリブリブリリ………
恐怖の余り、無意識に次から次とひり出される糞が、下着の許容キャパシティを超え 下着の裾から溢れ出ては、足を伝って、靴と地面を汚していく。
緊張の糸が切れるのは、たやすかった。 駆除班が持つ黒光りする銃口が、次の獲物を狙ったからだ。 まだ硝煙の匂いを濃く吐き続ける銃口が、自分たちに向けられたからだ。 その行動で実装石たちは理解した。
何故だかわからないが、人間が怒っている。 何故だかわからないが、人間が怒っている。
「デェ…」 「デ…デギャァァァァァ!!!」 「デスデースッ! デスアァーーーッ!!」
恐怖は伝達する。 一匹が叫び、逃げ出すと、それは群れの中に伝染した。
恐怖に駆られた実装石は、西へ東へ北へ南へ。 逃げる場所も定めず、仔がある者は仔を置き去りに。
そして、悲鳴を上げながら四散する彼女らを襲う冷酷な散弾銃。
(ダァァァンッ! ダァァァンッ! ダァァァンッ!)
その叫び声。銃撃音。硝煙の匂い。 それは、この場に居合わせていない、この公園内に生息する他の実装石たちにも この公園内に、危機的な状況が起こっている事を認識させるに十分だった。
繁みの中で、仔に乳を与えている実装石。 トイレで出産を行っては、粘膜を舐め取っている実装石。 森の池の中で、魚を取っている実装石。 点在するダンボールハウスの中で、一家団欒を過ごしている実装石。
一様に遠くで聞こえる叫び声に「デ?」と反応する。 連続で響き渡る銃撃音と、風に乗った硝煙の匂いに、鼻をぴくぴくさせる。 まだ多くの実装石は、この公園の中央で起こった変事を理解できず、 遠巻きに、?な顔で公園の中央を呆けて見つめているだけであった。
繰り返すが、恐怖は伝達する。 散弾銃を免れた四散した実装石が、公園のありとあらゆる場所に、恐怖を伝達させる。 ある者は叫びながら恐怖を吹聴し、ある者は不遇となった体を使って訴える。
公園というこの閉じた空間での小さなコミュニティにおいて、 「恐怖」という本能ですら御しがたい感情が、火の子のように振りまかれるのだ。 そして、その火の子は、やがて大きく燃え上がることになる。
四散する実装石には目もくれず駆除班の隊長らしき男が、駆除班に対して、指示を出した。
「駆除班は二手に分ける。一班は、森林部へ突入。行方不明の幼児2名の確保に全力をあげろ。 森の中では、発砲は禁止。残りは、公園内の実装石の駆除に当たれ」
−6−
サクラは、森の中を駆けた。 イチゴを連れ去ったイチゴの臭腺を追い、森の中を駆けた。 その時、公園の中央から、大きな音が聞こえて、頭上の木々の鳥が飛び立った。
「デェ!」 「デデデッ!?」
森の中に生息していた野良実装が、一様に繁みから顔を出し、怯え鳴いたりしている。
しかし、今のサクラにとっては、そんな事は些細な事だった。 サクラの思考は、今、イチゴを追いかける事だけにロックされている。
しかしサクラが走る道は、実装石にとっては起伏の激しい森の道。 涙目で霞む視界。お腹が大きいアンバランスな体。何度こけたか覚えていない。
こけては、立ち上がり、駆け始める。「デスッ!」 こけては、立ち上がり、駆け始める。「デギャァ!!」 こけては、立ち上がり、駆け始める。「デズゥ… デッスン デッスン」
こける度に、サクラはお腹を庇いながら、倒れる。 しかし、中にはモロにお腹を樹の根で強打したりもした。
デスゥ…デスゥ…
お腹を押えて、呻く。 あまりの痛みに、耐えかねて、口から胃液も吐いたりした。 しかし、サクラは走らねばならない。家族のため。子供たちのため。 走らねばならなかった。
イチゴ。待ってるデス! 今、ママが追いつくデス! 追いついたら、スモモとバナナと一緒に家に帰るデス! スモモとバナナと一緒に家でご飯を食べるデス! スモモとバナナと一緒にお風呂で… デ? スモモ…? バナナ…?
サクラはピタリと立ち止まった。 デスーデスーと荒い息を肩でしている。 今来た道を振り返った。
シーンと静まる森の中。 サクラは何かを忘れていた事に気がついた。
スモモとバナナだ。 あまりの出来事に、あの仔たちを置いてきぼりにしてしまった事に。
「デッ! デスッ!!」
思わず、来た道を返そうとする。 その刹那、イチゴの叫び声が脳裏をかすめ、その足が止まる。
「デッ! デデッ!!」
首を公園の方角と森の奥へと、左右に振りながら、サクラは震える手で 頭を抱えながら、混乱する。
「デスァ!! デスァ!! デッ!! デデデッ!!」
額に吹き出る玉の汗。 左右の両目からは、緑色の涙。 小刻みに震える唇からは、デスァ! デスァ!と無意識の内にこぼれ落ちる悲鳴。 サクラは混乱の極みに居た。
繁みの葉を千切っては、口に運び、千切っては、口に運び、 いきなり地面に穴を彫ったり、デェェェス!と叫んだりしては樹に登ろうとする。
前方には、連れ去られたイチゴ。 後方には、置き去りにしたスモモとバナナ。
今イチゴを見逃すと、もう2度会えない可能性がある。 スモモとバナナは、もしかしたら追ってくるのを諦めて、巣に戻っているかもしれない。 でも、あの仔たちの性格だ。 きつく言い聞かせない限り、私を追って、森の中を泣きながら彷徨っている可能性もある。 嗚呼。ならば、あの仔たちを担いででも、メロンを追えばよかったのだ。 メロンはきっと大喜びだ。あの仔はいい仔だ。だから、今晩は実装フードにしよう。 ママもきっと許してくれる。桜の花で妊娠したら、右手が台所だから、そして…
(ダァァァン!)
混乱の極みに居たサクラを正気に戻したのが、奇しきも駆除用の銃撃音だった。
「デ! デスデッ!?」
いけないデス。今は考え事をしている暇じゃないデス!
サクラは公園の方角へと目を向ける。 今はイチゴを追うことが先決だ。再び、サクラは駆け出す。 その公園の方向から小さく鳴く声が聞こえた。
… …ゥー!
聞こえる小さな声は、明らかに同属の声だった。 その尋常ならざる声に駆け出した足を止め、サクラは訝しがる。
デッ? 何の声デス。同属の声デス? 小さくて、何を言っているか、よくわからないデス。
その森の位置からは、木々の間から、辛うじて公園の中央が見える。 サクラは、公園の中央を見るため、道から外れ、繁みの中に身を進めた。
スゥー!! デスゥー!! デスデスゥーーー!!
同属たちの叫び声が遠くに聞こえた。 サクラは耳を澄まして、その叫び声を聞いた。
デス?「助けて?殺される?」 何で、そんな事を大声で上げているデス?
サクラは訝しがりながら、歩を進めて、ようやく公園の中心が見えるところまで 繁みを掻き分け進んだ。
サクラは見た。 凄い形相で、涙を流しながら、大声で叫び、全力で森へ、こちらに駆けて来る 実装石の一群を。
デスデスッーーー!!! デェデェデェェェェェ!! デスァァァァァァ!!デスァァァァァァ!!
数にして数十匹。 全員が両目から涙を流し、地獄を見たかのうように恐怖に震え、 パンコンした緑の下着の裾から、糞を宙に巻き上げながら、全力で走ってくる。
『デギャァァァ!! 怖いデスッ! 怖いデスッ!』 『死んだデスッ! みんな死んだデスッ! 何が起こったデスッ!?』 『逃げるデスッ! 逃げるデスッ! 魔法デスッ! ニンゲンが怒ったデスゥ!!』
サクラは理解できない。何が起こったかを。 緑の両目を、まんまる大きく見開き、小さな脳みそで考える。
同属が叫びながら走るその向こう側。公園の中央だ。 そこに、うめき転がる同属達の姿があった。 一様に体中から血しぶきを流し、小さく呻く者。大声で叫ぶもの。 それを見下ろす人間たち。 何か棒のような物で、同属を必死に叩きつけ、さらに黒い棒を突きつけている。
(ダァァァン!)(ダァァァン!)(ダァァァン!)
人間が持った棒のような物から、赤い火花と白い煙が出ては、周りの同属が 血飛沫を上げながら、悲鳴を上げている。
「デデデッ!!! デェーース!!!」
サクラは叫ぶ。 サクラも馬鹿ではない。 今、公園内で想像もできない事態が起こっていることを理解した。 実装石レベルでは、如何ともし難い事態。 しかし、どうすればいいのか。焦りが募るばかりだった。
連れ去れたイチゴ。 はぐれてしまったスモモとバナナ。 痛いお腹。 狂気で走り狂う同属たち。 そして、ゆっくりと森に歩みを進める人間たちの姿。
(ダァァァン!)
既に人間は、相当森の近くに来ていたのか。 今までの銃声よりも、数倍大きな音がサクラの鼓膜に叩き付けられた。
再び、その銃撃音で、サクラは我に戻る。 そうだ。ママだ! ママを呼ぼう! それしかない! サクラは腰の下着のゴム紐に挟んでいる実装フォンを取り出そうとする。
その時だ。
…ィー! テチィーーーッ!!
後方で、微かに聞こえた鳴き声。
テチィー!! デチチッーーー!!
森の奥からそれは聞こえた。 それは、スモモとバナナの鳴き声だった。
「デデッ!! デスデスッ!」
一旦、イチゴを追っていたサクラだが、その声を聞いた途端、 実装フォンは下着に挟んだそのままに、体は自然に森の奥へと駆けていた。
−7−
公園の至るところで、恐怖に慄き叫び続ける実装石の姿があった。 あの散弾銃の銃撃から、辛くも逃れた実装石たちであった。
「デギャーッ! デギャーッ!」 ゴミ箱の中に頭を突っ込み、パンコンした下着だけを露にして必死に震え続ける実装石。
「デデデェデェース! デデデェデェース!」 公園のベンチに下に潜り込んでは、震え、涙し、ひたすら頭を押えて、叫び続ける。
「テチー!! テヂヂー!!!」 親とはぐれた仔実装だろうか。 身を隠すところを求め、ペットボトルの口に、懸命に頭を突っ込もうと、頭を押し付けている。
そんな実装石を、無表情で駆除していく駆除班。 恐怖に駆られた実装石が、四散してしまった今、同属の目を気にする駆除は必要ない。 この公園は閉じた空間だ。見えられようが、逃げられようが、何時間。何日かけても、駆除し続ければよい。 ただ、それだけだ。
『デッ! 何事デスかッ!』 ダンボールハウスから顔を出す実装石。 公園のありとあらゆる所から、同属の悲鳴が聞こえる。 4匹の仔実装たちは、身を震わせて、母親のスカートにしがみ付いている。
難産だったこの子供達。 水場で産むことが適わず、粘膜の除去が遅れ、蛆状態からも何とか育ってくれたこの仔達。
『デスッ! 大丈夫デスッ! この天下無敵のダンボールハウスに居れば大丈夫デスッ!』
かわいい。 この仔たちはとてつもなくかわいい。 私の宝物だ。外では、何か起こっているらしいが、絶対、私が守ってみせる。 この世界は、この仔たちの幸せのために存在しているのだ。 だから、私が守ってみせる。どんな目に会おうとも。
それに、このダンボールハウスは、どんな災難からも、私達家族を守ってきてくれた。 雨の日。風の日。台風の時。 マラ実装が襲ってきたときも、このダンボールハウスに居れば、安全だった。 今度も大丈夫だ。きっと大丈夫だ。
『さ、おまえたち。中に入るデスッ!!』
そう言って、母実装は震える子供達をダンボールハウスの中に入れる。 そして、内側から、鍵をかける。
木の枝を利用した鍵だ。 外側から押しても、これで開くことはない。 マラ実装の攻撃にも耐えたこの母実装のアイデアの賜物である。
『さ。おまえ達。ご飯にするデス。昨日採って来た…』
ダンボールハウスの屋根が外された。
「デ…?」
明るい日差しと共に、逆光に映る大きな影。
デス? 天下無敵のダンボールハウスデス。 なんで、屋根がないデス? これじゃ、雨の日が大変デス。雨の日が大変デス。
ダンボールハウスの屋根を外したのが人間と理解するのに少し時間を要した。
『デスゥゥゥゥ!! ニンゲンデスゥ!!』
まず叫んだのが母実装だった。 仔実装たちは、餌を放り投げて、母親の背中に急いで回る。
「デギャァァァァ!!!」
髪を掴まれ、ダンボールハウスから引き摺りだされる母実装。
『髪がいだいデスゥ〜〜! やめてくだざいデスゥ〜〜!』
ブリブリと、深緑色の粘液質な糞を、下着の中に蓄えていく母実装。 宙に浮いた両足は、バタバタと蠢いている。
『ママに何をするテチィ! 糞ニンゲンッ!』
必死に母親を救おうと、スカートを掴む仔実装。 その中の1匹が、無謀にも駆除班に立ち向かった。
数秒後には、儚くもダンボールハウスの壁の模様となった。
『デェエエエン!! デェエエエン!! 許してくだざいぃ〜〜!!』 『離すテチィ!! 糞ニンゲンッ!』
(ブチィ… ブチブチィ…)
母実装の髪の毛が抜け落ちた。
「デス…デス…デスデスッ!!」
抜け落ちた後ろ髪を、短い両手で確認しながら、後頭部を確認するために、 首を右へ左へと忙しなく動かしている母実装。
『髪がぁぁ!! 私の髪ぃぃ!!』 『ママァー!! ティェェェン! ティェェェン! 怖いテチィ! 怖いテチィ!』 『うるさいデスゥ! 私の髪の毛が大変なんデスゥ!』
床の落ちた髪の毛を必死に集める母実装。
『おまえ達も集めるデスゥ! 早くするデスゥ!』
その後ろに、再び影が垂れた。 母親実装は理解した。人間がやってきたのだ。 ダンボールハウスの屋根を取り払ったのも人間だ。
『デ… デェェェ!! 痛いのは嫌デス! 痛いのは嫌デス!』
母実装は、腰が抜けたのか、尻餅をついた形で後ろに後退する。 手には仔実装。それを差し出すように、必死に媚を始めた。
『ほぉら。私の自慢の娘たちデスゥ♪ 柔らかくて甘いデスゥ♪』 「テチァ!!」 『こ、この仔をやるデス♪ だから私は見逃すデスゥ♪』
信じられない言葉に、耳を疑う仔実装たち。 あんなにやさしいママが、そんな事を言うなんて信じられなかった。
『マ、ママァ! 嘘テチ! やさしいママがそんなこと言うはずないテチィ!』 『信じないデスゥ? ほぉら、こんなに甘くておいしいデスゥ〜』 「デチチー!! デチチー!! テァ!!」(ごぶり)
(くっちゃ…くっちゃ…)
『ほぉら、こんなに甘いデスゥ♪ あと2匹いるデスゥ♪ 今なら両方やるデスゥ♪』
難産だった大切な子供達。 世界がひっくり返ろうが、自分が守ってみせる。 そんな決意よりも、後ろ髪を抜かれた痛みにより引き起こされた自己防衛の本能が勝った。
頭から、ごぶりと噛み付いて、我が子の肉を咀嚼する母実装。 涙と鼻水一杯の顔に、心なしかの微笑も湛えながら、咀嚼を続けている。 あまりの旨さのため、無意識のうち、二口目を齧る。
(ごぶり)
次は頭部が、ほぼなくなった。
『ほぉら、甘いデスゥ〜♪ 見逃せば、両方やるデスゥ〜♪ にしても、うまいデスゥ〜♪』
(くっちゃ…くっちゃ…)
『んまいデスゥ〜♪ わが娘ながらうまいデスゥ〜… 娘ながら… 娘な…?』
手に取った頭のない仔実装を掴む腕が、小刻みに震えていた。
『デッ! デデェェェェエ!!!』
母実装が叫ぶと同時に、駆除班は、無言で金属製の特殊警棒で、空を一閃する。 母実装が差し出した頭のない仔実装の上半身と、母実装の下顎が飛んだ。
「アッ〜〜! アッ! アッ! アァァ〜〜ッ!」
両目から涙を流して、上顎だけの口を手で押える母実装。 下顎がないため、悲鳴を上げたくても、うまく発音ができない。 口からは、咀嚼途中の仔実装の顔がこぼれ落ちた。
『ママァ! ママァ! 大丈夫テチィ!?』 残った仔実装が、母親のスカートにしがみ付く。 上から何かの肉塊が落ちてくる。 歯型だらけの姉の顔と目が合った。
「デチャアアア!!!」
余りの出来事に、白目を向き泡を吐く仔実装。 駆除班の男は、そんなことはお構いなしに、母実装の後頭部目掛け、警棒を頭に打ち下ろす。
「〜ッ!!!」(ガツンッ!)
両目から目玉を前方に派手に飛ばし、下を向いたまま、痙攣を繰り返す母実装。
「テチァ!! デチチー!チィー! テチァァァァァ!!」
痙攣を繰り返す親の前で、必死に両手を広げ、威嚇を繰り返す最後の1匹。 パンコンした下着に手を入れ、糞を掴んでは、必死に駆除班に投げる仔実装。
『あっちに行くテチ! ママはアタチが守るテチ! 糞ニンゲンッ!』
糞を投げる仔実装。 その糞が服についても、顔に当たっても、拭うこともせず、ただ無表情で それを見つめ続ける駆除班の男。
糞を投げる仔実装。その横に泡を吹く1匹。 まだ母実装もデプーデプーと細い息を繰り返している。 1匹1匹屠るのが面倒だと思ったのだろうか。 肩にかけた散弾銃を取り出し、無言で装弾を始めた。
装弾のために、身を屈めた駆除班の姿を見ては、仔実装は、自分が勝ったと思い込む。
ッ!! 勝ったテチ! ママッ! 見てテチッ! 勝ったテチ! 糞ニンゲンに勝ったテチ!! ママッ! 見てテチッ! 見てテチッ!
母実装は、俯いたまま動かなかった。 装弾は完了した。そして、銃撃音が轟いた。
そんな駆除が、公園の至るところで繰り広げられていた。
余りの騒ぎに、繁みの中で震えていた親子が飛び出す。
『デピャピャピャッ! デピャピャピャッ!』 『ママー! 待つテチー! ママァー!!』 『デピャピャピャッ! 終わりデスッ! この世の終わりデスッ! デピャピャピャッ!』
気が触れたのか、1枚1枚丁寧に脱ぎながら、涎を垂らして、公園を闊歩する。 仔実装たちは、母親に置いていかれないように、必死に母親に追いすがる。 仔実装たちが追いついた時には、母親はヌーディストビーチ状態だった。
『おまえ達。実は隠していた事があったデス』 『テチテチテチ……』 『ずっと思っていたデスゥ♪ うまそうデス。おまえ達。デピャピャピャッ!』
公園内は、既に恐怖の坩堝(るつぼ)と化していた。 もう既に、ここは野良実装石たちの憩いの場ではなくなっていた。
(続く)