テチ
 
『テチ』3
■登場人物
 男  :テチの飼い主。
 テチ :母実装を交通事故で失った元・飼い仔実装。
 母実装:ピンクの実装服を着たテチの母親。車に轢かれて死亡。
 人形 :テチの母実装の形見であるピンク実装服を着込んだ人形。
■前回までのあらすじ
 街中に響いたブレーキ音。1匹の飼い実装石が交通事故で命を失う。
その飼い実装は、ピンクの実装服の1匹の仔を残した。その名は『テチ』
天涯孤独のテチは、男に拾われ、新しい飼い実装の生活を始める。
しかし親を失ったテチは、新しい生活環境にも馴染めず、心を閉ざす。
失望感が募るテチ。男は、成体実装石の人形を買い求め、それにテチの
母実装の形見であるピンクの実装服を着せて、テチに与える。
幼いテチは、母実装が戻って来たと思い込み、生きる希望を取り戻す。
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母実装の人形が男の家にやってきて、テチに変化が訪れた。
まずはテチの生活範囲。
玄関の片隅で閉じこもっていたテチの生活範囲である。
男は母実装の人形を使い、テチを一人前の飼い実装として導こうとした。
例えば、こうだ。
テチの目の前に、母実装の人形が現れた時。
男が買って来た実装人形に、母実装の形見であるピンクの実装服と頭巾を着せた時だ。
テチは泣いている。
テチは一心不乱に泣いている。
テチは玄関先におかれた母実装の人形に、顔を擦り付け、一心不乱に甘えていた。
 テチィィィィィィィィィィィ!! テチィィィィィィィィィィィ!!
テチはあの母親を求める時に鳴く「鳴き方」で鳴き続け、
その人形に抱きつき、頬の肉が赤くなるほど、擦りつけていた。
男はテチを微笑ましい笑顔で見守りながら、テチの頭を指で撫でてやる。
テチは頭を撫でられると、嬉しそうにピンクの頭巾耳をピクピクと揺らし、喉を鳴らしている。
 そうだ。
男はテチに気付かれぬように、人形の後ろに回り込み、人形の手を掴んで
人形の手を使って、テチの頭を撫でてあげた。
 テェ? ……テチァ!! テチァァァァァ!! テチァァァァァ!!
テチは、ママが自分の頭を撫でてくれたと思い込み、
涙をボロボロと零しながら、両手を万歳万歳しながら、大絶叫で咆えた。
そしてテチは、これでもかと頬を赤らめ、人形の顔に向って潤んだ瞳の顔を上げた。
そして大きく息を吸い、口をすぼめ、喉を垂直に立てて泣いた。
 テチィィィィィィィィィィィッッ!!!
こんな嬉しそうなテチは初めてである。
男はこの実装人形を購入して良かったと心から思った。
 そうだ! こんなのはどうだ?
男は人形の脇の下に手を差し込んで持ち上げた。
そして人形がまるで歩行しているかのような動きで、テチの前を右に左に歩行させて見せた。
 チュァ!? ……ァァァェッ!?
もぞもぞと歩行する母実装の姿を確認するや、テチは一瞬、瞳孔をまん丸に開いたまま
口をあんぐり開けて硬直した。
 チュワァァァァァァァァッッ!!
次いで、これでもかと目を見開き、舌を突き出して叫ぶ。
親実装の人形を右にやるとテチも右に走る。
親実装の人形を左にやるとテチも左に走る。
 ィィィッッ!!! ィィィッッ!!!
テチは声にならない。
人形の周りを、はしゃぎ、追いつき、抱きつき、飛びつき、そして最後には泣いていた。
 テッスン…テッスン… テェェン!テェエエン!
ぼろぼろと流れる涙。
テチは涙を拭うのも忘れ、動く人形の床にすれるピンク色のスカートにしがみ付き、
歓喜の涙を流していた。
 テェエエエエエン! テェエエエエエン!
そんなテチを見て、男の目頭も熱くなる。
そんな男にあるアイデアが浮かぶ。
もしかして、テチはこの玄関を離れて、家の中に入ってくれるのではないか。
テチはこの家に来てから、ずっと死んだ親実装が入れられたダンボールの傍、
すなわちこの玄関を離れなかった。
男が寒いだろうと、テチを掴んで無理やり家の中に連れ込もうとしても
まるで命の危機が訪れたと言わんがばかりの声で、テチは男の手の中で抗った。
男は人形を巧みに動かしながら、テチを家の奥へと誘った。
 テェ!?
嬉し涙で泣きじゃくっていたテチは、家の奥へ続く廊下を歩む親実装の後姿に気付く。
 デチチー! デチチー!
テチは万歳の格好で、両手をバタつかせながら、その後を追った。
テチは、玄関から飛び出し、男の家へと足を踏み入れていた。
動機がどうであれ、テチはこの家の中に足を踏み入れる結果となった。
泣き疲れたテチは、母実装の人形のピンクのスカートに潜り込み、丸くなって眠っている。
 テスー… テスー…
テチが寝ている場所は、この家のリビングだ。
スカートから覗くテチの安らかな寝顔。
赤く腫れた目元には、小さな光る涙が光っている。
 テスー… テスー…
男はこんな安らかなテチの寝顔を見るのは、この家で初めてだった。
「やるな。おまえ」
男はテチの母実装の人形の頭を軽く小突いた。
小突かれた母実装の人形は、相変わらず無表情だった。
男は母実装の人形をリビングの片隅に置くことにした。
その事により、テチの行動範囲は玄関の一画から、リビングを中心に広がった。
母実装の人形がいるこの周辺が、テチの塒(ねぐら)といういうべき所になった。
テチは、リビング周辺に身を置くことにより、この家の生活習慣を学ぶことになる。
またそれは、リビングを中心に生活を行う男の接点も、必然的に増える結果となった。
全ては、この母実装の人形のお陰である。
 テスー… テスー… テェ?
テチが目覚めたようだ。
テチは、眠気眼を擦りながら、鼻をピクピクさせ、ピンクのスカートの中から顔を出す。
 テチィ?
テチは、いつも見慣れた玄関の風景と違うことに違和感を感じ、首を傾げる。
右を見れば大きなソファー。左を見れば音が鳴っているテレビ。
テチは見慣れぬ風景に戸惑いを感じるが、見上げると母実装が居る。
それがテチに絶対的な安心感を与えてくれた。
そうなれば、好奇心旺盛な仔実装。
殺風景な玄関の景色と違って、リビングには仔実装の興味の沸く色々な物がある。
好奇心を抑えられないテチは、リビングの中で、小さな冒険を繰り返した。
テチは不安になると、テチャァァァァァッ!!と叫んで母実装の人形のスカートの中に駆け込む。
そして少し落ち着つくと、ピンクのフリルを持ち上げて、頬を赤らめてピンク頭巾の顔をぬっと出す。
そして再びテチは顔を赤らめながら、リビングに点在する物にそろりそろりと近づく。
 テチィ?
それはソファー。
ぺしぺしと叩いてみると柔らかい。
 テチィ!? テチィ!?
テレビ。
変な音が鳴っている箱。
 テチュ〜ン♪
おいしそうな匂いがする部屋。それは台所。
テチは扉の隙間から、チラチラと首だけ出して台所を覗く。
不安になると、テチはまた、テチャァァァァァッ!!と叫んで母実装の人形のスカートの中に駆け込む。
そして暫くすると、またフリルのスカートから、もぞもぞと頬を赤らめたピンク頭巾姿の顔だけを出すのだ。
その姿を男は優しい目で見つめている。
テチは、母実装の人形と共に、飼い実装としての大きな一歩を歩み始めた。
母実装の人形は、テチに安心と自信を、もたらせた。
しかし、それは同時に弊害も、もたらせる結果となった。
依存である。
テチは、この母実装の人形に絶対的な依存関係を望んでいた。
例えばこうだ。
リビングに塒(ねぐら)を移してから、男はテチに色々な事を躾ける。
特には優しく、特には厳しく、理を諭し、テチに理解をさせ、辛抱強く躾ける。
それは、飼い実装として、1人前になるため。
テチの死んだ母親にも安心して貰う為、男は必死にテチに愛情を注ぐ。
「テチ、どうしてご飯を零すんだ!」
 テェェェェ…
テチは短い両手で頭を抱えて、ひたすら震えていた。
目の前の皿の上に載せられた実装フードが、床の上に四散している。
「実装フードは、口に入れる事ができる分だけ掴むんだ。でないと零してしまうだろっ!」
 テェ…
テチがこの家に来た時に嫌っていたお徳用実装フード。
今や、これがテチの主食である。
始めて口に入れた実装フード。それに対する感想は散々だった。
味気ない。不味い。苦い。前の飼い主で飼われていた時に食していた実装フードと雲泥の差だ。
始めは不満一杯であったが、飢餓感の苦しさがそれに勝った。
この家に来て、始めて感じた飢餓感。
母と居ない日々は、寂寥感の方が飢餓感に勝った。
しかし、母人形がやって来て精神的に安楽を得たテチは、この飢餓感を酷く辛い物と感じだ。
哀しい飢餓感。
それは、実装石であるテチが本能的に恐れる物だ。
本能的に、目の前の食べれる物は食べた。
当たり前だが、食べて見ると飢餓感は去った。味はどうでもよかった。
テチは仔実装である。
食用旺盛な仔実装は、3度与えられる食事の時間には、既に空腹感で苛まれている。
この時もテチは、本能的に実装フードを両手で摘み上げ、
それを必死に口の中に入れて、哀しい飢餓感を癒そうと躍起になった。
そこに飛んだのが、男の怒声だった。
「テチ、どうしてご飯を零すんだ!」
 テェェェェ?
(どうして怒るテチ?)
(食べ物くれたのに、どうして怒るテチ?)
男は食べる分だけの少量の実装フードを、テチの手に持たせては、食べるように学習させる。
(さっきもこうやって食べたテチ!)
(さっきもこうやって食べたテチ!)
テチは男が何故怒るか理解できない。理解できないことに対する躾には、理不尽さしか感じない。
 テッスン…テッスン… テチァ!!
テチは男の手に持たされた実装フードを、男の顔に投げつけた。
そしてテチは涙を拭って、テチテチと皿の上に土足で乗って、
口を直接皿に持って行き、犬食いの格好で実装フードを口一杯に頬張っていく。
 モガァ… モガァ…
「テチ! 駄目だろっ! 行儀が悪い!」
男は犬喰いを続けるテチの後頭部に向けて、デコピンを放った。
 ヂュアア! デチチー!! デチチー!!
テチは痛い頭を、届かない手で必死に押さえ、実装フードが盛られた皿の上に座り込み、
その上でパンツを糞でコンモリさせた。
続いて、両手を目にやり泣き叫び、パンコンした下着を皿にべっとりと密着させて、
その下着を支点として、両足をバタつかせる。
そのため下着の裾からは、緑の糞が漏れ、実装フードの上に降り注いだ。
「テチ! 食べ物を粗末にするじゃない!」
男はテチを軽く手のひらで叩いた。
できるだけ軽く叩いたつもりだったが、仔実装のテチには威力が強すぎた。
皿の上のテチは吹き飛ばされ、台所の壁までゴロゴロと転がって、頭を打った。
 テチャァァァ!?  (ガンッ)
 
 テェ… テェェ… テェエエエエエン!! 
大声で泣き叫ぶテチ。
テチの下着と緑のスカートは、テチのお漏らしでべっとりと濡れてしまっている。
テチが転げた後には、転々と緑の染みが続いていた。
男はテチに雑巾をぶつける。
 テチァ!!
テチが粗相をした時に、テチ自身に掃除させるために作ったテチ用の雑巾だ。
何度も何度も使われているためか、その雑巾は緑に染まっていた。
「テチ!今日はご飯抜きだ。それから床を綺麗にしておきなさい!」
 テェ… テェエエエエエン!
男に怒鳴られたテチは、緑の糞が垂れるのをそのままに、台所を一直線に駆ける。
「あ! テチ! 待ちなさい!」
テチは男の手を巧みに避け、台所からリビングへ。
リビングの白い絨毯にも、緑の染みを転々とつけながら、テチはリビングの隅へ向う。
そこには、テチの母実装の形見であるピンクの実装服を身に纏った人形があった。
テチは駆けながら、喉を垂直に上げ、口をすぼめた「あの鳴き方」で泣いた。
 テチィィィィィィィィィィィ… テチィィィィィィィィィィィ…
「テチ! 待ちなさい!」
男の手がすぐ後ろに迫っていた。
テチは、母実装のスカートを手でめくり、暗がりの奥にある母実装の下着に飛びつく。
 テッスン… テッスン… テチィィィィィ… テチィィィィィ…
テチは、その下着を両手で掴み、下着の裾に手を入れて、その広げた空間に自らの頭を突っ込んだ。
「テチッ!」
男がテチを追い、母実装の人形のスカートをめくった。
リビングの光りが、暗がりのスカートの中を照らし、テチは小さな悲鳴を上げた。
 テチィィィ!! テチィィィ!!
テチは素早く母実装の下着の中に、足をバタつかせて潜り込み、
 テジャァァァァ!! テジャァァァァ!!
と、くぐもった声で咆えた。
「またか… テチ…」
下着がコンモリと膨れ上がったその様は、まさしくパンコンを連想させる物であった。
そのパンコンの中で、テチがガクガクと震えている。
男が「またか」と言ったのは、テチの行動がこれが始めてではない、ということを示している。
このようにテチは母実装の人形に依存した。
嫌な事。気に入らない事。特に男に厳しく躾けられた後に、テチは母実装に逃避した。
 テチュゥ〜!! テチュテチュゥ〜〜!!
下着の中から、こごもった声が響く。
おそらく母実装の子宮に戻った感覚なのだろう。
両手を胸元に抱き、足を屈め、子宮内にいる格好で、
まるで羊水の中に漂うな気分で、テチは母実装の人形の下着の中に身を委ねている。
 テチュゥ… テチュ…
下着の中では、テチは、うっとりした顔で現実逃避をしているのだ。
妄想の中では、この下着の中で、テチは母とは1つに繋がっているのだ。
しかし、男は心を鬼にして、テチを下着の中から引きずり出す。
「テチ! ちゃんと掃除をしなさい!」
 テェァ!? デチャァァァ!!
下着から引きずり出されたテチは、母との繋がりを断たれ、絶望の声を上げる。
 デチチー!! デチチー!!
そして、男はテチを持ち上げて、台所のところへ引きずり戻した。
 デチャァァァ!! デチャァァァ!!
テチは両手をバタつかせて、遠く離れる母実装の人形に向って声を荒げる。
男はテチを台所に置いて、テチ用の雑巾を手に持たせた。
 テチィィィィィィィィィィィ… テチィィィィィィィィィィィ…
テチは持たされた雑巾を放り投げ、また台所を一直線にリビングに向って駆ける。
男は台所とリビングが繋がる扉をぴしゃりと閉めた。
 テチィィィィィィィィィィィ!! テチィィィィィィィィィィィ!!
テチはそびえ立つ扉を見上げて、ぺしんぺしんと扉を叩く。
「テチ! 掃除をしなさい」
 テチィィィィィィィィィィィ!!
「掃除をしなさい!」
 テチィィィィィィィィィィィ!!
「しなさい!!」
 テェ…
観念したのか、テチは涙を拭いながら、床に落ちた雑巾の拾い、掃除を始めた。
緑の染みを雑巾で拭き取る。
テチが屈むと糞満載の下着から、床に新たな緑の染みができた。
 テッスン… テッスン…
テチは溢れる涙を手で拭う。
糞を雑巾で掃除しているので、手は必然的に糞塗れになる。
糞塗れの手で溢れる涙を拭うため、テチの顔は徐々に酷い様相に変わっていく。
鼻をつく糞の匂い。
溢れる涙は、糞の混じった緑色になり、頬を伝う。
鏡で見たわけではないが、自分が今どんなに、みすぼらしい姿かをテチは理解していた。
 テェ… グズッ… テェ… グズッ…
緑の実装服で糞塗れの手を拭う。
その拭った手で、また溢れる涙を拭った。
 テッスン… テッスン… テチィィ… テチィィィィィィ…
テチは小さな声で母実装をひたすら求め、手に持つ雑巾に力を入れた。

そんなテチだったが、躾を何度か繰り返す内に、大きな粗相はしなくなった。
これも一重に、テチの心の安定を、この母実装の人形が支えてくれていたお陰であったといえる。
もし、この母実装の人形がなければ、テチは、母実装を失った喪失感と、
男の厳しい躾に挟まれて、精神的な崩壊も迎えたのかもしれない。
どんなに厳しく躾けられても、テチはその後、母実装の人形に甘えた。
甘えることにより、心の安定を得るテチ。
母実装を失ったテチが、新たな生活環境で生き抜くためには、この方法しかなかったのかもしれない。
そして、この家での生活ルールを学んだテチは、男との良好な関係を結ぶ余裕も持ち始めたのである。
「テチ。帰ったぞ」
男は仕事から帰ってくる。
仕事のため、平日、男が帰ってくるのは、ほとんど夜だ。
テチは男が不在の時は、台所におかれた実装フードで食事を取る、洗面所で排便をする、
以外は、ひたすら母実装のスカートの中で眠った。
玄関からの男の声で、眠っていたテチは目を覚ました。
テチは母実装の人形のスカートから、ぬっとピンク色の頭巾を出し、男の帰宅を知る。
男がリビングに入ると、電気がつく。
夜なのに昼になる。テチはいつも不思議そうな顔で、テチィ?と鳴いて天井にある太陽を見た。
「テチ。ただいま」
 テチィィィィ!! テチィィィィ!!
テチは男の帰宅をいつの間にか待ちわびていた。
粗相をしなくなったことにより、男の厳しい叱責の回数が明らかに減っている。
その分、男はテチと遊んでやる時間が増えて来たのだ。
テチは朧気にそれを理解し、男と遊んで貰えるよう、学んだルールは破らないように
無意識のうちに心がけていた。
男は帰宅すると、必ずテチと遊ぶ時間を作った。
テチもその習慣に気付き、男が仕事から帰ってくると、一人でに母実装の人形を離れ、
男の下に近づくようになっていた。
頬を赤らめて、男を見上げるテチ。
テチのピンク頭巾の耳がピクピクと忙しなく動いている。
無意識のうちに、手は口元に。鼻はピクピクと大きく開き、興奮気味だ。
(今日は何で遊ぶテチ?遊ぶテチ?)
(指相撲テチ?ママ登りテチ?)
テチの目が潤んでいる。
興奮を抑えられず、思わず叫びそうになっているのを我慢しているテチを見て、
男も頬を赤らめている。
「テチ。今日は色々買ってきてぞ」
男は鞄の中から、紙袋を取り出した。
今日は会社の帰りに、実装ショップに寄り、テチのために玩具を買って来たのだ。
男は平日は会社。休日も出勤が多い職種だった。
必然的にテチは、一人家に残されることが多い。
そんなテチのために、テチ1人でも遊べる玩具を買って来たのだ。
まず紙袋から取り出したのは、ピンポン玉だ。
 テチィィッ!! テチィィッ!! 
テチはそれが何かわからずとも、物珍しい白い玉に対して、興味津々だ。
「リビングは絨毯だからな。台所に行くか」
男は台所に向う。
テチも男の後を追って、トテトテと駆け出した。
テチが台所にやって来たのを確認すると、男は軽くピンポン玉を台所の床に向って投げつけた。
 テヤアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッ!!!
大きく跳ねるピンポン玉に、テチは大絶叫。
この時間帯に大声で叫ぶテチを見て、男は少し後悔したが、仕掛けたのは自分だ。
テチは、大きく弾む白いピンポン玉と男の顔を、交互にテヤァ!! テヤァ!!と見合う。
そして、ウズウズとした体が我慢できず、再び嬌声をあげて、白いピンポン玉を追った。
喜ぶテチを見て、男も満更ではない。
「ははは。テチ。もう1個行くぞ」
男は続いて2個目のピンポン玉を投げる。
 チュアァ!?
1個目を追っていたテチは、自分の後方から2個目が弾むのを見て、
左右を跳ねる1個目と2個目のどちらを追っていいのか、首を交互に振りながら大興奮だった。
「ははは。まだまだあるぞー」
3個目。4個目。5個目。
次々にピンポン玉がテチの周りを跳ねる。
 テチャアアア!? テチャアアア!?
テチは、テチッテッチィィィ!と両手をバタつかせながら、狭い台所を跳ね回るピンポン玉に
飛びつき、捕まえようと躍起だった。
 テチァァァァァ!!
目の前を跳ねたピンポン玉を体全体でキャッチする。
すると別のピンポン玉が、テチの横を通り過ぎる。
 テチァッ!?
手の持ったピンポン玉をポロリと落とし、その通り過ぎたピンポン玉を追う。
追う刹那、先程手にしたピンポン玉を手放した事に気付き、チュアァ!!と叫んで後ろを振り向く。
後ろを振り返ると、コロコロと転がる手放したピンポン玉。
前を向くと、先程目の前を通り過ぎたピンポン玉が、台所の壁に跳ね返り
別の方向へと転がっていくのを目にしては、体をウズウズとさせるテチ。
 チュアァ!! チュアァ!!
テチは、頬を真っ赤にして、二つのピンポン玉を交互に見合って
足をドンドンと台所の床を踏みつけながら、葛藤している。
そこに3つ目のピンポン玉が、テチのすぐ頭の横を通り過ぎて、テチの前を転がった。
 テチィィィィィィィィィィィッッ!!
テチは全てを忘れて、再び3つ目のピンポン玉を両手をバタつかせて追いかける。
「はははは。テチ。こっちにあるぞ」
テチは肩で、テチィテチィ…と大きな息をしながら、勢いのなくなったピンポン玉を掴んで、
一箇所に集め、まだ転がる他のピンポン玉に向って駆けた。
5つ。
全てのピンポン玉を集め終わったテチは、汗びっしょりになり、満足顔で
 テチィィィィィィィィィィィ!!  テチィィィィィィィィィィィ!!
と鳴いた。
「はい。お疲れさん」
男に遊んでもらったテチは、満足顔でそのピンポン玉を1個1個リビングに向って運ぶ。
「お。偉いなテチ。片付けしてくれるのか?」
ピンポン玉を持ったテチは、リビングの片隅に向う。
そして、母実装の人形のピンクのフリルのスカートに潜り込み、ピンポン玉をそこに置いて、
またぬっと、ピンク頭巾を出して、台所に向った。
「ははは。ここがおまえの宝物の隠し場所か」
5つのピンポン玉を隠し場所に収めたテチは、まだ遊び足りないのか、
男に向って両手を上げて、テチーテチーとせがんでいる。
「すまんな。テチ。夕飯の準備をさせてくれ」
職場から戻った男は、まだ夕食を済ましていなかった。
男は台所に向い、簡単なレトルト食品で、夕食の準備に取り掛かろうとする。
「そうだ。もう一つ買って来た玩具があるんだ。夕食が終わるまで、これで遊んでなさい」
そう言って、男は紙袋から、玩具を取り出した。
 テチィ?
テチは頬を赤らめて、紙袋から取り出したそれに向って、両手に差し出した。
「仔実装が遊ぶ玩具と言えば、これが定番だよな。ほら、テチ」
しかし、テチはその玩具を見るなり、バタつかせていた両手をピタリと止め、
顔を引きつらせて、ワナワナと震え出した。
 テェェェェェェ…
男の手に持つそれが目の前に置かれた時、テチの紅潮した頬は瞬時に血の気を引き
テチは大絶叫で逃げ纏い、母実装の人形のスカートの中に頭を突っ込んだ。
 チャァ!! チャァ!! テチァァァァァ!!
「お、おい。テチ。どうしたんだ、おい」
テチは、緑色に染まった下着だけを、母実装の人形のフリルの裾から見せ、
ひたすら、震え、くぐもった声で鳴いていた。
 デヂュアアアアアア!!!!  ヂャアアアアアア!!
「テチ…。まさか、な…」
男は、先程与えた玩具を手にし、それを見つめて呟いた。
男の手には、車の玩具があった。
仔実装と言えば、車の玩具で遊ぶのは定番である。
男は自分が不在の間、これで遊んでくれればと思い、買い求めた玩具だった。
テチは幼い頃に交通事故で母実装を失っていた。
車という乗り物を理解していれば、十分にこれは、テチのトラウマとなる物だった。
 デチィィィィィィィィ!! デチィィィィィィィィ!!
男は自分の無頓着さを呪った。
「テチ。もう怖い物はないよ。テチ。出てきなさい」
しかし、結局テチはこの日、スカートに潜ったまま出てこなかった。
男の買って来た車の玩具は、紙袋の中に入れたまま、封印されることになった。
男は、レトルトの食事を済ませた後、静かになったテチの寝床を覗いた。
 テスー… テスー…
テチは泣き疲れたのか、目元に光る涙を残し、丸くなって眠りについていた。
「やれやれ…」
男は、安堵の溜息をついて、テチの寝顔を見る。
5つのピンポン玉が詰められた母実装の下着は、不気味にコンモリしていた。

その日、この街の繁華街にあるチラシが配られていた。
酒に酔った親父が、そのチラシを受け取る。
何かの割引券かと思い、そのチラシを見るが、チッという舌打ちと共に
そのチラシを一瞥しただけで、そのチラシを捨てた。
そのチラシには、こう書かれていた。
 『ピンクの実装服を着た迷子実装石の親子を探しています。
  名前はエリサベスとカトリーヌです。ご存知の方は、下記の連絡先に・・・』
チラシは風に揺れ、繁華街の汚いアスファルトの上を転がり、溝に落ちた。
(続く)