『テチ』5
■登場人物
男 :テチの飼い主。
テチ :母実装を交通事故で失った元・飼い仔実装。
母実装:ピンクの実装服を着たテチの母親。車に轢かれて死亡。
人形 :テチの母実装の形見であるピンク実装服を着込んだ人形。
■前回までのあらすじ
街中に響いたブレーキ音。1匹の飼い実装石が交通事故で命を失う。
その飼い実装は、ピンクの実装服の1匹の仔を残した。その名は『テチ』。
天涯孤独のテチは、男に拾われ、新しい飼い実装の生活を始める。
母実装の形見の服を着込んだ人形を与えられたテチは、男の元で飼い実装
としての道を歩み始めた。しかし、ある日公園で男とテチは、テチの事を
『カトリーヌ』と呼ぶ、テチの元・飼い主である中年女と出会った。
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「カトリーヌちゃん!! ママざます!! ママざますよ!!」
中年女は、歯並びの悪い歯の間から唾液を飛ばし、凄い形相でテチに向かって咆えた。
先ほどまで、母親への恋慕で泣きじゃくり精神的に落ち込んでいたテチにとって、
その中年女の悲鳴のような叫び声は、さらに迫り来る恐怖以外の何物でもなかった。
テェェェ!? テチャァッ!! テヂヂーッ!!
テチは男の後ろに回り、震え上がっている。
「な、何なんです。あなた!」
男は震えるテチを庇いながら、中年女に向かって身構えた。
「何ざます! あなたこそ何です! キィーーーーー!!」
女が金切り声をあげると、テチは一層、震え上がる。
「俺はこのテチの飼い主だ。あんたこそ誰なんだ」
「何言ってるざます!この仔はカトリーヌちゃんざます。このピンクの頭巾が何よりの証拠ざます!」
「………あっ」
男は中年女が言う台詞を聞いて、何となしに全てを理解した。
「エリサベスちゃん!! エリサベスちゃんは何処ざます!!」
中年女が男の胸倉を掴んで、男の顔にべっとりと唾を飛ばす。
テチの母親の事か!
男は悟った。
この中年女こそ、テチの本来の飼い主なのだ。
ピンクの実装服を着た飼い実装の親子が、街中で飼い主と逸れ、交通事故に会った。
その場面に偶然出くわした自分が、生き残ったその仔実装に出会い、保護したに過ぎない。
この目の前の中年女は、その逸れた飼い実装石を今日の今日迄、探し続けていたのだろう。
中年女の目に光る涙が、それを物語っていた。
「エリサベスちゃん!! エリサベスちゃんは何処ざます!!」
「こいつの母親は…、交通事故で亡くなりました…」
胸倉を掴まれた男は、観念したかのように呟く。
「何言ってるざます!!」
「公園の向いの繁華街で、ピンクの実装服を着た実装石が車に轢かれていました。
こいつは、その死んだ親の袂を離れようとせず… ずっと泣いていたんです」
「……!! うっ、嘘ざます!! エリサベスちゃんがっ… 交通…事…故?」
「すみません。その後、俺がこいつを保護して、母親の死体は保健所で処分しました」
「エリ…ザベスちゃん… 嘘… 嘘ざます… オ…オ…オロロ〜ンッ!!」
中年女は蹲るように、泣き崩れた。
ブランド物のハンケチを歯で噛みながら、オロオロと泣いている。
その場に居合わせた主婦たちも愛護派の飼い主だ。目に涙を浮かべている。
主婦たちの足元で授乳を続けていた飼い実装石達も、その場の物悲しい雰囲気を理解したのか。
屹立した乳首を歯で噛み千切らんとする仔実装たちをそのままに、下着の中で掻き回す手を速めて
デェェ!! デェェェェ!!!と喘ぎ、フィニッシュを急いだ。
男もかけてやる言葉がなく、泣き崩れる中年女を見つめていた。
男の後ろで震えるテチを見て、優しく抱き上げる。
テチはまだ小刻みに震えていた。
「こいつ。そのエリサベスの子供です。お返しします」
そう言って、男はテチを中年女に向かって手渡す。
テェェェ…?
テチは震えた目つきで男を見上げる。男もテチを見据えた。
「カッ…カトリーヌちゃん!! 可愛そうにっ!! ママがいるざます!! ママはここざます!!」
中年女の化粧は涙で崩れ、つけ眉毛が頬まで垂れていた。
そして、キツイ体臭のような香水の匂いをさせた体躯で、テチを奪うように掴んで、抱きしめた。
テェ!? テギャァァァ!! デギャァァァァァァァ!!!
テチは見知らぬ人間に抱き上げられた恐怖で、中年女の腕の中で暴れた。
幼いテチである。昔の飼い主の顔など覚えている筈もなかった。
テチの下着は、お漏らしと脱糞で、みるみる内に緑色の湿った膨らみが育ち始める。
腕の中で暴れるテチの足と下着の隙間からは、水状の糞が飛びまくり、中年女のブランド物の
服を汚していった。
「な。何するざます!! カトリーヌちゃん!!」
テチが暴れると、その糞が中年女の顔にも飛び散り、中年女は、思わずテチを手放してしまう。
そのテチは、中年女の手を巧みに逃げ出し、芝生の上を走りながら、男の下へと駆けた。
テチィィィィィィーーーー!! テチィィィィィーーーー!!
男の膝にしがみ付き、頬を摺り寄せて、男の顔を見るテチ。
「こら。駄目だろ。テチ」
男に甘えるテチを見て、中年女は糞がついたずれた眼鏡を直しながら、居住まいを正す。
愛護派同士には、多くを語らぬとも通じる物がある。
それは犬好き、猫好き同士が交わる時にも通じる物だ。
まるで里親のように、男に甘えるテチを見て、中年女は少し正気を取り戻し始めた。
「あなた。取り乱して悪かったざます。どうやら、カトリーヌちゃんを保護してくれて居たらしいざますね」
この中年女も愛護派だった。それも底抜けの。
カトリーヌもといテチが、これほど甘える男であることは、悪い男ではない。
中年女はそう理解し、落ち着いた表情でテチを保護した時の状況を男に尋ねた。
公園。
小さな公園。
住宅街の間にある何の変哲もない小さな公園。
その公園のベンチで、男と中年女が1匹の仔実装を抱きながら、話を交わしている。
男と中年女の周りでは、成体実装石が2匹。
授乳からそれはついに自慰に発展し、彼女らの濡れた下着は、既に脱ぎ捨てられ、
ぐっしょりと芝生の上に、力なく放置されている。
乳を求めて泣き叫ぶ仔実装はそのままに、互いに舌を絡めながら、互いの屹立した
赤と緑の乳房を擦り合わせ、自らの手が入らんばかりの激しい自慰を繰り返していた。
飼い主である主婦たちの制止も聞かず、続けられる饗宴の末、既に2匹とも両目は緑。
新たな命の誕生と、湧き上がる御し難い雌の性の喜びに、感涙に咽ぶ2匹。
そんなよくある公園の昼下がりの光景の中、男は中年女にテチとの生活を語った。
中年女は何度も眼鏡を取って、目頭にハンケチを宛がう。鼻を噛む。
「お礼を言わせて貰うざます。カトリーヌちゃんを助けて頂いたのざますね…」
テチは男の膝の上に乗って、絶えず中年女を警戒していた。
中年女がテチの頭を撫でようとすると、テシャァァァァァッ!!と威嚇を繰り返す。
「久しぶりに会った緊張で興奮してるざます。可愛いざます」
そう言って、歯を剥き出しにして威嚇するテチを見て、中年女は頬を赤らめた。
「エリサベスちゃんの事は、本当に残念だったざます…。でもカトリーヌちゃんが
生きてくれていただけで、本当に嬉しいざます。お礼は、また改めてさせて頂くざます。
さぁ、カトリーヌちゃん帰るざます」
中年女は、ベンチから立ち上がり、男から貰ったリードを掴んで、テチを引きずる。
テェェ!? テチャァ!! テチャァ!!
テチは、引きずられるリードを両手で掴んで、懸命に足で踏ん張り抗いながら、
中年女と男の顔を、テチャァ!! テチャァ!!と交互に見る。
男は、その様を無表情で眺めていた。悔しいが仕方がない。
元々テチは、この中年女の飼い実装なのだ。
中年女が飼い主である事を放棄しない限り、テチはこの中年女の飼い実装であり、
男が迷子の間、テチを預かっていただけに過ぎないのだ。
男には、何もできる事はなかった。
ただ出来る事は、笑顔で、テチを見送ってやる事だけだ。
チュアァ!! チュァァァッ!!
テチを見る中年女の顔は、にたぁと愛護派特有の醜悪な笑みがこびり付いていた。
対して、ベンチに座ったままの男の顔は無表情だ。
テチは必死に引かれる首についたリードに逆らい、足で踏ん張りながら
テヂヂー!! テヂヂー!!
と、首の絞まる事も恐れず、歯を喰い縛って、男の方を向いてひたすら鳴き続けた。
「カトリーヌちゃん!! 恥ずかしがらずに言うこと聞くざます!!」
人間と仔実装。
力の差は歴然だった。
芝生の上を引き摺られるように、引張られるテチ。
短い両手で必死にリードを掴むため、テチの手のひらには、赤く血も滲んでいた。
テチは痛い首を我慢しながら、遠ざかるベンチに座る男の姿を必死に視界に捉えようと
後ろをチラリチラリと振り返る。
男の姿がどんどん離れていく。
テチィィ!! テチィィ!!
テチは知らぬ間に、涙目で泣いていた。
テェェ… テェエエエエエン!
足を踏ん張る姿は、まるで劣勢の綱引きのようで、後ろを振り向く度に首が絞まる。
そして、テチはバランスを崩すと、テチのピンクの実装靴が片方脱げた。
…ッァ!! チュァ!! チュァ!!
必死にリードを引く中年女にテチは訴えるが、中年女は意気揚々に鼻歌を歌いながら
カトリーヌとのこれからの甘い生活を夢に描いて、上の空だった。
芝生の上に取り残された片方のピンクの実装靴。
テェェェン!! テェェェェン!!
男に必死に助けを求めようと、必死に引かれるリードに抗い、足を踏ん張るテチ。
しかし、靴が脱げた片足は裸足である。芝生の上とは言え、実装石の柔肌。
足の裏は芝生で切れ、小石で破れ、緑と赤の血が芝生の上を濡らした。
テチァ!! テチャアアア!?
痛い。堪らなく痛い。
しかし、その痛み以上に、テチを苛む物が心を占めた。
それは、寂しい時、哀しい時、いつしか必ず傍に居てくれた男。
その男が、どんどん視界から消えていく状況に、テチは母実装を失った時と同等以上の
寂寥感を感じ始めていた。
そして、遠く見えなくなるその男に向かって、テチは叫んだ。
テチィィィィィィィィィィーーー!!!!
それは、テチが亡き母を求めて叫ぶ鳴き方。
首を垂直に上げ、口を窄め、肺の中の空気をありったけ放出させる「あの鳴き方」。
「テチッ!!」
絶対、笑顔で別れようと思った。
取り乱すことなど、愛護派でもない俺がするはずもない。そう思っていた。
しかし、テチに「あの鳴き方」をされた事を知ると、
無表情な能面顔に、必死に笑みを作ろうと必死だった男の顔が歪む。
気がつけば、男はテチの名を叫ぶと共に、ベンチから立ち上がって駆けていた。
既にヌーディスト状態の足元の2匹の飼い成体実装石が、男の叫ぶ声に気付き、
我に返ったように胸と股間を隠して、デェ!? と呟いた。
テチィィィィィィィィィィーーー!!
テチは叫んだ拍子で転んでしまう。
その拍子で、偶然リードの金具が外れた。
いきなり自由になったテチは、地面にもんどり打つが、痛みなどをこらえて必死に走った。
「あ!! カトリーヌちゃん。何処へ行くざます!!」
テチィィィィィィィィィィーーー!!!!
片足の痛み。破れた足の裏。
そんな痛みはどうでもよかった。
テッスン!! テッスン!! テチィィィ!! テチィィィィィィィィィィーーー!!
テチは走る。痛みをこらえ、涙を流し、喉を垂直に上げ、口を窄め、血まみれの片足で
冷酷な針の芝生の上を、残酷な小石の焦土の上を、テチは走った。痛みをこらえて。男を求めて。
男は目を疑った。
テチが走ってくる。涙を流し「あの泣き方」で。
男の目頭は熱くなる。
「テチ… テチィィ!!!」
男は駆けた。
テチィィィィィィィーーーー!!!
テチも駆ける。
「そんな… カトリーヌちゃん。行っては駄目ざます!!」
テチィィィィィィィーーーー!!! テチィィィィィィィーーーー!!!
「テチィィィィ!! テチィィィィ!!」
中年女は駆けるテチを追いかけ、鞄の中からある物を取り出した。
「ほら。カトリーヌちゃん。テチテチ☆魔法スティックざます!!」
テェ!? テチャァァァァァァァァ!? テチャァァァァァァァァッッーーーーーーーー!!!!!
テチは、180度回頭。
自らの鼓膜が破けんばかりの絶叫で、テチテチ☆魔法スティックに向かって駆けた。
チュアァァァァァ!!! テチュゥ!! テチュチュゥゥゥ〜〜〜ッッ!!!
テチは両手両足で、テチテチ☆魔法スティックにしがみつき、頬を赤らめ涎を流し、頬ずりをする。
「あらあら。気に入ったザマス? カトリーヌちゃん」
テチュゥ〜ン♪ チュワァ〜♪ チュワワァ〜ン♪
興奮のあまり、テチの下着からは、滝のような小便が流れていた。
「あら。どうしたザマス? 芝生の上なんかに寝転んで」
テチを抱いた中年女が、芝生の上に倒れている男に向かって言う。
「いや… 何でもないっす…」
別れの仕切りなおしだった。
中年女はテチを抱き上げ、男は改めてテチに別れの挨拶をする。
「さぁ。カトリーヌちゃん。お兄さんにバイバイするざます」
中年女は魔法スティックを頬ずりするテチを、男の前に差し出して、別れの挨拶を促した。
男はしんみりしていた。
それもそうだ。2週間とはいえ、家族同様に暮らしてきた仔実装と別れるのだ。
テチに語りかける言葉のトーンも沈んでいる。
「じゃぁな、テチ。バイバイな」
テチュゥ〜♪ テチュテチュゥ〜〜ン♪
テチは、うっとりと魔法スティックに見とれ、それどころではないようだ。
そして、テチは目を三日月状にさせ、魔法スティックを持って、男に向かって振るそぶりをしていた。
「テチ。前みたいにお腹を出して寝るんじゃないぞ」
テプッ!! テププッッ!!
テチが、男に向ってスティックを振る仕草は、『魔女っ仔☆テチコちゃん』でのテチコちゃんの必殺技。
テチコが、悪い人間を魔法で、禿頭や人犬や肉塊に変えたりして懲らしめる技だ。
「俺の事、忘れないでくれよな… テチ」
テェープップッ!! テピャピャピャピャ!!
魔法スティックを何度も振り、男の顔を見ては、腹が捩れんばかりに震え出すテチ。
「さ。カトリーヌちゃん。お別れは済んだざます?」
プギャッ! プギャッ! プギャーーーーーーーッッ!!!
男の顔を指差し、歯茎をむき出しにさせて笑うテチ。
テチの頭の中では、男の頭はスティックの魔法で禿頭になっているのだろうか。
「カトリーヌを… いやテチを… よろしくお願いします」
「今まで有難うざます。カトリーヌちゃんも… いやテチちゃんも感謝してるざます」
テピャッ!! ヒャッ!! 〜〜ッ!! 〜〜〜〜〜〜ッッッ!!
腹直筋が痙攣して息ができないのか。テチは笑い過ぎて嬌声も出すことができず
中年女の手の中で、涙を流して手足をバタつかせている。
「では。ごめんあそばせ」
「あ、はい… 失礼します」
中年女はテチを抱き、公園を後にする。
男はテチに向って、最後に手を振った。
テチとの別れだ。最後はせめて双方笑顔で別れよう。
そう思って、男は必死で作り笑いを繕い、テチに向って手を振る。
「テチ… ばいばいな」
テチは、中年女の肩の上に必死に体を乗り出し、遠く離れていく男に向って
三日月状の目で必死にスティックを何度も何度も振った。
テプッ!! テププッ…!! プギャッ!! プギャーーーーーーーッッ!!!
テチは見えなくなるまで、テピャピャピャッ!!と嬌声を上げながら、男を指差し、
笑い死にそうに腹を捩じらせていた。
男は、公園から中年女とテチが見えなくなるまで、呆然と公園の出口を見続けていた。
「テチ… 幸せになれよ…」
いつの間にか、男の目には涙が薄っすらと溜まっていた。
きっと、これでよかったのだ。
テチもきっと俺なんかの貧乏飼い主に飼われるより、ずっといいに決まっている。
テチはふらりと俺の処に迷い込み、そしてあるべき処に帰っただけなのだ。
テチの幸せを考えたら、これでいいんだ。
ぐずりと鼻をすする男。
愛護派でもないのに… 畜生。
男は無言のまま帰宅した。
「……ただいま」
(テチュ?)
リビングに入ると、いつもなら、あの実装人形のスカートから、頭を出すテチの姿があるはずだ。
(テチュー!! テチュー!!)
遊んでくれとせがむテチの姿。
しかし、テチと別れた今、今やそれもない。
そこには沈黙を保ったテチの母実装の人形がいるだけだった。
男は着込んだジャケットをソファーの上に置いて、人形に向って言う。
「悪かったな。テチは元の飼い主の所に帰ってしまったんだ」
『………………』
無論、返事はなかった。
「そんなにしょげるなよ。元の生活に戻っただけだ」
『………………』
男は、母実装の人形のスカートを覗いた。
下着は相変わらず、ピンポン玉でコンモリしているだけで、テチの姿は勿論なかった。

中年女に家に連れてこられたテチは、キョロキョロと新しい家に不安を覚え始めていた。
そこは、中年女の家の豪華なリビングだった。
テチィ?
ここまでの道中は、テチテチ☆魔法スティックのご威光のお陰で、テチは手の中のスティックに夢中。
テチは気がつけば、この部屋に居たという感じであった。
高い天井、明るい電灯。煌びやかに光るそれはシャンデリアだ。
テチテチ☆魔法スティックを手に持ったテチは、口元に手を添えて、首を傾げてその光りを見上げる。
(何処テチ?)
テチは、トテトテと家の中を歩くが、周りの物珍しさよりも、一人見知らぬ処に置かれたこの状況に
不安を感じ始めた。
(ママ… 何処テチ?)
いつもなら、歩けば部屋の隅に必ずママが居た。
しかし、この家のリビングの隅に、どこにもそのママの姿がない。
(ママッ!! ママッ!! 何処テチ? 何処テチ?)
飼い実装が迷子になり、街中を泣きながら、歩く状況と似ている。
テェェ……
不安を感じ始めたテチには、手の中のテチテチ☆魔法スティックのご威光も徐々に失せ始めていた。
知らぬ間に、魔法スティックもぽたりと落として、部屋の中を涙目に走るテチ。
テェエ……テェェ……(ママ、何処テチ?)
テッスン…テッスン… (ママァーーー!!)
テェェン!テェエエン! (ママッ!! ママッ!! 何処テチ? 何処テチ?)
大粒の涙を流し、部屋中を駆ける。中年女が、その声に気がついた。
テチのために、台所でオヤツを用意していたのだ。
「あらあら。どうしたざます?カトリーヌちゃん」
テェエエエエエン! テェエエエエエン!
部屋の片隅で、腰を落とし、泣きじゃくっているテチを、中年女は見つける。
「ど、どうしたざます? ほらほら、カトリーヌちゃん。美味しい高級杏仁豆腐ざますぅ」
泣きじゃくっていたテチは、中年女がだされたスプーンに気付くと、ピタリと泣き止み、
鼻をピクピクさせて、そのスプーンに乗った杏仁豆腐を口にした。
テッスン…テッスン…
流れる涙を手で拭いながら、もごもごと口を動かすテチ。
「そうざます。カトリーヌちゃん。お風呂に入るざます」
中年女はテチをお風呂場に連れて行き、服を脱がせた。
先程、不安に震えていたテチだが、与えられた杏仁豆腐を始め、見たことのない豪華な浴室、
そして与えられる煌びやかな衣装に目を奪われ、母親への恋慕感などは既に心から消えていた。
浴室は最高級。
白濁したミルク風呂に、ヴィダル・テチュ〜ンの最高級のトリートメント。
湯上り後には、お肌も髪もつるつるで、いい甘い匂いがする。
テチュ〜ン♪ テチュ〜ン♪
変えられる下着は、白いシルクのレースの下着。
デフォルメされた仔実装の顔が刺繍がされた高級品である。
チュワ!! テチチチー!!
下着一枚の姿で、テ・チュン♪ テ・チュン♪と、実装ダンスを踊り出すテチ。
鏡の写った自分の姿を見て、うっとりとする。
「あらあら。可愛いざます。さ、服も古いのはポイしたざます」
テチィ?
「これを着るざます。新しいオーダーメイド品ざます」
きつくなったピンクの頭巾も、テチの体のあった最高級カシミアのピンクの頭巾、実装服、
そして靴が与えられた。
「お風呂の次は、お食事ざます」
与えられた食事も最高級の実装フード。
思わず口に入れられる以上のフードを手にして、皿から零しても、怒られる事もない。
余りの美味しさに、皿の上に乗って、犬食いをしても、中年女はニコニコとしているだけだ。
食後のデザートの杏仁豆腐も、本能のまま、手で掴んで食べた。
口と手がべとべと汚れても、容赦なく杏仁豆腐に顔ごと突っ込んだ。
汚れた手が気持ち悪くなると、新品のカシミアの実装服で、容赦なく手を拭く。
そして、また杏仁豆腐をその手で掴んで、テププ、テププと嬌声を上げた。
「まったく。可愛いざます」
テチが食事に満足すると、女はテチの実装服をまた着替えさせて、言う。
「カトリーヌちゃんのお部屋を用意しているざます。こっちに来るざます」
中年女はテチを抱き、長い廊下を歩く。
「昔、エリサベスちゃんと生まれたばかりのカトリーヌちゃんが住んでいた部屋ざます」
テチィ?
「カトリーヌちゃんは、きっと覚えてないざます。けど、きっと気に入るざます」
テチはその部屋に入れられた。
その部屋は実装石用に仕立てられた部屋で、家具が全て従来の1/3ほどの大きさだった。
天蓋のついたベット。窓。ドアの位置すら、すべて低い。
テチャァァァァ!!!
テチがまず目に付いたのは、部屋に置かれた玩具の数々。
頬を赤らめて、その玩具の海に飛び込む。
チュワァ!! チュワワワァァァ!!!
テチはご満悦の様子だ。
しかし、そのテチの様子の変化に気がついたのは中年女だった。
「気に入ってくれたざます? カトリーヌちゃんは、これからここで暮らすざま…
え? カトリーヌちゃん? ど、どうしたざます?」
嬌声を上げていたテチの動きがピタリと止まった。
テチは目を大きく見開かせ、忙しなく、顔を右に左にさせている。
頭巾の中の両耳も、ピクリピクリと細かく揺れて、鼻の穴は、ピスーピスーと
大きく開いたり閉じたりしていた。
テチィッ!! チュワッ!! デヂヂー!! デヂヂー!!
そして、いきなり狂ったように鳴き始めた。
「ど、どうしたざます。カトリーヌちゃん!!」
テチは、いきなり足元の玩具の山を、必死に掻き分け始めた。
チュワッ!! チュワ!! テチィィィ!! テチィィィィィィィィィィィ!!
中年女にとっても、そのテチの行動は奇行にしか映らない。
「カトリーヌちゃん!! そ、そうざます。杏仁豆腐ざます!!」
ドタバタと部屋から出る中年女。
残されたテチは、半狂乱で玩具を掻き分け終わると、次はカーテンの裏、ベットの下
遮蔽物と見える物の周りをしきりに駆け回る。
部屋の周りをぐるぐると回るテチの息が、次第に荒くなってきた。
テチの目からは、大粒の涙が零れ、口からはテチィ!? テチィ!?と絶えず鳴き声が漏れている。
これ以上なく目を見開き、駆け回り、首を左右に振っている。
何かを探している。そう。何かを探しているのだ。
テェ!? テェェ……!?
そして、見つからないとわかると、首を上にあげ、その場で立ち止まり、泣き始める。
テチィィィィィィィィィィィ!!
匂いである。
この部屋の匂いがテチをこうさせていた。
エリサベス、つまりテチの母が仔実装時代より、仔を儲けるまでの間、暮らしてきたこの部屋には、
テチが求めて止まない母親の匂いが染み付いていたのだ。
この匂いは、物欲で心を誤魔化していたテチの心奥の渇望を呼び起こすに十分な物だった。
言えば、空腹で餌を求めて止まない野生の虎を、肉の匂いが充満する部屋に、入れるような物だ。
鼻腔から届く情報では、母親はすぐ近くにいるはずだった。
しかし、居ない。居ないのだ。
男の家に居たあの実装人形のような、視覚的に分かりやすい、かつ質量的に安心感を与える物が、
ここにはない。
テチィィィィィィィィィィィ!! テチィィィィィィィィィィィ!!
再びテチは、部屋の中を全力で駆け始める。
四角い部屋をぐるぐると、何週も何週も、全力で母親の姿を求めて、駆け回った。
目には涙。口や鼻からも何かしらの液体を流している。
テェエエエエエン! テェエエエエエン!
駆けてはフラフラになり、玩具に躓き、仰向けになる。
と、同時にブリブリと下着を緑に染め、仰向けでテチァァァァァ!! テチァァァァァ!!と叫びながら泣き叫ぶ。
余りに叫び過ぎてか、器官に何かが入り、
テゲェ!! テゲェ!!
と、えずき始め、先程食べたばかりの実装フードを部屋のカーペットの上に
胃液と共に戻し始める。
テゲェ… テゲェ… デチィィィィィィィィィィィ…!!!
「カ、カトリーヌちゃん!! 杏仁豆腐ざます!! 杏仁豆腐ざます!!」
中年女が杏仁豆腐を持って、部屋に戻って来た。
早速スプーンにそれを掬い、テチに与えようとする。
テギャァ!! テギャァ!!
しかし、テチは、差し出されるスプーンを手で撥ね退けた。
そして、テチは余りの哀しさに自虐的になり、先程戻した吐瀉物を手に取り、再び口に入れたり
顔に塗りたくったりする。
「カ、カトリーヌちゃぁぁん!!」
卒倒する中年女。
テチィィィィィィィィィィィ… テチィィィィィィィィィィィ…
テチは声が枯れ、鳴き疲れるまで、狂わんばかりの母の匂いに抱かれて、母自体を請い泣き続けた。
そんな事件が起きた後、中年女は、より過保護にテチに愛情を注ぎ、テチを癒そうと躍起だった。
暖かい食事。寝床。服。玩具…
それを与えた時は、テチは何とも嬉しそうな表情で、それに飛びつくのだが、定期的な波のように、
その癇癪は訪れた。
絶え間なく訪れる寂寥感に耐え切れず、破れる心の決壊。
母を請い恋し、求めて止まぬ、不安定な心の欠如。
日中は不定期に訪れ、特に夜は、それは毎夜訪れた。
そう。夜鳴きである。
テチィィィィィィィィィィィ… テチィィィィィィィィィィィ…
「ど、どうしたざます!! カトリーヌちゃん!!」
ネグリジェ姿のあられもない姿の中年女が、テチに宛がったテチ用の部屋に飛び込んでくる。
電気をつけると、テチはこの部屋に備え付けられているピンクのカーテンに身を包み、
テチィィィィィィィィィィィ!! テチィィィィィィィィィィィ!!
と、大粒の涙を流して、口を窄めて鳴いている。
「カトリーヌちゃん!! ママはここざます!! 泣き止むざます!!」
就寝用の薄いピンクの透けたネグリジェを着せられたテチは、泣き止むことはなく、
上を向き、あの鳴き方を繰り返しながら、広い部屋の四辺を、夜中の間、何時間も何時間も、
暗闇の中、鳴き疲れるまで彷徨い歩くのだ。
明け方、歩き鳴き疲れたテチは、真っ赤な目を腫らして、倒れるように部屋の床に倒れて眠る。
その姿は、まるで夢遊病の患者のようであった。
中年女は、手に負えず、掛かりつけの実装医師に相談をした。
近所の実装病院の仔実装科に、中年女はケージに入れたテチを連れ出した。
その実装医師は、エリサベスのお産にも携わった信頼のおける医師であった。
「ああ。それは、仔実装特有の依存性ですね」
「依存症…?」
医師の話はこうであった。
仔実装というのは、生まれながらに母実装に絶対の信頼を持って産まれて来る。
しかし、幼い頃にその母実装の庇護を急に絶たれた場合に、仔実装は病的な程の神経失調状態に
追い込まれる事があるという。例えば、幼くして母親と死別した仔実装などがそうだ。
多くの野生の仔実装は、母実装の庇護が絶たれると、厳しい生存競争の中では、
それはすなわち死に繋がることなる。
遺伝子レベルで受け継がれたその危機感によって、仔実装は、必死に庇護の対象を求め続けるという。
それが、仔実装の「依存症」と言うらしい。
飼い実装の場合、親実装などの庇護の対象がなくても、生活は守られ暮らして行けるのだが、
やはり精神的な不安定さを補う庇護の対象を、本能的に求め続けるというのだ。
「ほとんどが、その対象を飼い主なんかに求めるんですが、カトリーヌちゃんは
迷子になったあげく、飼い主を転々としたりして、環境の変化に追いついていないんですね」
医師がそう言う。
「ど、どうしたらいいんざます?」
中年女は不安を隠しきれず、ケージに入っているテチに目を落としながら尋ねた。
「そうですね。カトリーヌちゃんの場合は、思い切って母親を変わりに連れて来た方が
よろしいですね」
「母親ざます?」
「ええ。カトリーヌちゃんの場合は、今から刷り込みを行うより、やはり、同属の母実装
の代わりになる実装石と暮らすべきですよ」
「でも、エリザベスちゃんの代わりなんて…」
「そういえば、大道寺さん処のポリアンナちゃんが、この前出産に失敗しちゃいましてね。
仔実装を失ったショックで、だいぶん塞いでいるらしいですよ」
「大道寺さんところのポリアンナちゃんがざます?」
中年女は、大道寺の婦人とは、実装繋がりの知り合いだった。
彼女の飼っているポリアンナは、テチの母エリサベスとも、大の仲良しだった。
躾も十分に行き届き、気立てもよく、礼儀正しいポリアンナは、中年女も良く知っている。
そして、医師は告げた。
実はポリアンナはお産に失敗しただけでなく、もう2度と子供を作ることができない体に
なってしまったということを。
塞いでしまったポリアンナにも、仔実装が必要であるという事情らしい。
そういった事情で、医師の紹介で、話はとんとん拍子で進んだ。
結局、中年女は大道寺家のポリアンナをテチの母親として迎え入れる事になった。
(続く)